レティシア妃 その11 貴賎結婚とは | スペイン王室

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スペイン王室の現役メンバーから、遡ってその先祖の方々まで、おもしろそうな逸話をピックアップしてお届けします!

さてさて、それでは今回はレティシア妃側に立って、このご婚約
について考えてみようかと思います。俗に言うと、レティシア妃は

“玉の輿に乗った”

わけですが、本当に労働者階級出身の女性が一国の皇太子と
結婚すると美味しい話ばかりなのでしょうか?


日本では、今上がご結婚された時も、皇太子様がご結婚
された際も、まずお后候補選びと言うものが行われ、その
候補者本人のみならず、両親、兄弟、祖父母、親戚の類まで
入念に調査が行われたそうです。それはやはり旧皇族や旧華族
ではなく、一般庶民からお后を受け容れるための最低限の条件
だったのではないでしょうか。

一方のスペイン王室では、全くそう言った段階を置くことなく、
フェリペ皇太子は、“恋愛”のみを一つの条件に、レティシア妃
をお后に選ばれたと言います。


その結果、どのような弊害が起きたか見てみましょう。
それには、まずレティシア妃の家族構成を覗いて見ましょう。


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へスス・オルティス と パロマ・ロカソラーノ 
 ・レティシア妃の両親。既に離婚

へスス・オルティス 
 ・ジャーナリスト。離婚後、アナ・トゴーレスさんと交際中

パロマ・ロカソラーノ
 ・準看護士か看護士の助手。労働組合に加盟。

アナ・トゴーレス
 ・へススさんの交際相手

レティシア・オルティス・ロカソラーノ
 ・へススさんとパロマさんの長女。ジャーナリスト。
 ・離婚歴堕胎歴あり。

テルマ・ロカソラーノ
・ レティシアさんの妹。
・ 目立つのが好き。

エリカ・ロカソラーノ
 ・レティシア妃の妹。未婚の母
 ・芸術学部卒、マドリードでいい仕事が見つからず、子供
 の父親と子供の3人で地方暮らし。

アントニオ・ビーゴ
 ・エリカさんの恋人兼子供の父親。エリカさん同様、芸術
 学部卒。


フランシスコ・ロカソラーノ(パコお祖父さん)
 ・定年後の元タクシー運転手。
 ・老後の楽しみは、バルで近所の人とのお喋りと酔った勢い
 のダンス



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ざっと見ると、どこにでもいそうなごく普通のスペイン人家庭です。
しかし、この一族がスペイン王室と縁組するとなると、どうでしょう?


1.レティシア妃のご両親の離婚は既成事実として、変えられませ
  んが、それでも式当日の体裁を整えるため、二人はまだ結婚 
  しているかのように、新婦の両親として婚約の儀や結婚式に参列
  することを求められました。

2.一般のスペイン人の結婚式の場合は、へスス氏の状況では、
 パロマさんではなく、アナさんをエスコートして、式に参列します。
 へスス氏も当初はそのつもりでした。しかし、レティシア妃と  
 サルスエラ宮殿が同意しなかったため、二人は正式に“入籍”
 し、“夫婦”となります。しかし、それでも“常識”よりは、“体裁”
 が重んじられ、アナさんは式に招待されませんでした。
 こう言ったやり取りの全てが、ダビードさんを通して、レティシア
 妃との間で行われました。レティシア妃は、決してご自分で父親
 やアナさんと連絡を取ったりしようとはしなかったそうです。
 アナさんは、結婚式後の行事には、少しずつ招待されるように 
 なりますが、最初の頃は、テレビカメラが回っているうちは、別室
 で控えるよう指示されるなど、差別待遇を受けていました。

3.エリカさんとアントニオさんには、二人が学生の頃に出来た娘が
 1人いました。そのため生活が不安定で、入籍もせず二人の子供
 を一緒に育てていました。マドリードで仕事が見つからなかったので、
 その頃は地方暮らしをしていました。そう言ったこと全てが、未来の
 皇太子妃の妹として、相応しくないと“レティシア妃”はみなしたよう
 です。そこでエリカさんとアントニオさんには、

 “フェリペ皇太子との結婚式前の入籍” を乞い、
 
 その後、王室のコネで、マドリードに職を紹介したそうですが、その
 職は、決してエリカさんの肌に合うものではなく、返ってストレス
 を溜めるばかりだったと言います。

4.アントニオさんも、体裁を整えるため、結婚式当時、職業は
 “陶芸家”と紹介されていました。それを読んだ私は、

 “陶芸家って言っても、どれくらいのレベルの???随分若いし、
 作品も何も紹介されていないし???”

