明日から出勤です。若干憂鬱です(笑)。
私の手元には、「昭和二十二年作 日本海軍艦船喪失一覧図」なるものがあります。
これは、帝国海軍の水上艦艇(潜水艦は水上艦艇ではないので除く)の沈没地点を記載したものです。
半年ほど前に、大阪梅田・茶屋町のジュンク堂書店で購入したものです。
「昭和二十二年作 日本海軍艦船喪失一覧図」
私の住んでいる大阪では、沈没した艦艇は1隻のみで駆逐艦「桜」の名が記載されています。
「昭和二十二年作 日本海軍艦船喪失一覧図」の一部拡大
尾坂湾に沈む一等駆逐艦「桜」は、帝国海軍艦艇の名としては二代目で、改マル五計画により仮称「第5496号」艦として建造が計画された、戦時急増艦である「松」型一等駆逐艦の13番艦です。
昭和19年6月に横須賀海軍工廠で起工され、「桜」と命名ののち昭和19年11月に竣工しています。
【要目(新造時の「松」)】
基準排水量:1,262トン、全長100.0m、水線幅:9.4m、吃水:3.3m
機関:艦本式オール・ギアードタービン×2、推進軸:2軸
主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×2
出力:19,000馬力、速力:27.8ノット、乗員:211名
兵装:12.7cm40口径連装高角砲×1、12.7cm40口径単装高角砲×1、
25mm単装機銃×8、61cm4連装魚雷発射管×1
※引用:世界の艦船別冊「日本駆逐艦史」別冊第34集、
No.453、1992年7月、海人社、P.128
「松」型一等駆逐艦「竹」(引用:Wikipedia)
(Yokosuka Naval Arsenal. - 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。下巻638頁, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7617380による)
「桜」は竣工に伴い呉に回航され瀬戸内海で訓練を実施後、練習巡洋艦「鹿島」などとともに船団護衛のため昭和20年2月13日に福岡・門司を出撃します。
練習巡洋艦「鹿島」(引用:Wikipedia)
(Imperial Japanese Navy official photograph per naval achives kept at museum - Mikasa Memorial Museum, Yokosuka, Japan, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2428033による)
途中、台湾・基隆に向かう船団と分かれ、上海へ寄港し大陸沿岸の輸送船団を護衛しjます。
昭和20年3月15日には門司へ向かう船団を護衛し、4月からは瀬戸内海で行動します。
5月になると舞鶴へ向かうこととなり移動を開始しますが、5月25日に福岡・門司の部埼灯台沖に差し掛かったあたりで触雷し、舵取機械故障、モーター台座破損などの被害を受けます。
「桜」は応急修理を受け呉海軍工廠へ帰投し修理を受けます。修理が完了した「桜」は大阪へ移動を命じられ、昭和20年6月15日に大阪に到着します。
昭和20年7月15日付で「桜」は大阪警備府警備艦として大阪湾に投下される機雷の監視任務に就くことになり、大阪港築港灯台と神戸港東灯台からともに約5.5マイルの地点の監視に着くことになります。
昭和20年7月10日に米海軍第38任務部隊が接近との情報が入り、「桜」は明石海峡に配備されていた同型の駆逐艦「欅」とともに退避することになります。
「松」型一等駆逐艦「欅」(引用:Wikipedia)
(Unknown - 80-G-351888, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=96733932による)
避難先を和歌山・友ヶ島東岸にとしして、7月11日5時から移動することと決まり、針路を定める回頭を終えた直後の午前5時9分に艦後部に触雷して火災が発生してしまいます。
さらに後部弾薬庫の爆発によってさらに左に傾き、「桜」は艦首を水面上に露出させたのち横転して沈没していきました。
沈没地点は大阪港中突堤灯台256度5.6マイル(約9km)の地点と記録されており、「桜」の乗員のうち130名が戦死しています。
現在の大阪港中央突堤(大阪港ダイヤモンドポイント)から
大阪湾側に向かって見た夕陽
画面左手の方向が「桜」の沈没地点方向だと思われる
生存者のうち重傷者は甲子園ホテル(現・武庫川女子大学・甲子園会館)を接収した大阪海軍病院、軽傷者は大阪海兵団および大阪市立遠里小野国民学校(現・大阪市立遠里小野小学校)に収容されています。
武庫川女子大学・甲子園会館
(引用:HP「武庫川女子大学・甲子園会館」)
「桜」は大東亜戦争末期に建造されたこともあり、少なくとも私の手元にはありません。ですが、その姿はタミヤ模型とフジミ模型から「桜」のプラモデルとして発売されており、その箱絵に姿を偲ぶことができます。
フジミ模型「SEA WAY MODEL 日本駆逐艦 桜」の箱絵
【参考文献】
Wikipedia および
【Web】
HP「武庫川女子大学・甲子園会館」
HP「フジミ模型」