戦前に設置された「軍艦防波堤」か?駆逐艦「樺」 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

先月訪問した「軍艦防波堤」に引きずられ、その他の軍艦防波堤についてネットで検索すると、ある防波堤に興味を惹かれました。

 

北九州市若松区の旧二等駆逐艦「柳」の船体を使用した「軍艦防波堤」

 

戦後、防波堤として使用されたのは、次の通りです。

一等駆逐艦「澤風」「汐風」:宮城県女川港

一等駆逐艦「冬月」「涼月」、旧二等駆逐艦「柳」:北九州市若松港

一等駆逐艦「矢竹」(未成):東京都八丈島神湊

一等駆逐艦「桂」(未成):福島県小名浜港

一等駆逐艦「栃」(未成)、旧二等駆逐艦「竹」、海防艦「伊唐」:秋田県秋田港

一等駆逐艦「春風」:兵庫県竹野港

雑役船「大須(旧二等駆逐艦「柿」)、雑役船「三高」(旧二等駆逐艦「菫」)、海防艦「第五十七号」:山口県宇部港

※引用:「ファイナンス : 財務省広報誌 1973年11月号」P.83

    うち「戦後財政史 艦艇解撤 旧日本海軍艦艇解体作業 縣賢一」

まだあるかもしれませんが、「世界の艦船」別冊、福井静夫著「終戦と帝国艦艇」などを見ても、記録があるものはこの一覧になります。

 

今回興味を惹かれたのは、この一覧に載っていないものです。

その艦は「樺」という名の二等駆逐艦です。

二等駆逐艦「樺」は、大正3年7月に勃発した第一次世界大戦に際し駆逐艦が不足していた帝国海軍が、臨時軍事費により10隻の建造を進めた「樺」型のネームシップとして、大正3年12月に横須賀海軍工廠で起工され、翌4年2月に進水、3月に竣工しています。

【要目】

 基準排水量:595トン、全長82.9m、水線幅:7.3m、吃水:2.4m
 機関:直立式三連成レシプロ蒸気機関×3、推進軸:3軸

 主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×2、同(重油・石炭混焼)×2
 出力:9,500馬力、速力:30ノット、乗員:94名
 兵装:12cm40口径単装砲×1、8cm40口径単装砲×4、45cm連装魚雷発射管×2

 ※引用:世界の艦船別冊「日本駆逐艦史」別冊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P.42

 

二等駆逐艦「樺」(引用:Wikipedia)

(不明 - 日本駆逐艦史より, パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5157900による)

 

「樺」は一番起工から竣工まで105日という驚異的なスピードで建造され、当時の世界最短記録となっていたそうです。

竣工後の「樺」は第一次世界大戦に従事したのち、大正7年12月から大正12年5月までは台湾の馬公要港部を本拠とし、その後は大正14年4月まで旅順防備隊に所属していました。

 
大正7年12月・佐世保における「樺」
(引用:「日本海軍全艦艇史 下巻」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.527)
 
そして「樺」は老朽化により昭和7年4月に除籍されますが、その後の「樺」の状況は調べてみましたが、よくわかりませんでした。
機関部の状態が悪かったのか廃駆逐艦として計上されることもなく、また雑役船として練習船に使用されることもなかったようです。
 
この「樺」が軍艦防波堤とどう関係するのか。
「歴史群像PREZENTS デジタル歴史館」というブログの「政策こぼれ話/片島魚雷発射試験場(歴史群像149号)」に次のような記載がありました。
 
『廃艦となった二等駆逐艦「樺」を用いて昭和8年(1933)6月に完成した船舶碇泊用防波堤(現・三越漁港防波堤)』
これは写真の説明文なのですが、長崎県多奈川町の片島に作られた「片島魚雷発射試験場」の船舶停泊用の防波堤として設置された、というのです。
 
この場所は、長崎県の大村湾北部沿岸で、佐世保市にも近く、JR大村線のハウステンボス駅からから2駅諫早寄りの「小串郷」駅の近くにあたります。
 
 
「片島魚雷発射試験場」付近の地図・黄色□は拡大図のエリア
 
「軍艦防波堤(駆逐艦樺)」の記載のあるGoogle Map
 
ここには、大正7年に佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で作られた魚雷の最終試験場として魚雷試験場が置かれました。
 
施設は徐々に拡張され、魚雷や資材を搬入する港を拡張する必要に迫られ、除籍された「樺」に白羽の矢が立ったのではないかと思います。
 
大東亜戦争に突入すると、昭和17年初には佐世保海軍工廠の川棚分工廠が設置され、さらに翌18年には川棚海軍工廠として独立するなど、帝国海軍の拠点のひとつとなっていました。
 
昭和22年11月・片島付近の航空写真(赤丸内が「樺」を使用したとされる防波堤
(引用:「地図・航空写真検索サービス」国土地理院、整理番号:USA-R158-102)
 
現在の状況は、Googleストリートビューで見ることができます。
 
現在の三越漁港防波堤(引用:Googleストリートビュー・加工)
 
この「三越漁港防波堤」のコンクリートの中に「樺」が埋まっているとすると、現存する最も古い「軍艦防波堤」と言えるのではないかと思います。
 
戦前の軍事施設には国防上秘匿性の高い情報が多く、探してみればまだこのような施設が他にあるかもしれませんね。
 
【参考文献】
 Wikipedia および
【Web】
 ブログ「歴史群像PREZENTS デジタル歴史館」
ブログ「艦これ御朱印帳」