ホテルからは、金沢城公園を抜けて行く
ちょうど良い散策路コースです
大手門側からの入口には、この様な看板が↑
城と庭のボランティアガイド
たっぷり50分も案内して戴けるのは、嬉しいですね
しかも、なんと無料です
1月~2月は土日のみですが
3月~12月は毎日ですよ(∩´∀`)∩
入口を入ると、一面にお庭が広がっています
こちらが、新丸広場
こちらはズームで撮ったものですが
奥に見えるのは、長屋でしょうか・・・
長屋ってもっと庶民的なイメージがあったのですが
さすがは、金沢城内ですね
滞在中にローカル番組で、前田家の参勤交代を特集する番組を見たのですが
その人数は主要メンバーのみで500人
その他もろもろのお付きの人まで入れると・・・・なんと4000人にも上ったそうです
そんな一戸集団が、石川県からはるばる東京まで
12泊13日の日程で、480Kmを歩いたそうです
お宿も団体予約という訳にいかない人数ですし、一大パレード?!
とにかく・・大変なものですよね
天守閣は気持ちが良さそうです
雪の後の朝という条件もあったのでしょうが
とにかく、空気が美味しい!
東京者には、も~うこたえられない美味しさです
思いきり深呼吸をしても、しても
足りないくらい、あまりの美味しさに息を吸いまくりんぐでした(*´Д`*)
さらにもう少し近づいて~金沢城をズームで
屋根の上に、少し雪が積もっているのがお分かりでしょうか?
やはり情緒がありますねぇ・・
先ほどの参勤交代のお話もですが
さすがは加賀100万石、大所帯での移動で
流行っていないお宿を指定されたり、お金をどこに落とさせる等
色々と江戸までのルールがあった様で・・・
各旗本が謀反を起こさない様散財させる目的はもちろん
日本全土に文化や経済を平均化させる等、徳川家康の策士ぶりには今でも感心させられます
中でも前田家は、一番お金を使った(散財させられた)そうですよ
当時は江戸にも、板橋に下屋敷、本郷に上屋敷があったそうで
板橋の下屋敷は、主に江戸入りしての御着替えと接待や歌会等のためのもので
お庭がほとんどを占めたらしいですが
その広さはなんと・・・・兼六園7つ分だったそうですから、それは壮大なものですね
22万坪の敷地には、石神井川が流れ、築山や滝まであったそうです・・
風流を愛する前田のお殿様とはいえ・・贅沢ですねぇ~ こちら↑は河北門
最近修理が完了したばかりだそうで
近くで見ると、かなり綺麗( *´艸`)
こうした建物が新しく感じるというのは、不思議な感覚です
母などは、昔と比べて色々綺麗になったりして風情が無い!
とブツブツ文句ばかり言っていましたが
やはり数百年単位ではメンテナンスは必須で
今までの間にも、一時的にピカピカだった時期はある訳ですから
言うは野暮というものでしょう そして↑こちがらが、金沢城と兼六園の見取り図です
今回は、兼六園へ向かう目的でしたので
ホテルがある大手門口から入り河北門を通り石川門を抜けたので
本当にごく一部分だけでしたが
こうして見ると、兼六園の倍近くある金沢城公園は本当に広く見応えがありますね
今度はゆっくり、金沢城公園内を散策したいと思っています 以前までは河北門が閉鎖されていたため
ホテルから大手門下まで歩いて
改めて坂を上って、兼六園を訪ねるというコースでいたので
今回は、かなり楽に辿り着くことが出来ました
そして、こちらが↑重要文化財にも指定されている石川門です
銅青(青い錆止めの色)、個人的に好きなのですが
ちょうど欄干の所の青と白壁、そして屋根に降り積もる雪のコントラストが
なんとも言えない好い雰囲気を醸し出していますね
兼六園側へ渡る橋の上からパチリ
この辺りでまた、何度も深呼吸
喉の奥を甘い風味が通り過ぎて行くような~本当に美味しい空気です
