ギリシャで語り継がれる貨物船「Tokei Maru」の逸話 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今日は、午前中に義姉の家にPCを設置してきました。

天気は良いんですが、暑い!!!

午後は外に出たら死にそうなので、午後は家で大人しくすることに。

 

今回取り上げる船は、日本国内では全くと言っていいほど無名な船ですが、欧州・ギリシャでは非常に有名な船です。

その船は「東慶丸(とうけいまる)」と言います。

 

「東慶丸」は、明治25年12月に英国・ニューキャッスルのW.Dobson&Co.で進水した貨物船で、当時の船名は「ラ・セレナ」でした。

【要目(「東慶丸」)】

 総トン数:2,271.61トン、積貨重量:3,500トン

 垂線間長:85.34m、型幅:11.55m、型深さ:7.92m

 主機:3連成レシプロ機関×1、主缶:円缶×2

 出力:1,000馬力、速力:(最大)10.0ノット、(航海)9.0ノット

 客室定員:(1等)2名、(3等)10名

 ※引用:「日本汽船件名錄(第八版)」日本汽船件名碌発行所、1921年3月、P.175

     「船の科学 1995年12月号」船舶技術協会、1995年12月、P.15

 

大連東和汽船・貨客船「東慶丸」

(引用:「船の科学 1995年12月号」船舶技術協会、1995年12月、P.15)

 

「ラ・セレナ」は、C. ハッチンソン社により運航され、明治32年4月には西オーストラリアで座礁し沈没、後に浮揚され修理を受けています。

修理完了後、アデレード・スチームシップ社に売却され、「モンタナ」と改称します。

 

大正4年には大連の東和公司が購入し「東慶丸」と改称、翌5年には大連東和汽船に移籍します。

 

大正8年7月からは三菱商事が傭船し、大正10年頃まで神戸-漢口線をメインに運用されたのち、大正12年からは開灤炭鑛(唐山)に傭船されます。

 

昭和5年12月18日には、石廊崎灯台の南西4浬で機関が故障し航行不能となってしまい、近海郵船の「神隆丸」(3,175総トン)に曳航され静岡・清水の金指造船で修理を受けています。

 

しかし、不況により昭和6年1月から神戸で係船状態となり、神戸の宮地商店に売却され解体されました。

 

この経歴だけを見れば、特筆することはありません。

 

ですが、「東慶丸」は大正10年9月には地中海にありました。

この時の地中海東部のエーゲ海沿岸では、第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン・トルコ帝国に対し、英国の後ろ盾を受け大ギリシアの再来を目論むギリシャが攻勢をかけたことで「希土戦争」が勃発します。

大正8年5月に、トルコのスミルナ(現・イズミル)に組織されていたギリシャ人の共同体を安全確保を名目に、ギリシャ軍がスミルナに上陸たことから始まり、スミルナを占領したギリシャ軍は、さらに進撃してアンカラに迫ります。

 

これに対し、トルコではアンカラで組織されたトルコ国民軍が反抗し、大正11年9月にはギリシャ軍をスミルナまで押し戻し、同年9月9日にはイズミル奪還を果たします。

 

大正11年9月14日・伊国船から見たスミルナ(イズミル)の火災(引用:Wikipedia)

(By Unknown author - Auction at karamitsos.com, Public Domain, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4394313)

 

この時、スミルナを占領していたギリシャ人や、トルコ軍の迫害を恐れるアルメニア人らが難民となり船でギリシャへの脱出を図りますが、各国の船が自国民を優先して乗船させたことから難民の乗る船がない状況となります。

 

この時、日本の商船「Tokeimaru」が積み荷を投棄し難民を乗船させ、毅然とした態度でトルコ軍による難民への手出しを牽制し、約800人のアルメニア人やギリシャ人らを救出した、と生存者の証言や当時の報道で伝えられています。

 

この出来事の後、ギリシャでは「Tokeimaru」の行動が伝承されていたものの、どんな船だったのか、誰が船長だったのか等の詳細については、長らく判明していませんでした。

 

この伝承に対し、ギリシア近現代史の研究者である東洋大学の村田奈々子教授の調査により、「Tokeimaru」は大連東和汽船の「東慶丸」であろうということ、当時の船長が現在の南知多町出身の日比左三氏であることを解明します。

また、日比左三船長の母親は熱心なキリスト教正教会の信者であったことも判明しています。

 

スミルナで難民を乗船させる「東慶丸」と思われる商船

(引用:「記憶と歴史 ─1922年のギリシア系正教徒難民のスミルナ脱出と日本船をめぐって─」

東洋大学文学部紀要・史学科篇、村田奈々子、2020年3月、東洋大学、P.179)

 

この写真には、左側に「スミルナ(イズミルの旧称)1922年9月8日」、右側に「ギリシア軍撤退時の日本の汽船によるギリシア人とアルメニア人の救助」と手書きされています。

 

この出来事は多くのギリシャ人の間で語り継がれており、平成29年にはギリシャの映画監督ザホス・サモラダスによって「Tokei Maru」という名前の短編アニメ映画が制作されています。

 

この一連の救出劇は、まだ真相は解明されておらず、村田奈々子氏の論文では状況証拠から「東慶丸」であると推定されている状況ですし、救助に当たったのは1隻ではないかもしれない、とも記載されています。

 

日本国内では、あまり知られていない話ではありますが、ギリシャでは語り継がれている物語のようです。

私も、昨夜ネットで色々見ていたうちに、たまたま見つけたニュース記事で初めて知りました。

 

今から100年ほど前の日本人の毅然とした行動が海外で現在まで語り継がれていること、その主役と思われるのは日本では全くと言っていいほど知られていない船であること、この逸話は国内でもっと知られても良い話ではないかと思い、取り上げてみました。

 

【参考文献】

 Wikipedia および

 

 「日本汽船件名錄(第八版)」日本汽船件名碌発行所、1921年3月

 ※国会図書館デジタルコレクション 書誌ID:000000561942

 

 「船の科学 1995年12月号」船舶技術協会、1995年12月

 ※日本船舶海洋工学会 HP「デジタル造船資料館」

 

 東洋大学文学部紀要・史学科篇、2020年3月、東洋大学

 ※HP「東洋大学学術情報リポジトリ」