それからまた転属して次の部署で働くことになったときに、
前の部署では1つの仕事を3人で分担していましたが、
今度は3つの仕事を、手分けして3人が処理する形式でした。
仕事の依頼は同じ内容なので、、処理が終わったあとでまた追加作業が発生したときに、処理をした人ではなく
別の人も出来るように、処理方法の共通ルールを作ろうということになりました。
リーダーと、私と、女性のBさんの3人グループで、Bさんは共通ルールを作るときに、改善を提案(要するに文句ですね)するのに
合理的な方法を決めても全然理解できずに作業に時間がかかり、締め切りに間に合わず、私とリーダーが手伝うことが多々ありました。
そして、突然3~4日間連続で休むのです。
カレンダーに記録したところ年間48日。
そのたびに、リーダーと私とでBさんの仕事を片付けていました。
社会人として自覚ない?
休む時は少なくとも前日までに「いついつ休みます」と宣言するよね?
文句ばかりいうから改善したのに、改善通りに出来ないのは、やる気がないんじゃね?
私に出来ることがなんで彼女にできないの?
毎日イライラしていました。
結局これも3年間上司に訴え続け、Bさんの仕事を変えてもらったのですが、
その時に初めて、
相手は私と同じではない。
私が出来るんだから相手も同じように出来るのは当前という考えは通用しない。
相手の行動がおかしいときは、やる気がないと決めつけない。
相手のことを調べて理解して初めて、相手のおかしい理由が分かる。
と悟りました。
悟ったはずなのに、
Bさんが女性だったので、男性には応用できなかったんです![]()
学校を卒業して就職したときに、男性ばかりの会社を選んでしまいました。
それまでずーっと男の人と付き合うどころか、男兄弟もおらず、知っている男性は父親だけという閉鎖的な環境に居たので、
またまた自閉傾向が表れました。
最初の2ヶ月間は、新人たちは2つのクラスに分けられ、教育を受けさせられました。
皆さん歳が近いし、女性も多かったし、学生気分が抜けずに、楽しく過ごしました。
しかし、プログラミング言語は学生時代に学んだものとは異なっていたし、覚えるのに時間がかかりました。
課題などなかなか完成しなかったです。
マニュアルが有るモノは、完璧にその通りにできるけど
無いモノを1から作れない。
完成しても、作り方を覚えていない。
だから必死にメモを取って、ノートに転記して、自分のためのマニュアルを作りました。
それはいまでも実行しています。
たいがい、月に1回しかやらない作業なんて、忘れて当たり前ですw
そして、配属された部署は女性比率が一割。
1か月くらい隣の席の先輩(男性)とも会話できず、与えられたマニュアルをひたすら読む毎日。
私がその職場に配属されたのは、産休に入る女性の代わりだったのですね。
だから、その女性が産休に入るまで、私のする仕事は無いわけです。
今思うと、酷い職場ですね。
その後職場を4年ごとくらいに変わり、あるとき私を含めて3人のチームに配属されました。
うち1人の男性(Aさん)は、過去に上司からパワハラを受けて、会社を休職するほどになり、復職しても人が変わったみたいに自閉的になってしまったそうです。
3人で仕事を担当していたのですが、私が加わるまでAさんはリーダーと1VS1で仕事をやっていて、リーダーも面倒見がよかったこともあって、なんとか仕事は回っていたのですが、私が加わったあとでそのリーダーは初めてAさんが普通でないことに気づきました。
私が普通に出来ていることが、Aさんが出来ない。
Aさんを自立させようと、Aさんの仕事を手伝うのは止めたところ、Aさんは3か月分の仕事を、何も手をつけずに貯めてしまいました。
一見サボっていたようにしか見えませんでしたが、上司に訴えてAさん自身も病院に言ったりして分かったことは、
記憶能力に難がある
やってねと言われたときは理解しているけど、時間が経つと忘れてしまう。
それではとメモを取らせましたが、あとで読んでも自分で何を書いたのかわからないのだそうです。
それを聞いて、普通の人ができることが、努力して出来ない人もいるということを知りました。
たまたまなのかと思って、理解まではしていませんでしたけれど。
小5~6では、人の言葉に従ってしまう傾向がある私は、
「あの子は虐められっ子だから付き合わない方が良いよ」と、
同じクラスの子に忠告されて、距離を置いてしまいました。
その後、同じクラスで「親友」ができました。
虐められっ子でもなく、普通のタイプの子でした。
転校前の3年生の1年間でも、親友が1人しましたが、それ以来の親友です。
母親公認で、しょっちゅうその子との家を行き来していました。
しかし残念なことに、中学の学区が違っていたため、中学進学で離ればなれに。。。。
中学生では、教科ごとに暗記が必要な授業があります。
私はなぜか国語や歴史が苦手でした。
国語は小学校の頃から「作者の意図することを述べなさい」的な設問に、
「そんなの書いた本人しかわからないじゃない」と思っていました。
歴史も、過去の年号を覚える必要性が全くわかりませんでした。
