昨 日、とうとう一匹のワンちゃんが16歳7ヶ月の生涯を閉じた。
夕方ハッピーちゃんのお母さんから「今 死にました」と、とってもあっさりとした声で電話があった。
私はハッピーちゃの丸々した瞳を思い出しながら、「あともうすこし、10日すればお父さんが帰ってくるに、待てなかったのね」とつぶやいた。
このワンちゃんは約4ヶ月くらいの時、今のお父さんお母さんの所に迷い込んできた。お母さんは「ちっとも帰らないから、家が気にいったんだろうから、飼ちゃった。」といって私のところに、健康診断にきた。
お父さんとお母さんは狆と猫を飼っていたので、ハッピーちゃんが迷いこんだ時は困ちゃったといっていた。
この時にお母さんは「名前も付いてないんだけど、先生どうしょう、何がいいかねー」といった。
私は「そおねーこんないい両親の所に来たんだから、ハッピーちゃんね!ハッピーちゃんどう?」といって「ハッピー」と言う名前が付き、私が名づけ親となった。
ハッピーちゃんは前からいる狆が家の中で威張っているので、外で飼われることになった。時々お母さんがハッピーちゃんだけを連れて散歩すると、独り占めできた嬉しさで、ピヨン と跳ねる。その仕草が、お母さんは、嬉しいと私に「こうして跳ねるのよ」と手で跳ねる仕草をして話してくれた。
;春になると私のところにお母さんお父さんに連れられて、お兄さんの狆と一緒に、色々の病気の予防をするためにやってくる。狆がこの家族の中で一番偉くお父さんが「俺より威張ってるんだから、やんなちゃう」と言いっていた。大変な騒ぎで予防注射をする。そんな様子をハッピーちゃんは、狆やお父さんお母さんの顔を交互に真ん丸い瞳で少し頭をかしげて、見て おかあさんの周りやお父さんの周りをちょろちょしている。その様子が「どうしたどうした」といっているようで可愛かった。
狆が15歳8ヶ月で死んだ時、ハッピーはお母さんに、狆がいないどこに行ったのと言っているよううに、お母さんの顔を見て落ち着きがなくなり餌も食べず、3日間くらいお母さんを困らせた。
ハッピーちゃんも年を取り心臓が悪くなった。去年の夏ごろはお母さんもお父さんもこの夏は越せないだろうといっていた。そしてお父さんが遠くに転勤になる、暮れにはもういないかもしれないから「私も一緒にお父さんと行けそう」とお母さんは半分あきらめていた。
それでもお母さんは秋ごろから寝たきりになったハッピーちゃんを色々工夫して世話をしてやった。とうとうお父さんが赴任する暮れになった。ハッピーちゃんは寝たきりといっても食欲旺盛である。お父さんは一人で赴任地に行った。
今年の四月になってから食欲が落ち始め、お母さんはここまで来たからお父さんが帰ってくる四月の末まで生きていて、お父さんに会わせたいと、一生懸命看病した。しかし、とうとうお父さんの帰りまでは待つことなく旅立ってしまった。
ハッピーちゃん、あなたは本当によいお父さんとお母さんのところに来てよっかったね。幸せだったね。お母さん、お父さんにもいっぱい思い出をつくってくれたね。私もあなたの仕草、瞳は忘れませんよ。また狆ちゃのところで仲良く暮らしてくださいね 。さようなら ハッピーちゃん
私達は日常飼い主さんと、可愛い伴侶動物が亡くなったとき、自分の気持ちをどうするかを話す。その時にならないと分からない話ではあるが、必ず自分より短い動物の命であるから「死」からは逃れることは出来ない。話すことによって、その時自分がどうすれば心を少しでも癒す方向を見出していけるかを考えるきっかけになればと思うのである。そこで一冊の本を紹介している。いぬの話ではないのですが、心理学者が奥さんを亡くした体験に元ずいて書いているので、伴侶動物を飼っている人達にも参考になるのではないかな~と思っている。
相川充著 「愛する人の死、そして癒されるまで」 大和出版