今日は寒いですね。
午前中、娘の所属する吹奏楽団が、地区の文化祭のようなイベントから依頼を受けて演奏するというので見に行ってきました。
会場に向かう午前11時前、霰が降ってきました。
2週間ほど前は日中は半袖で十分過ごせたんですけど。
本日の依頼演奏
中央の阪神の法被を羽織った指揮者さんが、この楽団の主宰者の方です。
大の阪神ファンで、演奏の最後はいつも「六甲おろし」で演奏を〆ます。
今年の阪神は38年振りの日本一となったので、指揮・演奏にも力が入ってました(笑)。
阪神、日本一オメデトウ!
ところで、先週の週末「ゴジラ-1.0」を見て、そこに描かれた旧帝国海軍の艦艇について取り上げました(ゴジラ-1.0 帝国海軍の残存艦艇と掃海船「新生丸」)。
実は、一昨日にフレックスで仕事を早く終え、梅田でもう一度「ゴジラ-1.0」を見てきました。
大阪ステーションシネマ・「ゴジラ-1.0」のチケット
今回はストーリーを把握していますので、落ち着いてみることができましたが、2回目でも目頭が熱くなりますね。
前回も取り上げたのですが、劇中では「新生丸」は「特設掃海艇」とされています。
また劇中および小説版には、「新生丸」は『ぼろぼろの木造船で「漁船」を改造したものであることは明らかだった』とされています。
また、今回見た中で気が付いたのですが、劇中では船首側の船倉と思われるところから乗組員が出てくる場面があり、母体は「漁船」とされているようです。
ちなみに、前回推測した「駆潜特務艇」も漁船の設計を流用しています。
改めて「掃海艇」とは?ですが、映画でも描かれている通り海上に敷設された機雷(海に設置された地雷のようなもの)を除去し、海路の安全を図るための艇です。
この映画で出てきたものは、海底の重りからワイヤーで接続され、海面近くに浮いた状態で設置される「係維機雷」なるものになります。
海上自衛隊が以前に使用していた係維機雷「五五式機雷」
(引用「丸スペシャル 水雷兵器」No.76、1983年6月、光人社、P.54)
米海軍「Mk6水中機雷」の敷設要領
(引用「丸スペシャル 水雷兵器」No.76、1983年6月、光人社、P.55)
この係維機雷は、係維を切断するカッターを取り付けた取り付けた「掃海索」を掃海艇で引きながら(曳航しながら)係維を切断し、機雷を浮上させた機雷を銃撃し爆破することで除去(掃海)します。
掃海により船の航路を確保する作業を「航路啓開作業」と言います。
海上自衛隊が以前に使用していた「六七式普通掃海具」の構成
(引用「丸スペシャル 水雷兵器」No.76、1983年6月、光人社、P.56)
劇中では、特設掃海艇が小型のため「新生丸」と「海進丸」とそれぞれ1本ずつの掃海索を曳航しながら掃海を行っており、浮上した機雷を主人公の敷島さんが機銃で爆破していました。
史実では、支那事変以降で帝国海軍に「特設掃海艇」として徴傭された船舶は次の通りです。
曳船 3隻
貨客船 13隻
貨物船 25隻
トロール船 41隻
捕鯨船 20隻
漁船 11隻
計 113隻
※引用:「日本海軍特設艦船正史」戦前船舶No.104、戦前船舶研究会
この中で、トロール船、捕鯨船も大枠では「漁船」ですが、それぞれ200~300総トンの比較的大型の船のため、劇中の「新生丸」に似た船は「漁船」に相当する次の11隻となります。
船名 船主 総トン数 長さ×幅×深さ(m) 機関出力 喪失日
第一開洋丸 山田鷹治 93 28.8×5.5×2.7 150
第三開洋丸 山田鷹治 93 28.8×5.5×2.7 150
第一済洲丸 済洲島漁協 80 24.9×4.8×2.5 140
第二済洲丸 済洲島漁協 80 24.9×4.8×2.5 140
第六済洲丸 済洲島漁協 80 24.9×4.8×2.5 140
第七済洲丸 済洲島漁協 76 24.9×4.6×2.5 140
朝洋丸 林兼商店 80 26.1×4.7×2.5 140