意味のない数字に思ったのです。
同時に、人の名前も覚えることができません。
これは、初対面で「〇〇です」と名乗られても、その人の顔は記憶するのですが、名前は全然頭に入りません。
メモを取って、あとからそれを見ながら、時間をかけて覚えればどうにか覚えることはできます。
つまり、長期記憶は持っているけど、短期記憶能力が欠場している。
欠場しているというか、たぶん覚えているんです。
でもその記憶の引き出しが錆び付いてあけられない。
時間をかけて集中して思い出そうとすれば、ぼんやりと確かそうだったとわかるんです。
でも普通は覚えたこと自体忘れちゃう。
何か割り込みがあると、引き出しの前に引き出し置いちゃうみたいな。
唯一、答えが1つでルール(公式)さえ最低覚えれば、あとは応用で解けるという数学は得意でした。
高校受験のときに、マンツーマンで教えてくれる近所の家で、毎週水曜日、2時間ぶっ通しで教わった結果です。
英語はたまたま進学した学校の英語の先生が、父親と小学校の同級生だったということで、
英語の成績が悪いと、父親に恥をかかせる(同級会が定期的に開かれていたため)と思い、
必死に勉強して常に満点を取っていました。
そのやり方というのは、教科書の丸暗記です。
当時、教科書に書かれていた内容が、カセットテープとして先生が持っていたため(ヒアリング目的ですね)
希望者にはダビングしてくれたのです。
それを家で聞きますが、当然耳から入っただけでは暗記できない。
そこで、それを聞きながらノートに一字一句書いていくのです。
まるでテープライターw
指に単語を覚えさせたのですね。
だから、文法など理解していません。でも、当時の定期テストは、教科書の内容がそのまま出てきます。
私はそのやり方で、英語と数学の成績だけで、高校卒業し上の学校に進学できたようなものです。
上の学校に進学したのは、父親に認められたい目的がありました。
高卒で学歴コンプレックスがあった父親は、どうしても娘に進学させようとしました。
自分の意思よりも親の考えに従って、喜ばせなければ・・・という思いは
アスペルガーと思われる父親に育てられて、顔色を伺うような子に育ったせいかもしれませんが、
ADHDの人にはその特性があるようです。
(つづく)
アスペルガー男性と、ADHD女性は、相性がいい
(から夫婦となるパターンが多い)
という記事を読みました。
私は、自分で全然自覚していなかったですが、おそらくADHDの特性を少なからず持っていると、最近自覚しました。
小学生低学年の頃は、変わった子だなと先生や母親から思われていたこと。
あるとき、図工か何かで使うため「紙袋を家から持って来なさい」と言われて
持って行った紙袋を授業中、一人で被っていたそうですw
この話は私は全然覚えていないのですが、成人したあとで母親から「こういうことがあった」と聞きました。
また、友達宅で行われた友達の誕生日会で、近所の公園で皆んなでジャングルジムに登り
友達のお父さんが写真を撮ってくれたのですが・・・
2枚とも一人で変顔![]()
私としては単に「おもしろがらせよう」という思いだけでしたのですが、
後で父親に見せたらこっぴどく怒られました。
なんで怒られたのかは、その時全然理解していなかったですが、
社会常識が身に着いた今では、
他人とは違うことはしてはいけない(=協調性がないとみなされる)
と解かりますけどね。
小学3年生の正月に、親がマイホームを買ったため隣の市へ引越し&転校したのですが、
転校前の学校担任は、とてもおおらかで児童の個性を大切にしてくれていました。
転校後に編入したクラス担任は、オールドミスの厳しい女性で
忘れ物をした児童は、その授業中、教室の一番後ろにずらっと並ばせて、床に座らせて授業を受けさせるような人でした。
今では大問題になる話ですけどw
けしごむ1個忘れただけで、教室の後ろに追いやらせる。
当然、目の前には椅子に座っている友達がいますから、黒板など見えるわけでもありませんし、
先生は座っている児童を見ることはできません。
なので、勉強せずに友達とこっそり遊んでいました。
勉強嫌いなこともありましたが、勉強できる環境ではとてもじゃないけど言えなかったし。
母親は抗議したみたいですが、最後まで改善されることはなかったです。
そりゃ、よく忘れ物をする私が悪いですが、ADHDの特性に「忘れ物をする」というものがあるので
該当するんじゃないかな?と考えています。
また、そのオールドミスは、優等生しか可愛がらないのですよ。
クラスに2大優等生の女子がいて、それぞれライバル。
転校したときに、私はそれに巻き込まれてしまいました。
お互いに、わたしをどちらのグループに入れるかで、引っ張り合いっこしたと思います。
しかしそのうち、その優等生らは私が変わった子ということが分かったのでしょう。
徐々に相手にされなくなり、私は自閉的な面が出てしまい、クラスのいじめられっ子としか仲良くなれませんでした。
元々人前では、なぜかすごい緊張してしまう(たぶん失敗して恥をかくのを恐れていたのだと思います)ため
目立たない立場は居心地よかったのですけれど。
(つづく)