昨夜は上司の異動に伴う送別会でした。
2次回まで行き、お開きは10時過ぎ。おかげで今日は若干二日酔いです。
今回は軍艦を取り上げます。それも米国海軍の戦艦「ミシシッピ(BB-41)」です。
戦艦「ミシシッピ(BB-41)」は、「ニューメキシコ(BB-40)」級戦艦の2番艦として1915年4月にバージニア州のニューポート・ニューズ造船所で起工され、1917年12月に就役しました。
【要目】
基準排水量:32,000トン、全長:190.3m、幅:29.7m、吃水:9.1m
機関:ギヤードタービン機関×4、推進軸:4軸
主缶:バブコック・アンド・ウィルコックス缶×9
出力:27,500馬力、速力:21ノット、乗員:1,084名
兵装:35.6cm50口径3連装砲×4、12.7cm51口径単装砲×14、
76mm50口径単装砲×4、53.3cm魚雷発射管×2
装甲:水線:343mm、甲板:89mm、砲塔前盾:457mm、
砲塔天蓋:127mm、司令塔:406mm
※引用:世界の艦船別冊「アメリカ戦艦史」別冊第28集、No.417、1990年1月、海人社、P.66
およびWikipedia・英語版
米国海軍・戦艦「ミシシッピ(BB-41)」(引用:Wikipedia・英語版)
(By Unknown author or not provided - U.S. National Archives and Records Administration, Public Domain,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63567663)
「ミシシッピ」を含む「ニューメキシコ」級戦艦は、当時の英国海軍戦艦の標準であった「籠マスト」を前後に備え、米国海軍戦艦として初めて水線上の艦首が突き出す形状の「クリッパー型」艦首を採用した戦艦でした。
就役した「ミシシッピ」は、米国東海岸で訓練の後、太平洋艦隊に所属されます。
1924年6月12日には、米国西海岸・ロサンゼルスのサンペドロ沖で砲撃訓練中に、第2砲塔で爆発事故を起こし砲塔配置の44名と救助隊4名が死亡するという、当時の米国海軍における最大の事故を起こしています。
1931年3月からノーフォーク海軍工廠で大規模な近代化改修が行われ、前後の籠マストを撤去し変わりに塔型の前後楼が設置され、対空兵装も強化されます。
また、主機・主缶も換装され、ガラリと印象が変わりました。
【要目(改装後)】
基準排水量:33,960トン、全長:190.3m、幅:29.7m、吃水:9.1m
機関:ウェスティングハウス製ギヤードタービン機関×4、推進軸:4軸
主缶:急速ボイラー×6
出力:40,000馬力、速力:22ノット、乗員:1,443名
兵装:35.6cm50口径3連装砲×4、12.7cm51口径単装砲×12、
12.7cm25口径単装高角砲×8
76mm50口径単装高角砲×4、53.3cm魚雷発射管×2
装甲:水線:343mm、甲板:140mm、砲塔前盾:457mm、
砲塔天蓋:127mm、司令塔:406mm
※引用:Wikipedia・英語版
近代化改装後の「ミシシッピ(BB-41)」(引用:Wikipediaコモンズ・英語版)
(By U.S. Navy - Official U.S. Navy photo NH 97362 from the U.S. Naval History and Heritage Command, Public Domain,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2633514)
1941年6月には、「ミシシッピ」は北大西洋に進出しアイスランドのクヴァールフィヨルズルへ向かう船団を護衛し、9月末から2ヵ月間アイスランドを拠点とします。
そして、1941年12月の帝国海軍による真珠湾攻撃により米国太平洋艦隊の戦艦群が壊滅すると太平洋に転戦することとなり、1942年1月にはサンフランシスコに到着し演習及び船団警護に従事します。
この後ハワイ真珠湾へ進出し、1942年12月から1943年10月にかけてアリューシャン方面、ギルバート諸島などの帝国陸海軍との戦闘に参加します。
しかし、1943年11月20日にマキンへの砲撃を行っている中で、再び砲塔で爆発事故を起こし43名の犠牲者を出しています。
それでも太平洋方面各地での攻略作戦支援として艦砲射撃を行い、1944年夏にピュージェット・サウンド海軍造船所でオーバーホールを受けます。
復帰後の「ミシシッピ」は、フィリピン攻略戦に参加し、1944年10月24日の夜には戦艦群の旗艦としてスリガオ海峡海戦に参加し、帝国海軍の西村艦隊を迎え撃っています。
1945年1月6日にリンガエン湾への艦砲射撃を行った際、帝国陸軍特別攻撃隊一誠隊の一式戦「隼」に突入され、水線部付近を損傷しています。
フィリピン・ルソン島を砲撃する「ミシシッピ (BB-41)」
(引用:Wikipediaコモンズ・英語版)
(By National Museum of the U.S. Navy - 80-G-301229, Public Domain,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70769915)
