今週は潜水艦を扱ってきたので、最終日も潜水艦で締めたいと思います。
今回取り上げるのは、3国を渡り歩いた潜水艦です。当初はイタリア海軍の潜水艦として、イタリア・オデロ・テルニ・オルランド社(現・現OTOメラーラ社)で建造され、「コマンダンテ・カッペリーニ」と命名され、昭和14年9月に就役します。このクラスの潜水艦は、昭和10年頃からイタリア海軍が量産した近海用潜水艦のうちの1艦です。
ちなみに、OTOメラーラ社といえば、艦載砲が海上自衛隊の護衛艦などに多数採用されていますね。

ミサイル艇「はやぶさ(PG-824)」「うみたか(PG-828)」に搭載されている
OTOメラーラ社製の76㎜62口径単装速射砲
【要目(コマンダンテ・カッペリーニ・就役時)】
排水量(水上):1,060トン、(水中):1,313トン、
全長:73.10m、最大幅:8.15m、吃水:5.12m
機関:フィアット式ディーゼル機関×2、軸数:2、乗員数:60名
出力:(水上)3,000馬力、(水中)1,300馬力、
速力:(水上)17.4ノット、(水中)8.0ノット
兵装:10cm45口径単装砲×2、53cm魚雷発射管×8(魚雷12本)
※引用:世界の艦船「日本潜水艦史」増刊第37集、No.469、1993年8月、海人社、P94

伊国潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」
(昭和14年、引用:HP「NAVYPEDIA」/
http://www.navypedia.org/ships/italy/it_ss_marcello.htm)
「コマンダンテ・カッペリーニ」は、就役当初には地中海に配備され、昭和15年9月には大西洋における任務についています。昭和16年1月5日には現シエラレオネ共和国・の首都であるフリータウン沖でイギリスの貨物船「シェイクスピア」を撃沈、1月14日には武装商船「ユーミーアス」を撃沈し、英貨物船「ミゲル・デ・ラリネガ」に損傷を与える戦果を挙げています。
昭和18年初頭に、伊独両国の同盟国である大日本帝国が進出した蘭印・仏印等占領地とドイツの占領地間の輸送用に貨物が搭載できるよう改造され、昭和18年5月にボルドーのBETASOM基地を出港、イタリア海軍の手で回航され7月にシンガポールに到着しました。
昭和18年8月末にはドイツの遣日潜水艦作戦に基づきドイツ軍向けの物資を積んで出港ししまたが、イタリアが連合国に対して降伏したために9月10日に帝国海軍が接収します。
帝国海軍に接収された「コマンダンテ・カッペリーニ」は、ドイツ海軍に引き渡され「UIT-24」と命名されます。ただ、本艦の運航は連合国への降伏に反発するサロ政権側に着いたイタリア海軍兵が引き続き任務にあたっていました。
瀬戸内海を航行中のドイツ潜水艦「UIT-24」(出典:Wikipedia)
三菱神戸造船所で整備を行っていた「UIT-24」ですが、昭和20年5月にドイツが連合国側に降伏したことから、再度帝国海軍が接収し「伊号第五百三潜水艦」と改名、昭和20年7月15日に帝国海軍の艦艇籍に編入され、呉鎮守府の特殊警備潜水艦とされます。
しかし、1カ月後には大日本帝国が連合国側の無条件降伏を受け入れ大東亜戦争が終結すると、「伊号第五百三潜水艦」は連合国に引き渡され、武装解除のされた後、昭和21年4月16日に紀伊水道で海没処分され、生涯を閉じました。
なお、同じ経緯を辿った潜水艦がもう一隻あり、イタリア海軍「ルイージ・トレッリ」→ドイツ潜水艦「UIT-25」、帝国海軍潜水艦「伊号第五百四」という経緯を辿っています。
イタリア海軍潜水艦「ルイージ・トレッリ」
(引用:HP「The Itarian Monarchist」/
伊→(日)→独→日と枢軸国間で翻弄された数奇な経歴を持つ潜水艦について、紹介してみたいと思い取り上げました。
なお、今回のブログも、Wikipediaの他に
・世界の艦船「日本潜水艦史」増刊第37集、No.469、1993年8月、海人社
・歴史群像シリーズ「日本の潜水艦パーフェクトガイド」2005年4月、学習研究社
・ハンディ版日本海軍艦艇写真集「潜水艦伊号」No.19、1997年12月、光人社
を主に参考としています。