ハノイ事務所の新人から、最初は無茶ブリ(要するに自分にはできないレベルの仕事をいきなり上司から頼まれること)されて当惑したが、今では成長のチャンスだと思って、前向きに仕事をしているという、非常に嬉しい連絡を受けました。

私は以下は望ましくない上司だと思っています。
① 部下ができる仕事を自分が、いつまでもやってしまう。
② 部下ができない仕事を、何のサポートもせず、最初から放置し、部下がネガティブな失敗をし自信を失う。

良い上司の在り方は
① 部下に仕事をフル ⇒ 無茶ブリ
② ただし、事前に重要なPOINTと、どうやればよいかについてインストラクションする。
③ 見守ってあげて、部下が成功するように、しっかりと導く
④ 部下が成功したら褒めてあげる。部下の成果にしてあげる。(優しい上司) また、あり得ない失敗の場合は叱咤激励し、二度と同じミスがないように刷り込む!(厳しい上司)

自分が全部やってしまったり、あるいは極端に一方的なメール等、部下に仕事をふって、何のフォローもしないのは、最悪ということです。

無茶ブリは、素晴らしいと思っていますが、単なる仕事の、放り投げではダメです。

仕事を部下ができるように丸めて(アレンジして)、そして部下が受け取れるようにする。
いわゆる丸めて投げるという意味での 丸投げ(無茶ブリ)が良いと思います。

皆さんはどう思いますか??

しかし、ダメな部下にはいくらサポートしてもダメです。どこまでもダメな人はダメだということに最近気づきました(笑。
いくら丸めても、一向に独立心がなく、仕事を進めない。
そして、上司に全部仕事をやらせて、成果は自分がやったと主張する。
そういう人って 本当に稀だけどいるんですね・・(大笑
現在のIGLではいないと思いますが、過去にいました。


ベトナムでうまく経営できている会社は、「ベトナム人と日本人」「本社と現地法人」の目線合わせが上手

一方、ダメな会社は、全然目線があっていないし、そもそも合わせようと思っていない。


ほっておくと、文化も違うし、いる場所も違うわけだから、目線が合うわけがない。


どうやって合わせるか?


見ている視点を調整する。

時間軸を長くする。


この二つで、目線合わせができるのでは? というのが私の気付きです。


Aさんの立場で1年後の結果を出すという考えと、Bさんの立場で5年後に成果を出すのでは、目線が異なる。 しかし、AさんがBさんの立場になって考えてみて、BさんもAさんの立場になって考えてみて、それぞれ1年後と5年後の結果と成果を求めれば、「言ってることが違うけど、やりたいことに大差がない」という話になる可能性は十分にある。



相手との違いだけを強調していたら、平行線。  まあ、問題を先送りするというのも一つの案ではあるが、今のような経営環境が激しく変わる中では、やはり、Simple Open Speedyに考えて、目線合わせをした方が良いと思う。



かぶ





よく言われることですが人材

人済(人罪) 人在  人財


給料以下の働きしかできない人 ⇒ 人済(人罪)

給料までしか働かない人かな?? ⇒ 人在

給料以上働ける人          ⇒ 人財


新人はしょうがないとして、給料以下の働きしかできない人はどうなるでしょうか?? 常識的 解雇かもしれません。


給料までしか働かない人 あるいは働けない人はどうでしょうか? 成長しないし、人間の老化とともに、能力が下がり、解雇まで行かないとしても、降格や給料カットになるでしょう・・


結局、給料以上働ける人しか、当然ながら給料も上がらないし、昇給もしない。



しかし、日本的??か解りませんが・・

「一生懸命働いているように見せることはうまいが、実は給料以上働かないし、給料以下の働きしかしていない人」 を出世させてしまっているのでは? と思うような事例 多くありませんか??(笑


本当に貢献している人を正しく評価する仕組みが必要ですね!?


かぶ


昨日、「俺は未だ本気出していないだけ」という映画を息子と娘と見ました。
http://www.oremada.jp/
40過ぎて成果がでない男が主人公の映画です。

そして、私の最近の気付きです。

人間は成果が出ると、「成長した、成長している」と考える人が多いような気がします。
一方、人間は成果が出ないと、「成長していない、本気を出していない」と考えるのかもしれません。

年収が増えたから、成長したとか・・昇進したから成長した。


それは、本当なのでしょうか?