が、地元出身の母には全くピンとこない模様・・・(*^ω^A;)エー
この辺り一帯はカメラスポットらしく
脚立を立てて撮影される本格派の方から
ガイドに説明を受けつつ撮影する外国人
さらに、子供の様子をビデオで撮影するため
自由に動き回る子供に指示を出し続ける、賑やかな夫婦など
なかなかシャッターチャンスが難しい場所でもありました('∞'A;)シ干
その松の傍らを見ると・・↑この光景が広がっております
そう!この場所は、その名も眺望台
スマホのため、パノラマ撮影でお見せ出来ないのが残念ですが
本当に広々と、金沢とその向こうの山々が、富山との県境の医王山まで広がっている光景は
正に眺望に値するもの
その上空を、これまた伸び伸びt実に気持ち良さそうにトンビが飛んでいるのです
どうにか、彼をフレームに入れたかったのですが
先の子供の様に指示を出す訳にもいかず・・・惜しくも断念
そう言えば、ホテルの近くの民家前にカラスのエサ(専用ドライフード)を置いてあげているお家を見掛けました
カラスがそこへやって来て、大人しくエサをつついている光景で気付いたのですが
これなら、ゴミもあらされないのかも!?
兼六園内でもカラスを見掛けましたが
こちらでは本当に、鳥達も伸び伸び活き活き暮らしている様に見えます
小さい頃から鳥の様に自由に空を飛びたい と思った事がありませんでしたが
それは・・・東京生まれだったからかも?!こちらに来て、ちょっとその気持ちが分かった様な気がしました さて、先ほどの松の裏側が↑こちら
家族連れや外国人客に遠慮して、遠巻きにシャッターを切った先の画像と違い
裏側は、少し近くから撮れました
名物雪釣りに釣られた松の木は、またいつもと違った雰囲気がありますねー
それだけではなく
実は、木の幹や枝部分も樹齢を重ねる毎に多くの補助木に支えられているんです
その光景は人の介護とも重なる気がして、色々と考えてしまったり・・・
根上りの松という樹齢200余年の有名な松があるのですが
こちらは根が2mもせりあがっています、今回は見付けられなかったので
一つ↑の画像の松は、唐崎松
こちらが案内板になっています
13代目藩主の前田斉泰氏が
琵琶湖にある松の名所、唐崎から種を取り寄せて植えたそう
さすが伊達に?4000名の大所帯で参勤交代してませんね~( *´艸`)
そして、こちらには・・・
大きな穴の開いた様子が痛々しい、松の木が
横の立て看板にもある通り、松の傷
その名の通り、第二次大戦中に飛行機燃料が不足し
代替燃料とするため、松脂の提供を余儀なくされた事に所以するそう・・・
調べてみると・・・井之頭自然文化園の正門を入った正面の松も、同じ状態を強いられていました
痛ましい過去の傷、二度と繰り返してはならない歴史の生き証人として
貴重な姿を拝見し、人々の心に残っていくものと思われます・・・
最後に、こちらは↑兼六園内から見た尾崎神社
丸の内口の方から出る際に見掛けましたが
朱塗りが兼六園の緑に映え、美しいコントラストですね(*´▽`*)
そう言えば、昨年末12月10日
なんと・・!この尾崎神社にクマさんが出没したそうです
小熊ちゃんだったそうで卯辰山からエサを求めて~気付いたらここまで降りてしまった様で
当時、そのニュースをネットで知り、なんとか銃殺などされませんように・・・・せめて、麻酔銃で・・・・と祈る気持ちでおりました
今回ホテルまでの道中、タクシーの運転手さんに恐る恐る尋ねてみると
なんとその後、お母さん熊まで降りてきたそうです
いなくなった我が子を心配して探しに来たのでしょう・・・ますます胸が痛くなり、その後どうなったか尋ねると
その後は消息不明との事、どうやら無事にお山に帰れた模様
本当に良かったですε=(´◇`*)ホッ
食糧も少ないのでしょうが、どうか元気でいて欲しいものですね