今日は3連休の初日。
ですが、かかりつけのお医者さんに行ったくらいで、ここの所の暑さであまり練れていなかったこともあり、昼寝をして時間を浪費状態…。
ところで、昨日のブログにも書いたとおり「越前たけふ」駅の近所まで出張してきました。
北陸新幹線「越前たけふ」駅の改札
ここでは、大阪でよく見るインバウンド旅行者の姿もかけず静かでした。
12時から13時30分にかけて現地で作業を行った後、遅めの昼食に。
「越前たけふ」駅は、在来線の「武生」駅とも離れており、駅の周囲は田んぼが広がり、食事できるのは唯一隣にある商業施設の「道の駅越前たけふ」のみ。
「道の駅越前たけふ」にある海鮮レストラン越前松丸の天ぷらそば
越前そば、結構美味しかったです。
昼食が終わったら、約50分ほど新幹線を待った後に移動します。
「越前たけふ」駅のホーム
北陸新幹線の駅は、雪対策なのか駅全体が屋根に覆われていますね。
ここから「敦賀」駅は一駅、10分ちょっとの移動です。
今から職場に帰ってもすぐに就業時間が来るので、敦賀で少々散策をします。
往路で撮影した北陸新幹線「敦賀」駅のホーム
「敦賀」駅で途中下車し散策開始です。
しばらく歩いて、たどり着いたのはコチラ。
「気比神宮」の大鳥居
古の敦賀が大陸の玄関口であった約2000年前から鎮座する、由緒ある「気比神宮」です。
「気比神宮」の外拝殿
荘厳な雰囲気が漂う境内を回ります。
境内にある「長命水」に設置されている亀の形の出水口
「気比神宮」を出て、次を目指します。
海が見える所まで歩いていくと、ノスタルジックな建物にたどり着きます。
「敦賀赤レンガ倉庫」
中に入るとレストラン館とジオラマ館になっており、ジオラマ館には昭和の敦賀の街が再現された大きなジオラマが設置してあり、気動車や蒸気機関車、バスまでが走り、海には船が動く壮大なものでした。
この赤レンガ倉庫は「紐育スタンダード石油会社」の倉庫として明治38年に建造されたもので、当時の繁栄の名残りが感じられます。
「ジオラマ館」の大きなジオラマ
ここには映っていませんが、左側には北陸本線のループ線があり、右側には北陸本線旧線のスイッチバックが再現されていました。
一通り見学し、海側に立つ建物に移動します。
「敦賀鉄道資料館」
この建物は旧敦賀港駅を再現したもので、平成11年に建てられたものです。
日本海側に最初に鉄道が敷設された地であり、戦前はシベリア鉄道を経由した欧州往来の中継点として栄えた地としての歴史が鉄道を通して紹介されています。
この辺りは「金ヶ崎」という地名で、この建物の北側に旧「敦賀港」駅がありました。
戦前は、「東京」駅からこの「敦賀港」駅まで直通の旅客列車が「欧亜国際連絡列車」として運航され、敦賀港から露国の浦塩斯徳(ウラジオストク)を繋ぐ貨客船との乗り換えが行われていました。
この列車は日華事変が泥沼化した昭和15年に旅客営業が廃止され、それ以降は貨物駅となり平成21年3月まで貨物列車が運行されていました。
敦賀を挟んだ北陸本線の北側は、在来線最長の北陸トンネルの開通によりスイッチバックが廃止され、南側も深坂トンネル・新疋田駅の新線に切り替えられるなど、線路の改良が続けられてきましたが、その辺りの解説もしっかりなされていました。
海沿いを西側に行くと、敦賀倉庫の古いコンクリート倉庫がありました。
「敦賀倉庫」の「旧敦賀倉庫株式会社新港第一号・第二号・第三号倉庫」
この倉庫群は、昭和8年に建造されたもので、有形文化財に指定されています。
こちらも、敦賀港華やかりし頃の名残りとして、残してほしい建物ですね。
この向こう側は、港なので当然の如く船舶がいます。
それらは次回に取り上げることとして、良い時間になったので敦賀駅に引き返します。
敦賀の街は、駅前から続く商店街に多数の松本零士氏の著作である「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像が設置されています。
帰り道で「メーテル」を見かけたので、パチリ。
「メーテル」越しの敦賀駅と駅前商店街
少々駆け足でしたが、敦賀の歴史を巡る散策となりました。
当日は、職場の若手と二人でしたが、若手社員も快くついて来てくれ、感謝しています。
今回の散策では、幸か不幸かインバウンドの旅行者はほとんど見かけず、ゆっくり見て回ることができました。
そして出張の〆は、敦賀駅から大阪へ帰る特急サンダーバードの中での一杯!
若手社員の選んだおつまみ「焼き小あじ」、レモンが効いて美味かったです!
これで、今回の出張記(あくまで主目的は仕事ですよ)を終わります。
お読みいただき、ありがとうございました。