真珠湾に帰還し修理を受けた後、沖縄戦の支援に加わりますが、1945年6月5日には帝国陸軍飛行第17戦隊の三式戦「飛燕」の突入を受け損傷を受しています。
終戦後の「ミシシッピ」は、相模湾に向かい占領業務に従事、その後東京湾で降伏文書調印式に参加した後に米国へ帰還します。
1945年10月・米国に帰還しミシシッピ川を航行する「ミシシッピ(BB-41)」
(引用:Wikipediaコモンズ・英語版)
(By U.S. Army Signal Corps - Official U.S. Navy photo SC-215864 from the U.S. Naval History and Heritage Command,
Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1168788)
第二次世界大戦の終結に伴い、米国海軍では不要となった旧式戦艦の解体や原爆実験等への投入などによる廃棄を進めますが、1946年2月に「ミシシッピ」は砲術練習艦(AG-128)に種別を変更し、1947年7月まで改装工事を受けます。
この改装により、1・2・3番主砲塔を撤去し、残る第4砲塔も使用停止とされました。
12.7cm連装砲塔は右舷側にまだ残されたものの、その他の火砲もほとんどが撤去されました。
米国海軍・砲術練習艦「ミシシッピ(AG-128)」(引用:Wikipediaコモンズ・英語版)
(By U.S. Navy - Official U.S. Navy photo NH 86646 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command.
Transferred from en.wikipedia by SreeBot, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=133544698)
「ミシシッピ」で最初にテストされたのは、第二次世界大戦後期に米国海軍のCXHRプロジェクトとして開発された長距離 3 次元航空捜索レーダーである「SXレーダー」で、このテストは成功を納めSXレーダーは実用化されます。
その後、Mk16 15.2cm連装砲の試験プラットフォームにするととなり、以前の1番主砲塔の位置にMk16砲塔が設置され、試験がおこなわれました。
Mk16 15.2cm連装砲が装備された「ミシシッピ(AG-128)」
(引用:HP「wwiiafterwwii WWII EQUIPMENT USED AFTER THE WAR/AMissile ship Mississippi」)
試験後のMk16は、「ウースター」級軽巡洋艦の主砲として採用されています。
そして、1952年にはバンブルビー計画と名付けられた世界初の艦載地対空ミサイル (SAM) の試験艦となるべく、ノーフォーク海軍造船所にて再度改装が行われます。
この改装により、戦艦の名残であった主砲の第4砲塔を撤去し、後部甲板にRIM-2テリアミサイル・Mk10 連装発射装置2基とテリア弾倉の設置され、1953年1月28日から29日にかけて発射試験が行われ、大成功を納めます。
「ミシシッピ(AG-128)」に装備されたSAMテリアミサイル
(引用:HP「wwiiafterwwii WWII EQUIPMENT USED AFTER THE WAR/AMissile ship Mississippi」)
さらに、1956年2月にレーダー誘導兵器ペトレルミサイルの試験を行い、所定のミサイル発射試験が終わった1956年9月に「ミシシッピ」は退役しました。
1955年・ニューヨークにおける「ミシシッピ(AG-128)」
(引用:HP「wwiiafterwwii WWII EQUIPMENT USED AFTER THE WAR/AMissile ship Mississippi」)
この元戦艦である「ミシシッピ」で行われた、大口径の主砲を撤去した所に設置されたミサイルを発射するという一連の試験は、艦載兵器の「新旧交代」を象徴する出来事で、以降艦載兵器の中心はミサイルに取って代わり艦艇の大口径主砲は急速に姿を消していきました。
テリアミサイルを発射する「ミシシッピ(AG-128)」(引用:Wikipedia)
(By USN - Official U.S. Navy photograph 80-G-K-17878 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command,
Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1502936)
そして今では、VLSと呼ばれる垂直発射のミサイルランチャーが主流となっており、主砲は比較的小口径の単装砲となっています。
護衛艦「あたご(DDG-177)」のVLS
護衛艦「しらぬい(DD-120)」の12.7cm主砲
戦艦の時代に引導を渡したのは、戦艦全盛時代に建造された戦艦「ミシシッピ」であったことは、艦艇史における象徴的な出来事に思えます。
【参考文献】
Wikipedia(英語版含む) および
【Web】
HP「wwiiafterwwii WWII EQUIPMENT USED AFTER THE WAR」