私は、人間もビジネスも「成果が出ていない」時に、その成果が出ていない理由を追及し、「他人のせい」にしないで、
カイゼンした人が成長しているのだと思います。
そうした人が、成長した結果として、成果が出始めたのであって、成果が上がったから、成長したという論理ではないと思いました。
成果が出ないから成長していないと考えるのは非常に危険だと思いました。

成果が出た時に、勘違いして、成長が止まり、新たな種まきや、継続的なカイゼンをしなくなり、成長が止まるのだと思いました。


私が言いたいのは、会社の売上/利益が増えた、自分の年収が増えた、だから、会社/俺は成長した! という論理ではないということです。

売上/利益/年収が、増えるだけの理由は、増える前に蓄積されているのです。

何がいいたいのか? というと。
「成果がでたから、成長しているのだ!ではなく、成果が出ていない時に成長しているのだと思えることが重要なのでは?」ということです。

苦しんでもがいているときに、成長しているということです。

ビジネスの種まきは、失敗の連続です。
その失敗からこそ、「強み」が生まれるのです。
そして、「強み」の形成を「成長」と呼ぶのだと思います。

「強み」ができて「成果」がでるのは、これは社会のニーズの変化が主な原因で、努力だけではありません。

「強み」をつくる継続的なカイゼンが「成長」であり、「成果」が出るのは二の次だということです。
既定の路線にのって、社会のニーズが重なって、たまたま成果が出たことを、成長と考えると、大きな失敗すると思いました。

成果が出て偉くなればなるほど、謙虚さ、そして、周りの人への感謝の気持ちが必要ですね!?

その為にも、成果が出るか出ないか?ではなく、「強み」を継続的なカイゼンの有無で、成長を図るべきなのでは?

継続的なカイゼンは、「一生懸命仕事をしているように見てもらう努力」ではありません。
効率的効果的に目標に向かって、各位を巻き込んで、個人と組織の強みを創造するということです。

経営幹部の役割(成長)の一つに、「種まき」をして、「継続的カイゼン」で、新たな強みを創造する ということがあります。
それは、短期的な成果創りではありません。 
目先の成果も重要ですが、目先の時間軸と経営的視点だけではダメだということです。

成果が出ていない時にこそ、成長している感じることが、本当の強みの創造なのでは?ということです。
そして、
成果が出ているときに、成長がとまるのでは?という恐怖感と謙虚さをもつべきなのでは?ということです。

下記の内容のメールをIGLの幹部に出しました。




「理不尽(りふじん)」という意味は、「道理でない、ロジカルではない」という意味です。

「理不尽なこと」は世の中にたくさんあります。 世の中は常に論理的ではないことが起きるからです。戦争は常に理不尽です。

日常で感じる理不尽さは客観的な時もありますが、多くはそれを感じる本人の主観だと思います。

「なぜ会社は私を認めないのだ!」 「なぜお客は不満を言うのか?」 「なぜ上司は私を怒鳴るのか??」
「なぜおれはモテないのだ!」 「なぜ私は貧乏なのだ!?」 「なぜ税務署は罰金をかけるのか!?」

上記類ものを「理不尽」と感じているだけです。
要するに「思い通りにならない」ことを「理不尽」と考えていることが多いのです。
理不尽でもなんでもなく、非常に論理的な話であって、それが理解できない当の本人の考え自体が理不尽な場合もあるのです(笑。

したがって、理不尽さを感じた時に、いつも他人のせいにし、事実から逃げていたら、どうなるでしょうか?  場所を変えても成功しない人は、理不尽さに耐え、そして理不尽さに打ち勝つことができない人です。

これ参考までに・・ 面白い話です。 
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7432452.html


私は、IGLの経営幹部(組織資産のど真ん中)にいる人は、理不尽さを受け入れ、理不尽さに打ち勝っている人だと思っています。 なぜなら、私の言うことが常に「理不尽」だからです・・・(笑



