シズコさん/佐野洋子
〜帯より〜
あの頃、私は
母さんが
いつか
おばあさんに
なるなんて、
思いも
しなかった
ずっと母さんを好きでなかった娘が、
はじめて描いた母との愛憎。
「100万回生きたねこ」の佐野洋子さん
佐野さんが亡くなってもうすぐ12年になるのですね
とても貴重な新聞の切り抜きを見つけました
北京時代(1940年頃)の佐野洋子さん一家
左奥が母シズコさん、その右が洋子さん
(新潮社提供)
「母を憎んでいる人も、愛している人も、みんな母が重たいのだった」
30〜40代の女性に、母親との関係をテーマにインタビューしたという
梯久美子さんの記事
◇◇
「人間は正しくない」
「母さん何人子供産んだの」
中略
「男の子いた?」
「居なかったと思うわ」
母さんあんなに兄さんを愛していたのに。あの悲しみも忘れてちゃったのか、無くなっちゃうのか。人は悲しみを持ちこたえられなくなるのだろうか。
私は母さんが母さんじゃない人になっちゃって初めて二人で優しい会話が出来るようになった。
私は正気の母さんを一度も好きじゃなかった。
あゝ世の中にないものはない。
ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。
少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。
母は終戦後の貧しさをぐちった事はない。
母が我慢ならなく、思い通りに行かなかったのは嫁との生活だった。
たった一人の人間との感情生活が耐えられなかったのだ。
七十歳になる私は、毎日が恐怖である。もの忘れの加速が尋常ではない。
と書いた佐野さん
この2年後、72歳でお亡くなりになっている
シズコさんの最後の5行で、母さんの幻影を見ると書く
幻影は
「静かで、懐かしい思いがする。」
「静かで、懐かしいそちら側に、私も行く。ありがとう。すぐ行くからね。」
梯さんの記事の終わりに
呆けたシズコさんが娘である著者の佐野さんに言う言葉の引用がある
「私とあなたの間には、いることも、いらないこともあったわねェ」
そして梯さんはこう結ぶ
「すべての母と娘の間には、ないほうがよかった出来事がたくさんある。でも、なかったことにはできない。そのまま、まるごと、許しあうしかないのである。」
初出は「波」2006年1月号〜2007年12月号
これを書いた時佐野さんは、乳がんで余命2年と告げられた、その最中だったのですね
完結を迎える準備を整えていたのかな
本当の心中はどうだったのだろう





