伊国海軍潜水艦「カッペリーニ号」のドラマと史実 | 艦艇・船舶つれづれ

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正月・関西テレビ(フジテレビ系)で「潜水艦・カッペリーニ号の冒険」というドラマを放映していましたね。

リアルタイムでみることができなかったので、録画して今日の午前中に観ました。

 

伊国通の帝国軍人と伊国軍人が上司・部下の立場でぶつかり合いながらも、次第に友情ともいえる関係を築いていくヒューマンドラマで、観ていて暖かくなるような良いドラマだったと思います。

 

ところで、このドラマの中心となるイタリア海軍の潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」ですが、以前当ブログでも簡単に取り上げたことがありますが(大東亜戦争中に枢軸国を渡り歩いた潜水艦「伊号第五百三」)、今一度調べてみました。

 

「コマンダンテ・カッペリーニ」は、元々近海用潜水艦として建造された「マルチェロ」型潜水艦の10番艦ですが、10番艦と11番艦は1年遅れて建造されたことから、「コマンダンテ・カッペリーニ」型とする資料もあります。

オデーロ・テルニ・オルランド社で設計され、イタリアのムッジアーノ造船所で建造、昭和14年9月23日に竣工しており、第二次世界大戦時には伊国海軍の新鋭潜水艦でした。

【要目(コマンダンテ・カッペリーニ・就役時)】

 排水量(水上):1,060トン、(水中):1,313トン、全長:73.10m、最大幅:8.15m、吃水:5.12m

 機関:フィアット式ディーゼル機関×2、軸数:2、乗員数:60名

 出力:(水上)3,000馬力、(水中)1,300馬力、速力:(水上)17.4ノット、(水中)8.0ノット

 兵装:10cm45口径単装砲×2、53cm魚雷発射管×8(魚雷12本)

 ※出典:世界の艦船「日本潜水艦史」増刊第37集、No.469、1993年8月、海人社、P94

 

伊国海軍潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」

(昭和14年、出典:HP「NAVYPEDIA」http://www.navypedia.org/ships/italy/it_ss_marcello.htm

 

なお「コマンダンテ・カッペリーニ(カッペリーニ提督)」の艦名は、普墺戦争中の1866年7月にアドリア海のリッサ島沖で伊国海軍と墺国(オーストリア)海軍の間で戦われた「リッサ海戦」で、装甲艦「パレストロ」の艦長として参戦し、火薬庫の爆発により爆沈した艦と運命を共にしたアルフレード・カッペリーニ提督から採られています。

 

 

「コマンダンテ・カッペリーニ」は、第二次世界大戦の緒戦期は地中海で行動しますが、昭和18年3月に伊国海軍が独国海軍との間で大型潜水艦の貸与協定を結んだことから、大日本帝国との輸送任務用に改造され、昭和18年5月に当時伊国海軍が潜水艦基地を置いていた仏国・ボルドーを出発し、7月に昭南島(現・シンガポール)に入港します。

近海用として設計された潜水艦が太平洋のシンガポールまで来るというだけでも大変そうです。

 

ところが、昭和18年7月にムッソリーニ政権がクーデターにより失脚し、これを受けたバドリオ政権は連合軍との事前交渉をしており、降伏に伴い昭和18年10月には連合国側に立ちます。

この伊国の降伏に伴い「コマンダンテ・カッペリーニ」はシンガポールで昭和18年9月に帝国海軍によって接収されます。

接収時に、帝国海軍は伊国海軍の乗組員を捕虜として数週間隔離をされた際、乗組員のほぼ全員が将校の指示に従わず、枢軸国側の「イタリア社会共和国」政権に組みすることを誓います。


その後「コマンダンテ・カッペリーニ」は、独国海軍に引き渡され「UIT24」と命名され、独国海軍の乗組員と共に引き続き伊国海軍の乗組員により運行され、僚艦の「UIT25」(旧「ルイージ・トレッリ」)と共に欧州への帰還を目指します。

しかし途中での故障発生により断念、大日本帝国とマレーの間で輸送任務に従事することとなります。

この辺りは、「イタリアの機械はよく壊れる」というドラマの中とも合致するかもしれません。

 