実力で立場をつくった人ほど、周りの人のおかげ、あるいは運のおかげだという。

そういう人は、仕事で成果が出なかったとき、自分に原因があったと話をする。









私は、成長しない人は、成果が出ない理由を、いつも他人や環境のせいにしている人だと思っています。
「経営環境が悪い」「上司が悪い」「会社が悪い」「お客が悪い」「部下が悪い」「病気で体調が悪い」 だから、成果がでない。 そして、自分は悪くない。 
自分は被害者である、振り回されている・・・ 等と発言します。

周囲の人を巻き込んで、同情されるための努力はしますが、本人は自分自身が変わるための努力を全くしないのです。環境を変えても、本人が変わらなければ、成果が出ないことは直ぐに証明されます。

こういうマインドの人は、最初から「できない理由」を無意識的に考えています。
最初から、負けているわけですから、勝てる訳がありません。

良い大学を出て、資格をもって、そして語学能力があっても、「成長しない人」はいます。

「事実」と向き合い、「事実」から逃げないで、自分の内面をカイゼンしていく強い意志がある人が成長すると思います。そして、そういう人がリーダーシップを発揮できるのだと思います。
リーダーシップ力がある人が成長できると、HUU君は言いましたが、その通りだと思います。


プライベートで結婚し子供ができて人の親になると、人間は成長すると思います。
子供の為にも「逃げない大人」にならなければならないと思うようになるからだと思います。
IGLでは結婚し子供がいる人の方が適性があると思っています。 精神的に強くなるからです。

成長をKey Wordに「マインド マップ」のようなものを活用して、意識づけをしてもらいたいと思っています。

スキルの向上は重要ですが、資格を取ったりすることだけが「成長」だと思っている危険です。
なんとなくですが、若いうちは成長=学力 と思いがちです。 しょうがないことですが・・・


「良い生徒はダメな先生を見てもそこから学ぶが、ダメな生徒は良い先生をみても何も学ばない」 という話があります。
成長できる生徒は、環境が悪くても成長するということです。

ビジネスにおいては、成長できない要素の人は採用してはいけません。
採用したとしても直ぐに退職してもらった方が良いです。
なぜか? 成長できない「あり方」を直すのは、非常に困難だからです。
「伸びしろ Room to Grow 」がある人を見抜くしかありません。


会社の売上や利益が伸びていたとしても、そこで働いている人全員が成長しているとは限りません。
また、個人個人は成長しているのに、会社の売上と利益が伸びていないケースもあると思います。

しかし、成長している人が増えないと会社は確実に生長しません。
会社は、成長する人のあり方を考えて、人財の成長を促す場所でなければならないと思いました。


なぜ2年以上もブログを休止して、今始めるか?を言うと

① FBは適時性 不特定多数の人が受動的に同時に見る可能性がある。

② ブログは日記 自分に興味を持ってくれる人が主体的に見てくれる。

FBを日記代わりに使っている人もいる。 個人の嗜好なので、それもよいと思う。


自分は、ブログに自分の所感とか考えを書く方が良いと思った。


FBとブログを使い分けて、そういう使い方をしている人もいますね。


改めて昔自分が書いたブログを見ると、懐かしいです。

変わっていない部分と変わってきている部分も感じます。


自分は「成長」しているのか? と自問自答する。

もしかしたら、「退化」していないか・・・


確かに会社は成長しています。 そこで働く人財も確実に成長しています。

そのことで自分自身も成長していると勘違いしないようにしなければ・・・と思います。


40過ぎて「成長」とはなんだろうか??


会社の規模に応じてTOPの役割は変わってくるんだな・・と感じることがあります。

その役割の変化と「自分自身が目指すべき成長」とは、何か関係している気はしています。



「組織」と「戦略」の両輪をしっかりと回せる存在にならないと! と思いました。
























久しぶりのブログ再開です!

最近 Face Bookでの情報発信をしていましたが、なんとなくですがブログでしか発信できない質の情報もあるのだと気づきました。


ミャンマー地元のエコノミスト、アウン・タン・セット氏は「安倍首相の支援は雇用創出などにつながる。中国の投資を低減させるために、品位がある日本の投資を増やすときだ」と指摘する。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130526/asi13052621080003-n2.htm


品位がある日本の投資の意味です。

「実に」 奥深いです。



皆で一緒に考えたいテーマです。


よろしくお願いします!