昨日は朝から歯医者と内科に。病院の梯子をしていました。
午後は、なんとなくダラダラと。昼寝も少々。
特に何をする気力もなく、ブログを書くこともなく一日が終わりました。
これではマズイと思い、今日は朝からお出かけ。
奥様はコンサートへ、娘は昼まで寝ているので、またまたひとりでお出かけです。
南海電車、大阪メトロ、JRと乗り継いで、まずは「JR神戸駅」で下車します。
「JR神戸駅」
現在のJR神戸駅舎は、線路の高架化に合わせて昭和5年に建造されたものです。
ここから、神戸市営地下鉄海岸線のハーバーランド駅が目の前なので、そこまで歩きます。
地下鉄に乗ってひと駅、「中央市場前駅」で下車します。
北側の出口から出て、入江橋に立つと兵庫運河が綺麗です。
兵庫運河・左はイオンモール神戸南
北側へ移動し海側に出ると、川崎重工神戸工場のドックが見えます。
川崎重工神戸工場のドック
この辺りは、古代から「大輪田泊」と呼ばれた港で、12世紀後半に平清盛により大修築が行われ、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた土地です。
この場所には、「古代大輪田泊の石椋」のモニュメントがあります。
「古代大輪田泊の石椋」のモニュメント
石椋(いしくら)とは、石を積み上げた防波堤や突堤の基礎などの港湾施設を指します。
兵庫運河沿いにイオンモールの脇に整備された「キャナルプロムナード」を歩いていくと、「大輪田橋」の左岸に出ますが、この袂には「戦災殉難者慰霊碑」があります。
「戦災殉難者慰霊碑」と「大輪田橋」(左側)
「戦災殉難者慰霊碑」は、昭和20年3月17日の神戸空襲により大輪田橋の下にあった暗渠に避難していた市民の方々が多数被爆死されたことを悼んで建立されたもので、碑は平成8年に再建されたものです。
碑に手を合わせ、東に向かうと「兵庫県立兵庫津ミュージアム」にたどり着きます。
今回のお出かけのメインで、昨年11月に全館オープンした新しいミュージアムです。
「兵庫県立兵庫津ミュージアム」
写真の手前の木造建築が「初代県庁館」、奥のコンクリート造建築が「ひょうごはじまり館」で、入場券は共通です。
大輪田泊が室町時代に日明貿易の拠点として整備されると、大きくなった港は兵庫津と呼ばれるようになり、更に兵庫城も築城され、至近を横断する西国街道と合わせて陸海交通の拠点となり繁栄しました。
ミュージアムでは初代県庁の庁舎や執務室などが再現され、はじまり館では兵庫津の歴史が解説されています。
ミュージアムの展示を一通り見た後は、昼のブログでも書いたイオンモールで昼食です。
お腹が一杯になった後は、周辺の散策の続きで西に向かいます。
入江橋の袂に座っている「清盛くん」に敬意を表し、西に進みます。
「清盛くん」
向かったのは「兵庫大仏」が鎮座している「能福寺」。
「兵庫大仏」
兵庫大仏は、明治24年に当時の豪商の寄進により設置されますが、昭和19年に金属供出により解体されてしまいます。
現在の大仏は、戦後に発見された大仏の一部を回収したものを混ぜ込んで平成3年に再建されたもので、像重量約60トン・像高11m・蓮台と台座を含めると高さ18mと巨大なものです。
また、境内には昭和55年に再建された平清盛の霊廟である「平相国廟」もあります。
「平相国廟」
今度は南に下って、平清盛の供養塔である「清盛塚」を目指します。
「清盛塚」
最後に「清盛塚」の南側にある「清盛橋」から兵庫運河を見てみます。
「清盛橋」
さすが、大輪田泊を築造した「平清盛」が盛だくさんですね。
この後、イオンモールのある通りに移動し、新川橋まで行くと「三菱」マークの建物が目に入ります。
三菱重工神戸造船所の北の端あたりでしょうか。ここから和田岬にかけて造船所が広がります。
ここで、暑さで参ってしまい、早々に地下鉄「中央市場前駅」に戻り、「みなと元町駅」まで移動、元町商店街の古書店に立ち寄ります。
古書店「清泉堂書店」
ここで1冊の文庫本を購入し、「JR元町駅」から帰宅の途に就きました。
ちなみに、行きに1本、帰りに1本缶チューハイを飲んだのは内緒です(笑)。
今回は、港町神戸の発端となった「大輪田津」、そして「兵庫津」へと発展し、かつて繁栄した地を巡ってみました。
幕末の神戸開港後は、港の中心は神戸に移り、兵庫津周辺は今では中央卸売市場とイオンモールが目立ちますが、「鍛冶屋町」「船大工町」などの町名が今に残り、巨大な造船所も存在する「港・船に関係のある土地」であり続けていることを実感した散策でした。
しかし、暑かった!
屋外を巡ったので、日焼けで腕や顔が真っ赤になってます。
余談ですが、私はミュージアムに行くと毎回図録を購入します。
今回の戦利品はコレでした。
兵庫県立兵庫津ミュージアム開館記念展
「ドキュメント1868 ひょうごはじまりの時」
以上、神戸の港の発祥地・兵庫津巡りの一日でした。