相撲尽くしの二日間 | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

五月17日18日

「相撲尽くしの二日」という表題に引かれて

「日通旅行」催行の相撲の五月場所観戦 と相撲の舞台裏見物に

ジイジーと参加してきました

一日目

東京駅に集合→「元気亭」で元関脇鷲尾山(前、出羽海親方)の

話を聞いて昼食 →回向院→両国国技館で相撲観戦

→ホテル→ちゃんこ鍋「巴潟」→両国ホテル泊

二日目

両国ホテル→「出羽海部屋」の朝稽古見物→ホテル朝食

→深川町散策 (富岡八幡宮  成田山深川不動)→

築地 (すしざんまい)昼食と築地散策

 →汐留 (日本通運本社ビル会議室 第36代木村庄之助さんによる「行司さんから見た大相撲」

の講演を聞いた後本社ビル内の土俵で木村庄之助さんの所作の

実演見物→東京駅で解散

 

 

東京駅の八重洲口で全国から集まった人達が集合し、バスの添乗員さんの案内でバスの駐車場へそして両国に移動しました。

 

昼食をとる両国の「元気亭」

昼食は肉は使っていない有機栽培された食材で作ってある

和食であった :::が バアバーはチョット苦手でした。

 

 

元鷲尾山の石田佳員さんの講演を聞きました

相撲とりになったわけなどを話し、小さい体で如何に勝つかの努力、

相撲は 勝てばよいだけでなく  「心技体」が大切である。

またいかにお客さんが相撲を楽しんで貰えるかなどを工夫している

ことなどが印象に残っている 

 

 

 

このあたりをいつも散歩しているという元鷲尾山と両国の

町を散策 

 

忠臣蔵  吉良邸跡 へ

元吉良邸は広く(2555坪 )この界隈は吉良の中。

 

吉良上野介四義央の跡

 

 

工藤写真館へ

相撲の写真館であるが  

相撲写真資料館にもなっていて昭和初期からの力士の

写真が展示されている

 

 

回向院(えこういん)へ

 江戸時代から、国技館が出来る前の相撲の定場所だった。

 歴代相撲年寄の慰霊碑 「力塚」や 相撲には関係ないが

「鼠小僧供養塔」や「猫塚」などもありました。

 猫塚は、猫の恩返しの昔話があるようです

 

国技館の前は旗が並び道の両側に多くの人達が並んで

ごった返していました。自分の好きな力士が通るのを待ってい

るのだそうです

 

「キャーあおいやま」という声がきこえました。

振り向いてみました。 実に大きいです

 

国技館の中で 相撲が始まりました

力士のお名披露目です

十枚目土俵入りからみました

3時を過ぎるころからお客さんも増え お客さんの熱気がでて

彼方此方で自分の好きな力士の大応援の声が飛びます

高安と御嶽海戦では 長野県から来た小学生が長野出身の

御嶽海の垂れ幕を席に垂れ 「御嶽海」と叫んでお応援しています

しかしお応援むなしく高安が勝ちました。小学生の心を思ったのでか観客も一瞬息が止まった様に思いました。

立行司の足元も足袋 から草履もつけてるようになっていきます

 

夕食は「巴潟」で「ちゃんこなべ」を頂きました

漁貝ちゃんこで あっさりして美味しかった。最後のうどんも

素朴で農林61号で作ったうどんの様でしっくりいきました

相撲も熱気に 興奮してお腹もすいてちゃんこ鍋の写真を

とり忘れてしまった

 

ホテル前の力士の銅像と手形

手を合わせて見ると大人と幼児の手の様だった

 

 

 

二日目

朝食前に

「出羽の海部屋」の朝稽古を見に行きました

御嶽海も稽古場にでていました。若い力士が先輩力士に

何回も当たって行く姿は緊張感で稽古場が破裂しそうです

部屋の前で記念撮影をジイジー

 

 

 

朝食後深川散歩です

富岡八幡宮

 

 

横綱力士碑 大関力士碑がありました

 

巨人力士の実際の身丈の石 

 

日本一の神輿がありました

純金や宝石がちりばめた超豪華な神輿

 

成田山深川地蔵尊のお参り

天上絵が見事でした。

 

築地で「すしざんまい」で鮨の昼食

ジイジー曰く[米は我が生産米が一番」

 

築地の市見物

人混みの中で、白いワイシャツに黒いズボンの中学生が 4人でどんぶりにイクラとかマグロをのせ通路の端のテーブルで

嬉しそうに食べていた。 ソウチャンを連想した

 

 

汐留へ

日本通運本社ビル内で

第36代立行司 木村庄之助(本名、山崎敏廣)さんのお話を聞いた

警察官になりたかったそうですが、家族に誘導され、この道に

入ったそうで、厳しい修行に耐えここまで来たようです

まだ足袋がはけず 裸足で行司を務めるのは冷たく厳しかった。

 

五月に開聞岳に登った時、 枕崎の近くに行きましたが、そこの

ご出身だそうですが、見て来た地を思い起こしお人柄に地と通じる

ものを感じた

 

最後に記念撮影をさせていただきました

 

沢山の相撲のミアゲ菓子を頂いて、東京駅から走って

目的の電車に乗り込みました。

 

元鷲尾山、36代木村庄之助さんの話を聞いたことや

また二日間 日通旅行の方が色々と説明してくれたことで

個人旅では味わうことができない相撲三昧の旅となりました。

これからは相撲に関心をもって見たいと思いました