今回は息子の話です。

息子は小学1年の初めから数検に取り組みました。

しかも、いきなり飛び級を狙うのではなく、11級(小1レベル)から始めて、10級、9級、8級と、あえて一段ずつ進めていきました。

 

この取り組みで、親として一つ強く意識していたことがあります。

それは、できるだけ**「教えない」こと**です。

 

数検の問題集を1冊与える。

ただし、詳しい説明が並んだテキストではなく、あえて問題集を選びました。

要点だけが簡潔にまとまっている分、自分で行間を埋めながら理解していく必要があるからです。

その方が、細かく教えられるよりも、自分の頭で考える余白が増えると思っていました。

 

さらに、進むペースも、問題の処理も、丸つけも、基本的にはすべて本人に任せました。

親が横について効率よく教え込む形は、あえて取りませんでした。

 

もちろん、その方が効率は悪いです。

未知の分野を独学で進むのは、子どもにとって認知負荷も高い。

親が教えた方が、短期的にはもっと早く進めるでしょうし、合格だけを目的にするなら、その方がずっと簡単だったはずです。

 

それでも、そうしなかったのには理由があります。

数検は、別にやらなくても困らない試験だからです。

受けなくても生活に支障はないし、誰かに強制されているわけでもない。

そんなものを、あえて低学年からやる意味があるとしたら、私は

「自分で考える力を育てること」

にあると思っていました。

 

あえて飛び級をしなかったのも、その一環です。

一段ずつ進むことで、ステップを上がる実感を持ちやすい。

「やったら進めた」という感覚を、小さくても確実に積み重ねてほしかった。

 

そして、分からないところでは止まり、頭を悩ませ、少しずつ理解していく。

時間のかかる単元、分かりづらい単元には、その分だけ時間がかかる。

でも、その配分まで含めて本人に任せることで、自分にとって必要なところに必要なだけ時間と労力を注ぐ感覚も育つのではないかと思っていました。

 

この過程は、合格だけを目的にするなら、はっきり言って非効率です。

親が横で説明し、詰め込んでいく方が圧倒的に早いし、確実性も高い。

でも、学ぶことの面白さや、「自分で分かるようになる感覚」は、そういう遠回りの中でこそ育つのではないかと思っています。

 

大事にしたかったのは、資格そのものや、早く受かることではありません。

自分の力で考えること。理解にたどり着くこと。その過程に喜びを見いだせること。

そちらの方でした。

 

ただし、これは受験という時間制限がまだ切迫していない低学年だからこそ取れた方針でもあります。

この時期は、効率よりも、学びへの向き合い方そのものを育てることを優先していました。

 

その結果として、息子は小2で数検3級(中学卒業レベル)まで取りました。

もちろん、数検の級そのものを誇りたいわけではありません。

親として見ていたのは、資格や先取りの見栄えではなく、

 

自分で考えること

自分で調整すること

自分なりに楽しみながら進めること

 

が少しずつできるようになってきたことでした。

数検は、そのための一つの素材にすぎなかったと思っています。

 

もっとも、準2級あたりからは少し様子が変わってきました。

高校数学に入ると抽象的な概念が増え、進む速度も明らかに落ちてきたからです。

そこから先は、完全に本人任せにするより、親が伴走していくフェーズに入ってきたとも感じています。

 

結局のところ、

タスクの難度

本人のやる気

その時期の段階

を見ながら、親がどこまで教え、どこから見守るかを調整することが大事なのだと思います。