どこまでが事実かわからないまま | victim of mentally deranged person

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もともとがネットのことなので、当時仲のよかった人達が自分の居住地、年齢を明かしても、私はあまり信じていませんでした。重視もしていませんでした。

 

24時間、そのサイトにいない、私は私の生活があります。そのサイトで大きく分けると、厳しく人の個人情報も自分のも守る人、相当緩く、他人のも自分のも出す人です。

 

今のSNSでも、人物写真じゃなくても風景写真、食事の写真で特定できるのに、出す人は気楽に出します。出さない人は何一つ出さないし、出す意図がない。

 

最初、いろいろ唖然としたことはありますが、当時いくらそのサイトに夢中だからといって、精神病のその男みたいにネットの世界にはまりこんではいませんでした。そのサイトを利用するのは半年ぐらい休んで、ふらっと戻って、繰り返しでした。

その度に他のユーザーが変わっていくのを、外から楽しむ感じです。

 

運営しているのは大きな会社で、私たちはそれを利用しているだけです。それがその男にとっては、そのサイトだけでなく、別の有名なサイトでも、自分が仕切って運営しているかのようなことを言っていました。アカウントもいくつも作って、今も大量にあります。

 

ネットはその時も今も便利です。背景にあるものを出さず、人と交流したり、何かを教えてもらったりできるのです。精神病じゃなくても、その世界に閉じこもる人がそれまでにいました。

 

それがその人のすべてかどうかは本当のところ、誰も知らないのです。一緒に暮らしている人しかわからないことが実生活では多くあります。

 

正常であれば、これは虚構、これは事実という区別を持ちます。そうじゃないかもしれない、そうかもしれないというものは決めつけない。間違った時が恥ずかしい。

普段の生活でもそれがないのなら、すべてが虚構であり、都合のいいところは事実にしてしまうのが、その病気です。

 

ネット空間はその区別がないのですから、私も嫌気がさしてはやめるということになっていたのです。だいたい私は時間がそんなにありませんでした。鬱病だと、ネットするのもしんどい時期もあります。私は鬱病でも仕事もしていました。

どこに同じだけ、ネット利用する時間があるでしょう。

 

その隙間が別人を私にさせてしまうんです。この男は私が寝る間も惜しんで、そのサイトにいることになっていて、私がいないのなら、他の何か共通するものがあるユーザーが私になります。

その傾向に気がついたのは、最初でした。でも、同じにされた人に言って何かになりますか。

人から指摘を受けたのですが、私と間違われて不愉快な思いをしています、そう言ったら、その人が怒りや憎しみをぶつけるのは、精神病の見えない男ではなく、私になるのです。

 

まったく関係がないのに、そんな気持ち悪い変な男をこのサイトに引き込んで、不愉快な思いを持ってきた、そう言われました。その男と私もほとんど関係がないことも伝えました。

ネットであろうと、不愉快なことを言われたりされたりするのは、誰でも嫌なんです。

本当はあの親に、私が知っているから苦情を言っていても、知らない人たちがもっと不愉快な思いをしている事実を突きつけたかったのです。

 

このブログサイトにも、病んだ人が見知らぬ他人を傷つけたり、不愉快な思いをさせておいて、家族が仲良く暮らせたらいい、という、身勝手なことを書いている人がいます。

家族だけで暮らしているなら、家族だけで孤立してください。

他人との交流を欲したり、税金を使うことをしておいて、自分たちだけ、と言える親だから、子もそうなるのじゃないか、そう感じました。

 

どこの親でも、精神を病み、言うことのきかない、礼儀も知らない、場合によってはさもしい欲求を言葉や行動に出すものを排除するか、いいところだけ見て悪いところは他の人に任せたい。

でも、そうやって任せられた他人はどうしたらいいんでしょうね。

 

私は不思議でしかたないのです。精神病の子供ができたとしても、知的障害や、もっと重い病があっても、他人になんて任せられません。自分の子を育てる時、誰かに育児を任せて育てようなんて思いません。大人になり、人としての欲求が備わり、聞きわけがなく、自分の好きなようにする。それは、精神病じゃなくても、健康な青年でもいます。結局は精神病があっての対応ではなく、親がこの子がいると嫌だ、という、ものすごく残酷な感情を出しています。そうだからこそ、赤の他人の犠牲、被害は出てから考える、出なければいい、出たとしてもその人が我慢すればいい、そういう考えの未熟な親。

 

人に迷惑をかけることがあるのは、健常児でもそうです。スーパーで走り回る子供が大嫌いだから、子供と触れ合いたくないという人がいました。今もいます。そういう人にもし、子供だけが接してしまったら、どうなるかを先に考えます。何か起きてから考えるんじゃないんです。

子供にいろんな大人がいること、いつも守って来る大人だけじゃない、自分で判断がつかない時は親に相談すること。

そう言っても、親が信用できなければ相談しないでしょう。

相談されない楽な親、というのが、成長しても同じ親です。子供が成長すると逆転劇が起きる家がそういうものです。