娘親子と同居するようになって、本来の仕事は、ことに孫の春休みともなれば、
主人にお任せしかしそうも言ってられず朝早く手術だけ済ませ、
孫娘の春休みに何か思い出をつくってあげたいと言う
娘の親心で、4月1日に娘親子と高崎の白衣観音様に行ってきた。
郷土のことを歌っている上毛カルタを上州で育った者は
知らないものいないいと断言していいほど、子供のときから
親しんでいる。そのカルタの中に「白衣(びゃくい)観音慈悲の御手」
と歌われている。観音様の顔を見上げていると何とも穏やかな
気分になり、カルタの言葉どうりだなと思う
観音様は高崎の市街地から2キロ位の観音丘陵地にたっている。
子供のとき幾度となく父に連れられ、また姉と初めて電気
自動車に乗ったのもこの観音山である。母は高崎の田舎の出で
「佐野の渡しの話」と「白衣観音様のまつわる話」を幾度となく
私たち姉妹に話してくれた。特に観音様は誰がモデルか?興味深い。
母の説は山田五十鈴といっていたが果たして本当なのかは分からない。
今は山の中が良く整備されつり橋
も作られ、起伏があり遊歩道として楽しむ事が出来る。
染色館、などもあり染料に使う木も標本として植えて
あり、興味い。子供が小さいとき栄えたカッパピア(遊園地)は
廃業状態であるが、孫も山を歩いた気分になり、楽しんだようである。
娘がが小さい時何度か来ているが娘は覚えていないと、
そして娘が一番楽しんだのはお母さんじゃないと言った。
小さい時からの色々の思い出、何年前であろうか観音山で見た焚き能、
と、観音山は私にとって一つの心のオアシスなのかもしれない。
洞窟観音まではいけなかったが、またの楽しみが出来た。