愛の必要条件 | リレーティング

リレーティング

愛についてのOSHOの講話をセラピストVIJAY(辻本ひさし)が紹介し
ます。またエッセンシャルライフコンサルティングや瞑想・セラピーからの人間関係に役立つ知恵も紹介。

そして必要条件とはなんだろう? 必要条件は、惜しみなく愛する人はいつでも愛を与える用意があり、それが返ってくるかどうかなど気にしないという ことだ。それはいつでも返ってくる。それはものごとのまさに本質だ。あなたが山に行って、歌をうたえば、谷が応えるようなものだ。山々で、丘で、こだまが 返ってくる場所を知っているかね? あなたが叫ぶと、谷が叫び、あなたが歌うと、谷が歌う。それぞれのハートは谷だ。そのなかに愛を注ぎ込めば、それは応える。

 

愛の最初のレッスンは、愛を求めるのではなく、ただ与えることだ。与える人になりなさい。

 

人びとはちょうど反対を やっている。与えるときですら、返ってくる見込みがあって初めて、愛を与える。それは取り引きだ。彼らは分かち合わない、気前よく分かち合わない。彼らは 条件付きで分かち合う。それが返ってくるかどうか、こっそりと目の端でうかがっている。とても貧しい人たちだ……愛の自然な働き方を知らない。注ぎさえす れば、それは返ってくる。

 

たとえ返ってこなくても、なにも心配することはない、というのも、愛する人は愛することが幸せなことを知ってい るからだ。返ってくるなら、それでよし。そのときは愛が何倍にもなる。だが、それが二度と返ってこなかったとしても、そのまさに愛するという行為で、あな たは幸せになり、喜びにあふれるのだから、それが返ってくるかどうかなどだれが気にするだろう?


愛そのものに幸せが内在している。あなた が愛するとき、それが起きる。結果を待っていなくてもいい。とにかく愛しはじめなさい。だんだんと、はるかに多くの愛が自分に返ってくることを、あなたは 知るだろう。人は愛し、そして愛することによって初めて、愛とはなにかを知るようになる。泳ぐことで水泳をおぼえるように、愛することによって人は愛する ようになる。

 

人びとはとてもケチだ。だれかすばらしい恋人が現れるのを待っている、そうしたら愛そうと。彼らは閉じたまま、内側に引っ込 んだままだ。彼らはただ待っている。どこかからクレオパトラのような人が現れたらハートを開こうと考えているが、そのときにはどうやってハートを開くのか を完全に忘れてしまっている。

 

どんな愛の機会も見逃してはいけない。通りを歩いていても、愛情深くなることはできる。乞食にだって愛情深 くなることができる。彼になにかを与えなければいけないというのではない。少なくとも微笑むことはできる。それにはお金がかからないが、そのまさに微笑み があなたのハートを開き、あなたのハートをもっと生き生きとさせる。だれかの手を握ってみなさい――友人でもいいし見知らぬ人でもいい。ふさわしい人が現 れたときにだけ愛することにしよう、などと待っていてはいけない。それではふさわしい人はけっして現れないだろう。愛しつづけなさい。愛すれば愛するほ ど、ふさわしい人と出会う可能性が出てくる、なぜなら、あなたのハートが開花しはじめるからだ。そして花開いたハートは多くの蜜蜂たち、多くの恋人たちを 引き寄せる。

 

あなたはひどく間違ったやり方でしつけられている。第一に、みんながすでに愛し方を知っているという間違った印象の下で、み んなが生きている。生まれながらに、自分は愛し方を知っていると、あなたは考えている。それはそんなに簡単なことではない。確かに、その潜在能力はある が、潜在能力は訓練され、鍛えられなければならない。

 

種子を持ちつづけたとしても、一匹の蜜蜂もやってこないだろう。種子に蜜蜂がたかっているのを見たことがあるかね? 種子が花になることを彼らは知らないのだろうか。だが、それらが開花すると彼らはやってくる。花になりなさい、種子のままでいてはいけない。