米国海軍の象徴 航空母艦の元祖(CV-1)はどんな艦? | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今日は何もする気になれず、ダラダラと一日過ぎてしまいました。

久しぶりにテレビを見ながら昼寝してしまい…。

 

今回は、航空母艦の話です。前回に続いて海外の話を。

航空母艦と言えば、米国の原子力航空母艦を思い浮かべる方も少なくないと思います。

その中でも、現在横須賀を母港としているのは、米国海軍の原子力航空母艦「ニミッツ(CVN-68)」の9番艦である「ロナルド・レーガン(CVN-76)」ですね。ニューポート・ニューズ造船所で1998年(平成10年)2月に起工され、2003年(平成15年)7月に就役しています。

【要目】

 基準排水量:81,600トン、満載排水量:102,000トン、

 全長:332.0m、最大幅:76.8m、水線幅:40.8m、吃水:12.1m

 機関:原子力タービン、推進軸:4軸

 出力:280,000馬力、速力:30ノット強、乗員:6,286名

 兵装:RIM-162 シースパロー短SAM×2、RIM-116 RAM×2、

     ファランクスCIWS×2、Mk 38 Mod 2 25mm機関砲×3

 搭載機:80~105機

 ※引用:世界の艦船「航空母艦全史」増刊第80集、No.685、

      2008年1月、海人社、P.136

 

令和4年2月12日・横須賀で整備中の

米国海軍・航空母艦「ロナルド・レーガン(CVN-76)」

 

最新鋭の航空母艦は「ジェラルド・R・フォード(CVN-78)」で、新型のネームシップ(1番艦)です。

こちらもニューポート・ニューズ造船所で2009年(平成21年)11月に起工され、2017年(平成29年)7月に就役しています。

【要目】

 満載排水量:101,600トン、全長:337m、最大幅:78m、

 水線幅:41m、吃水:12m

 機関:原子力タービン×4、推進軸:4軸

 出力:280,000馬力、速力:30ノット以上、乗員:6,286名

 兵装:ESSM短SAM 8連装発射機×2、

     RAM近SAM 21連装発射機×2、

     M2 12.7mm重機関銃×4、ファランクスCIWS×3

 搭載機:CTOL機+ヘリコプター×75機以上

 ※引用:Wikipedia

 

米国海軍・航空母艦「ジェラルド・R・フォード(CVN-78)」(引用:Wikipedia)

(U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Ridge Leoni - この画像データはアメリカ合衆国海軍が ID 170408-N-WZ792-198 で公開しているものです。このタグは、添付された著作物の著作権状況を示すものではありません。通常の著作権タグも必要です。Commons:ライセンシングもご覧ください。パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57929855による)

 

米国海軍では、航空母艦には艦種記号に「CV」を用いています。この「CV」は巡洋艦を表わす「cruiser」の頭文字の「C」と、フランス語で飛行を意味する「voler」の頭文字のVとの組み合わせに由来するそうです。

では、現在巨大な原子力航空母艦を11隻保有している米国海軍なんですが、「CV」のトップナンバーである「CV-1」を持つ艦はあまり知られていないのではないかと思います。

 

その艦は「ラングレー(CV-1)」といいます。しかしこの艦は最初から「ラングレー」という名ではありませんでした。

当初は、「プロテウス」型給炭艦「ジュピター(AC-3)」としてメア・アイランド海軍造船所で1911年(明治44年)10月に起工され、1913年(大正2年)4月に就役しています。

【要目】

 排水量:19,360トン、全長:165.2m、全幅:19.81m、吃水:8.43m

 機関:GEターボエレクトリック機関、推進軸:2軸

 出力:7,200馬力、速力:15ノット、乗員:163名

 兵装:10.2cm単装砲×4

 ※引用:Wikipedia(英語版含む)

 

米国海軍・給炭艦「ジュピター(AC-3)」(引用:Wikipedia)

(By Unknown author - U.S. Navy photo NH 52365, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4214695)

 

「ジュピター」は、1914年10月に太平洋岸から米国東岸のフィラデルフィアに向けて出航し、途中でパナマ運河を通過しますが、「ジュピター」は西から東へパナマ運河を通過した最初の艦となりました。

第一次世界大戦では、米国-仏国間の貨物輸送に就いています。

 

その後、「ジュピター」は西海岸に回航され、1920年(大正9年)ノーフォーク海軍工廠で航空母艦への改装工事に着手し、4月には「ラングレー(CV-1)」と改名されます。

1922年(大正11)年3月には航空母艦への改装工事を完了し、米国初の「航空母艦」として再就役します。

【要目】

 基準排水量:11,050トン、全長:165.3m、最大幅:20.0m、吃水:5.7m

 機関:GEターボエレクトリック機関、推進軸:2軸

 出力:5,000馬力、速力:15ノット、乗員:410名

 兵装:12.7cm単装砲×4、搭載機:33機

 ※出典:世界の艦船「新版 アメリカ航空母艦史」増刊第51集、

       No.551、1999年4月、海人社、P.22

 