伊国海軍潜水艦「ルイージ・トレッリ」

(後の独国海軍潜水艦「UIT25」、帝国海軍潜水艦「伊号第五百四」、引用:Wikipedia(伊国語版))

(Di sconosciuto - http://www.xmasgrupsom.com/Sommergibili/torelli.html, Pubblico dominio, https://it.wikipedia.org/w/index.php?curid=3215017)

 

という事で、ドラマでは呉と思われる軍港で接収され、すぐに帝国海軍へ編入されたように描かれていましたが、実際に接収されたのはシンガポールで、その後は独国海軍に所属していました。

 

昭和19年8月に瀬戸内海を航行中の独国海軍・潜水艦「UIT24」(引用:Wikipedia)

(unknown, maybe IJN or shipyards in Japan. - 福井静夫『写真日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7346615による)

 

昭和20年5月には、三菱神戸造船所で整備中に独国の降伏により再び帝国海軍により接収され、「伊号第五百三」潜水艦と改名、昭和20年7月15日に帝国海軍に編入され、呉鎮守府籍の特殊警備潜水艦とされますが、終戦後に連合国に接収され、和21年4月16日に紀伊水道で海没処分され姿を消しました。

 

呉軍港への大空襲は昭和20年7月24日・28日に行われますので、ドラマの空襲の描写は「伊号第五百三」の編入後となりますので時期的には合いますが、この時期に「伊号第五百三」が呉にいた記録は発見できませんでした。

また、終戦直後に神戸港で連合国に接収されていることから、この時期に「伊号第五百三」は呉ではなく神戸にいたと思われ、出撃命令も実際にはなかったと思われます。

 

また、帝国海軍で「伊号第五百三」潜水艦の艦長に就任されたのは廣田秀三大尉で、帝国海軍へ編入された昭和20年7月から戦後の10月まで艦長をされており、戦時中に艦長になられたのは廣田大尉のみです。

廣田艦長は滋賀県出身の海軍兵学校第67期で、「伊号第五百三」の前には建造中で終戦時までに竣工しなかった「波号第百十二」潜水艦の艦長に昭和20年4月から就任していました。

 

「波号第百十二」号潜水艦と同型の「波号第百九」および「波号第百十一」潜水艦(引用:Wikipedia)

(アメリカ海軍 - ベストセラーズ刊『写真日本海軍全艦艇史』, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46309716による)

 

このため、元嵐の二宮和也さんが演じる速水艦長の実家が呉?にある速水旅館で、伊国人の乗組員と妹である有村架純さん演じる早季子さんとのロマンスという設定はフィクションです。

 

なお、帝国海軍籍に入った「伊号第五百三」には、大日本帝国側についた伊国海軍の乗組員がいましたが、降伏時に「イタリア社会共和国」側についたことで脱走兵と裏切り者扱いされること恐れ、戦後も帰国せず日本に残ったという話もあり、そのあたりが伊国の乗組員「アベ」氏と早季子さんの話のベースになったのかもしれません。

 

また、上下規律の厳しい帝国海軍で捕虜となった他国海軍の乗組員に対して「お願い」はしないでしょうし、「カッペリーニ号」の乗組員は枢軸国側についていますので、二度目の帝国海軍籍に編入された際に「捕虜」扱いされる存在ではないように思われます。

 

ドラマ「潜水艦カッペリーニ号の冒険」は、冒頭でも書いた通り史実の一部をベースとした「フィクション」としては非常に良く練られており、楽しく見ることができました。二宮さんのイタリア語による歌唱も良かったですね。

 

また、戦争をテーマにしたものにもかかわらず主要な登場人物が誰一人戦死しなかったことも、見ていてほっとしました。

やはり戦争で軍人・民間人問わず、誰かが犠牲になる場面があると胸が痛くなりますので。

 

【参考文献】

 Wikipedia(伊国語版含む) および

 

 

 

 

 

 

【Web】

 HP「NAVYPEDIA」

 

 HP「The Naval Data Base」