 と疑問に思ったものです。これも誰の案だったのでしょう。

5.パコお祖父さんはスペイン人の典型的お年寄りでした。つまり、
 昼間からバルだ広場だ出掛けては、話し相手を探し、一杯やり
 ながら、お喋りを楽しむ。で、このパコお祖父さん、元々自慢の
 孫娘がテレビのニュースキャスターをしている、ってことでも、
 有名だったのでしょう。今度はその孫が皇太子妃になることになり
 ました。 自然、周りも色々話しを聞きたがり、パコお祖父さんも
 鼻高々に孫娘の昔話などしたに違いありません。途中からその中
 に記者やテレビカメラを持ったマスコミも入るようになりました。
 それでもパコお祖父さんは、嬉しくて孫娘の話を続けました。

 しかし、これがレティシア妃の怒りに触れました。レティシア妃は、
 ダビードさんを通し、家族全員に、

 “分別”と“沈黙”

 を求めました。

 6.へススさんとアナさんは、民事婚で結婚し、その後お互いの
 家族や友人を招いたパーティーを催しました。前述したように、
 ご両親の離婚以来、レティシア妃はへススさんとは距離を置いて
 おり、アナさんに関しては、存在自体抹消と言うほどでした。とは
 言え、皇太子と結婚するとなると、本音と建前は使い分けなければ
 なりません。レティシア妃もフェリペ皇太子とご一緒にこのパーティー
 にご出席されました。そして、その事実を聞きつけたマスコミが
 パーティー会場に駆けました。こう言うシチュエーションに置かれると、
 人は二通りのリアクションを取るようです。




↑建前の写真。左からフェリペ皇太子、レティシア妃、アナさん、
へススさん。(へススさんとアナさんの入籍後のパーティーにて)


 1.有名人になったと勘違いして、慎みの欠片もなく、マスコミに
  写真を撮られて喜ぶタイプ。
  (娘の結婚式で、勘違いして手を振っていたミドルトンママもこの
  部類ですかね。)
     ↓
  テルマさん、へススさん

パコお祖父さんが犯したように、レティシア妃の“分別”と“沈黙”の
掟を守れない人が現れると、通常レティシア妃からダビードさんを
通して、行いを正すよう要請が入ったといいます。


Los Ortiz-Rocasolano se llevan a escondidas una botella de vino
 
↑パーティー会場の入り口で写真撮影に気軽に応じるエリカさん。
へススさん左、アナさん右。 

 
2.パーティー会場の片隅で丸くなって、傍観しているタイプ。
     ↓
  エリカさん、アントニオさん、ダビードさん、パトリシアさん、


家族や一族の人々が、レティシア妃から注意されたのは、行い
や口を慎むことばかりではありませんでした。服装に至るまで、
注意されたようです。


La pedida de mano del Príncipe Felipe a Doña Letizia Ortiz el 6 de noviembre de 2003

↑こちらは、レティシア妃のご両親と妹さん、及びアントニオさんが、
初めてマスコミの前に姿を現した際の写真です。特にパロマさんに
顕著ですが、皆さん庶民の格好をしています。スペインでは、スーツ
を着て出勤する人が、日本ほど多くなく、そのスーツをきちんと
着こなしているヘスースさんは唯一の例外でした。




こちらは、ご家族が公に姿を現した2回目、つまりフェリペ皇太子と
レティシア妃の結婚式の写真です。左からケティお祖母さん、テルマ
さん、エリカさん、アントニオさん。パコお祖父さんはこの日のために
燕尾服をレンタルしたそうなので、アントニオさんも恐らく同じでしょう。
テルマさんとエリカさん、特にテルマさん、今回は衣装に気合を入れて
いますね。

でも、現実世界のエリカさんは、





Galeria-Erika Ortiz

↑娘のアマンダちゃんのお迎え。

と言う生活を送っていたのです。

しかし、ダビードさんによると、王室との付き合いは、婚約や
結婚式、後の王女方の洗礼式などの行事に留まらず、
皇太子家(+α)の誰かの誕生日パーティーにも宮殿に
招かれたそうです。そう言った誕生日パーティにもソフィア王妃
やエレナ王女らが同席されますので、それなりの服装を用意
しなければなりませんでした。

結果、最初のうちは、

“まあ、やってみようか。”’

と思っていたレティシア妃のご家族の面々も、経済的に逼迫して
いき、自由が束縛されて、精神的にも疲れ、この“ゲーム”を
楽しめなくなっていったと言います。

“玉の輿婚”、実家が企業家とか政治家とかだったら、何かしら
恩恵を受けることの方が多いのかもしれませんが、あまりに一般
家庭過ぎると、マイナス要因の方が多いようですね。