米国海軍・航空母艦「ラングレー(CV-1)」(引用:Wikipedia)

(不明 - U.S. Navy photo NH 81279, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=49966による)

 

「ラングレー」は、飛行甲板と船体前方の隙間にある給炭艦時代の艦橋をそのまま使用し、いわゆる飛行甲板には構造物を置かないフラッシュデッキ(全通式平甲板)型を採用しています。

また、航空機用の格納庫は6箇所ある石炭槽のうち4箇所が転用され、飛行甲板中央部に昇降機1基が設置されています。

 

就役後の「ラングレー」は着艦制動装置の試験や搭乗員の訓練等に使用されますが、飛行甲板が帝国海軍の航空母艦「鳳翔」とほぼ同じ程度と短いうえ、15ノットという低速のため急速に進歩する航空機の運用に支障をきたすようになります。

 

また、新鋭の大型航空母艦である「レキシントン(CV-2)」型2隻、「レンジャー(CV-4)」が整備され、「ヨークタウン(CV-5)」型の建造も始まると、「ラングレー」は航空母艦としての使命は終わり、さらに1930年(昭和10年)の第二次ロンドン海軍軍縮会議により「ラングレー」は航空母艦から他艦種へ転籍することとなります。

 

結果、「ラングレー」は1936年(昭和11年)10月からメア・アイランド海軍工廠でオーバーホール及び水上機母艦への改修が行われ、1937年(昭和12年)2月に工事は完了、4月に水上機母艦に類別変更され艦番号も「AV-3」に変更されました。

 

米海軍・水上機母艦「ラングレー(AV-3)」(引用:Wikipedia)

(USN - US Navy photo 1996.488.010.048 [1] (with caption [2]), 

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3851490による)

 

この改装により「ラングレー」は、前部飛行甲板が撤去されて艦橋用上部構造物が増設されます。残った飛行甲板は小型連絡機の運用が可能な能力が残されました。

水上機母艦となった「ラングレー」は、1939年(昭和14年)2月から7月まで大西洋艦隊での任務に就き、その後太平洋艦隊に配属されフィリピン1939年9月下旬にフィリピン・マニラに到着します。

 

大東亜戦争勃発時、「ラングレー」はフィリピン・ルソン島のカヴィテに停泊していましたが、帝国海軍の攻撃を避けるため、現インドネシアのジャワ島・スラバヤを経由し豪州のポート・ダーウィンに移動します。

 

1942年(昭和17年)2月になると、オーストラリアから戦闘機「P-40」をセイロン島セイロンへ輸送するためポート・ダーウィンを出港し船団に加わります。

ところが、輸送先がジャワ島チラチャップへ急遽変更となり、バリ島南方を航行中の2月27日に帝国海軍の索敵機に発見されてしまいます。

バリ島に進出していた帝国海軍の一式陸上攻撃機17機が陸上攻撃用の爆弾を搭載し攻撃に向かい、「ラングレー」は5発の命中弾と3発の至近弾を受け飛行甲板に並べていた「P-40」が炎上し、舵が面舵の状態で動かなくなります。

 

爆撃を受ける米国海軍・水上機母艦「ラングレー(AV-3)」

(引用:Wikipedia・一部加工)

(USN - U.S. Navy Naval Aviation News May 1981 [1]; USN photo available at the National Museum of Naval Aviation, photo 1998.409.075 [2]; Official U.S. Navy photo NH 92475 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3903156による)

 

帝国海軍の攻撃終了後には「ラングレー」は航行不能となり、火災の拡大は食い止められたものの、浸水は止めることができず、艦の放棄が決定されます。

 

随伴していた米国海軍・駆逐艦「ホイップル(DD-217)」は、4インチ砲弾9発、右舷艦尾付近に1本、左舷側に1本の魚雷を打撃ち込みますが、沈没が確認できないまま現地を離れます。

 

米国海軍・駆逐艦「ホイップル(DD-217)」(引用:Wikipedia・英語版)

(By Australian armed forces - This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17188262)

 

1942年(昭和17年)2月27日の夕刻にオランダのPBY飛行艇が「ラングレーが沈没した」と報告し、「ラングレー」の沈没が認定されました。

 

米国海軍の航空母艦史の冒頭を飾った「ラングレー(CV-1)」は、給炭艦「ジュピター」を改装した小型・低速な航空母艦でした。

この履歴は、現在の原子力航空母艦を揃える米国海軍から見ると影の薄い存在です。

 

そして、後に水上機母艦となって大東亜戦争に参加し、最後は帝国海軍・陸上攻撃機の爆撃で大破し、友軍に処分されて数奇な生涯を閉じたことは、あまり知られていないと思い取り上げてみました。

 

【参考文献】

 Wikipedia(英語版含む) および