花の刈羽三山(米山 八石山 黒姫山)  -新潟県ー その一米山 | おばあちゃんと 一緒に

おばあちゃんと 一緒に

遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

五月三日から四日刈羽三山に登ってきました

三月に大力山 こちら に登った時 刈羽三山を眺めました。
その時地元の山岳会のグループから刈羽三山の魅力の
お話を聞きました。 そこで今回の山旅になりました

一日目3日
米山(標高993)
米山は新潟柏崎地方の民謡の米山甚句で知られている
登山道は幾つかある が水野林道登山口から登った
林道は雪回路もあるところも走り


林道行きどまりに広い駐車場がある。
この登山道は頂上までの距離が短いので人気があるらしく
すでに駐車場は満杯状態 やっと隅に一台置けた

登山口からは階段を上っていく


すぐにカタクリ野お出迎え カタクリ街道の中の階段を高度を上げて登る


ぶなの林になり「やくしの杜」と書かれた朽ちた標識が横たわっていた
国有林だそうです
ぶなの新緑が春の息吹を感じます 


タムシバ

イワカガミ


ぶなの」緑にピンクのイワカガミガいっそう可憐


下牧登山口と水野登山口の分岐


地蔵河経っていました


泰澄禅師 の の豆知識 の案内版  によると
泰澄の豆知識 の案内板 空の概略
泰澄は682年 越前の国(福井県9に生まれ、修行をし、その後白山に
登り山岳信仰 を基に「神道、密教、道教」等を統合した
和銅5年(712年)弟子の沙弥を連れて、当時「五輪山」と呼ばれていた
米山に来た.「之薬師如来の浄土なり」と悟り修行重ねた
沙弥は飛発鉢の術の心得があり 鉢崎沖(米山町)を航行する船に、
必要最小限」の米と塩をい頂いていた。 ある日出羽の国(山形県)
上部清定が献上米を積んで京に向かって航行していた。沙弥は
いつものように「少々のお米を」とお願いした  清定は邪険に」断ると
沙弥が何かを唱えると 船に積んであった米俵が」「五輪山」に飛んで
いったその後この山を「米山」と呼んだ という



キジムシロが出てきました


避難小屋



オオカメの木

ショウジョウバカマ


登山道の雪が溶ケ初めて みずが流れている


最後の雪道


雪椿を眺め最後の登り


頂上できねんs厚栄


海岸線がみえます

小屋
海を眼下に見ながらお弁当を食べて、下山


登った道を下りました

雪渓のところにマンサク


カタクリに別れを告げて 登山口に下りました


ぶなの美しさと花を楽しみ 頂上から海が見えた のはなおかんげきした

柏崎駅近くのホテルまで海辺を遊んで」帰ることにした
海岸からみる米山


海岸にハマエンドウ咲いていた


車で走る道端を 黄色に染めている花 


柏崎市の海浜公園
広いかった


白のハマナス




遠く米山さんを背に咲くハマユウ

米山は北陸自動車道を走るたび眺める山だったのだが今回登る事が出来た
一日目無事登山終了しました