日本海海戦で帝国海軍が喪失した3隻の水雷艇 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

25日水曜日に、仕事で大阪・南港のインテックス大阪へ行ってきました。

仕事の終わった後は(仕事そっちのけ?)、せっかくの南港なので海の見えるATCへ直行!

ATCには「フェリーさんふらわあ」の乗り場があります。

スマホで写真を撮りました。既に17時を過ぎていたので、褪色気味な写真となってしまいました。

 

フェリーさんふらわあ「さんふらわあこばると(手前)」と「さんふらわあきりしま(奥)」

 

「さんふらわあこばると」は、以前の関西汽船の航路を継承した大阪-別府航路に就航しており、「さんふらわあきりしま」は旧ブルーハイウェイライン西日本(のちダイヤモンドフェリー)の大阪-志布志航路に就航しています。

 

話は変わって、今から117年前の昨日・5月27日は日露戦争における日本海海戦が行なわれた日になります。日本海海戦と言えば、東郷平八郎司令長官と戦艦「三笠」が有名ですね。

 

令和4年2月12日の記念艦「三笠」

 

「日本海海戦」で、ロシア海軍は主力艦のほとんどが撃沈又は帝国海軍に捕獲されています。

(その内容は以前5月27日は海軍記念日・日本海海戦の日で記載しています)

一方の帝国海軍側の主力艦には全く喪失がなく、「完勝」と言われていますが、帝国海軍側でも3隻の水雷艇を喪失しています。

 

これらの水雷艇は、双方の主力が激突した戦闘が終わった後、27日の20時から始まった「夜戦」によって失われています。

第十七艇隊の司令艇であった水雷艇「第三十四号」は、被弾により前缶の破裂により沈没しています。

また、第十八艇隊の所属であった水雷艇「第三十五号」は、被弾により汽機缶室を破壊され沈没しています。

 

この2隻の水雷艇は「第二十二号型」と呼ばれ、独国のシーシャウ社に明治29年度に発注したもので、「第三十四号」「第三十五号」は、ともに明治33年3月に竣工しています。

【要目】

 常備排水量:83トン、垂線間長:39.00m、最大幅:4.81m、吃水:1.07m

 機関:直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機関×1

 主缶:ソーニクロフト式水管缶(石炭専焼)×2、推進軸:1軸、

 出力:1,200馬力、速力:24ノット

 兵装:47mm単装軽速射砲×2、38cm単装魚雷発射管(旋回式)×2、

     38cm単装魚雷発射管(固定式)×1

 ※引用:世界の艦船「日本海軍特務艦船史」増刊第47集、No.522、

       1997年3月、海人社、P.115

 

水雷艇「第二十二号」型の水雷艇「第四十六号」(引用:Wikipedia)

(不明 - 世界の艦船-日本特務艦船史p115, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5905269による)

 

喪失したもう一隻の水雷艇は「第六十七号」型の水雷艇「第六十九号」です。

「第六十七号」型は、「第二十二号」の設計を改良のうえ明治30年度に国内での建造を計画し、9隻が建造されています。「第六十九号」は佐世保造船部(後の佐世保工廠)で建造され、明治36年9月に竣工しています。

【要目】

 常備排水量:89トン、垂線間長:40.10m、最大幅:4.99m、吃水:1.03m

 機関:直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機関×1

 主缶:艦本式水管缶(石炭専焼)×2、推進軸:1軸、

 出力:1,200馬力、速力:23ノット、乗員:23名

 兵装:57mm山内単装速射砲×2、36cm単装魚雷発射管(旋回式)×2、

     36cm単装魚雷発射管(固定式)×1

 ※引用:世界の艦船「日本海軍特務艦船史」増刊第47集、No.522、

       1997年3月、海人社、P.119

 

水雷艇「第六十七号」型の水雷艇「第六十八号」(引用:Wikipedia)

(不明 - 世界の艦船-日本特務艦船史p119, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5905287による)

 

この水雷艇「第六十九号」なんですが、夜戦中に駆逐艦「暁」に衝突されたことにより沈没しています。

 

日本海海戦当日の対馬付近は、大型の低気圧が通過して天気は回復していましたが、低気圧の後ろ側で等圧線の間隔が狭く強風で波も高かったようです。聯合艦隊出撃の電文「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ擊滅セントス。本日天氣晴朗ナレドモ浪髙シ」の後半部分は、正にこの日の天候を言い表していました。

 

夜戦に投入された水雷艇は上記の要目のように、排水量90トン弱の小型艦でしたので、荒れる外洋の航行性能は低く、「第六十九号」と「暁」の他にも水雷艇「第四十三号」と水雷艇「鷺」が、帰途には駆逐艦「夕霧」と「春雨」が衝突しています。

 

そして、この夜戦において帝国海軍の水雷艇隊と駆逐隊は、露国海軍の戦艦「ナヴァリン」を撃沈、海防戦艦「シソイ・ヴェリキー」、装甲巡洋艦「ウラジミール・モノマフ」「アドミラル・ナヒモフ」に損傷を与えています。

 

かくして、日本海海戦において、帝国海軍は「完勝」したものの3隻の水雷艇を喪失しました。

これら3隻の写真は、明治年間の沈没のためか写真が残っていないようで、私が知っている限りでは唯一「第三十五号」の建造中の写真が「写真 日本海軍全艦艇史」に載っていました。

 

「完勝」の影で、あまり語られることの無い喪失した3隻の水雷艇について、取り上げてみました。

なお、「第六十九号」と衝突した駆逐艦「暁」は、その履歴がちょっと変わっていますので、次回に取り上げてみたいと思います。

 

【参考文献】

 Wikipedia および