第二朝洋丸 林兼商店 80 26.1×4.7×2.5 140 昭20.7.14
第三朝洋丸 林兼商店 74 24.9×4.7×2.5 140 昭20.7.14
第五朝洋丸 林兼商店 74 24.9×4.7×2.5 140
武蔵丸 日本水産 227 35.9×6.8×3.8 490 昭19.7.14
※引用:「日本海軍特設艦船正史」戦前船舶No.104、戦前船舶研究会
HP「大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE」戸田S.源五郎
特設掃海艇は、正規の掃海艇が船団護衛に駆り出されたため、その本来業務である根拠地付近の機雷除去を担っていたことから、喪失した特設艇は4隻と比較的少ないです。
また、このうち済州島漁協の4隻は現・大韓民国の船であることから、戦後の横須賀に残された特設掃海艇は朝洋丸、第五朝洋丸の2隻でした。
この2隻と比較的大きさが近く、昭和6年に建造された鹿児島県漁業取締船「旭桜」の写真を見つけました。
【要目】
総トン数:70.16トン、長さ:24.4m、幅:4.6m、深さ:2.5m
主機:6気筒ディーゼル機関×1、出力:350馬力、速力:12.75ノット
(引用:「漁船建造必携 昭和八年版」1933年1月、モーターシップ雑誌社、P.43-44)
鹿児島県漁業取締船「旭桜」
(引用:「漁船建造必携 昭和八年版」1933年1月、モーターシップ雑誌社、P.43)
「新生丸」はこれらの特設掃海艇から発想を得たものであると思われます。
この「旭桜」、比較的「新生丸」に似ていますね。
また、これらの特設掃海艇では、艇長以下数名は帝国海軍の軍人が配置されるものの、実際に船を動かしていたのは、軍属の立場とされた元々の漁船の船員でした。
これから見ると、劇中の秋津艇長は戦時中は軍人の艇長の元、軍属として「新生丸」に乗り組み、戦後に漁船の船長となった位置付けではないかと思われます。
この辺り、今一度確認しながらの2回目の鑑賞でした。
※ここから一部ネタバレです。
この映画を見る中で、気になった場面がありました。
主人公の敷島さんが、「新生丸」でゴジラに遭遇した後、帰宅した場面での発言です。
「俺はもうとっくにあの島で死んで、朽ち果てて、典子さんや明子はその屍が見せている夢なんじゃないですかね」
この少し前の場面においても、悪夢にうなされている敷島さんが、心配して起こした典子さんに対して「それとも君が夢か?」と言っています。
敷島さんは「現実の方が夢ではないか」との疑念を持っています。
これと同じような感覚、私もたまに持つことがあります。
ふとした時に、『今生きているこの世界は、ドラマか何かで、自分が死んだら「END」と表示され、物語が終わるのではないか』と思うことがあります。
非常に傲慢で自己中心的な感覚です。
自分一人が死んだところで、世界は昨日と同じように粛々と時を刻んでいる、ということも理解しています。
ですが、自分が一人称として見ているこの世界は、自分としては死んだとたんに、テレビドラマが終わるように一人称としての関りができなくなるのは不思議なんですよね。
まぁ、自分がこの世からいなくなる時に、その結末がどうなっているのかわかるでしょうから、それまで楽しみにしておきたいと思います。
最後は取り止めがなくなってしまいましたが、「ゴジラ-1.0」から、特設駆潜艇とは何ぞや、について調べ直してみました。
映画館で購入した「ゴジラ-1.0」のメダル
【参考文献】
「日本海軍史 第7巻」1995年11月、海軍歴史保存会
「漁船建造必携 昭和八年版」1933年1月、モーターシップ雑誌社
(国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子:info:ndljp/pid/1055920)
【Web】
HP「大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE」戸田S.源五郎氏