令和3年7月3日・神戸旅行記その9終 神戸ハーバーランド・川崎重工 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日は、朝から腹痛で通勤途中の駅でトイレに寄ったりして、大変な一日でした。

結局、フレックスを活用して15:00に退社、早々に帰宅しました。

 

所で、長々と続けてきた神戸旅行記ですが、その9になります。

 

中突堤を後にし、ハーバーランド umie MOSAIC方面へ移動します。

 

神戸港中突堤からハーバーランド umie MOSAIC付近(引用:google Map、一部加工)

 

これまた、建物の写真を撮り忘れているので、umie MOSAICの写真はWikipediaから。


「umie MOSAIC」

(Suicasmo - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=91039425による)

 

この場所は「高浜旅客ターミナル」とも呼ばれており、現在ではレストラン船「コンチェルト」が発着しています。

この船は、共同汽船などが出資したアーバン・クルーザーの発注により、讃岐造船鉄工所で建造され平成5年に大阪港と神戸港を結ぶ大阪湾遊覧クルーズ船「シルフィード」として就航しました。

平成7年の阪神大震災による観光客の激減で運営会社が清算され、運航休止となり海外への売却が検討されることとなります。

これに対しパソナグループなどの出資により、新たな運航会社として神戸クルーザーが設立され、神戸港の復興のシンボルとして運航を再開することとなり、平成9年7月から「コンチェルト」に改名し神戸港クルーズに就いています。

【要目】

 総トン数:2,138トン、全長:74m、全幅:13m

 機関:ディーゼル機関、速力:12.0ノット、定員:604名

 ※引用:Wikipedia


レストラン船「コンチェルト」

 

この時は「コンチェルト」が出港する時間だったようです。港内で向きを変えている所でした。

「コンチェルト」の乗船口の近くにはこんなかわいいオブジェがありました。

 

「コンチェルト」乗船口近くのオブジェと出港する「コンチェルト」

 

私も、神戸で勤務していた時に、この「コンチェルト」で宴会をしたことがあります。ナイトクルーズで、海から見る神戸の夜景がきれいでした。

その時、平成28年1月の写真が出てきましたので、2枚ほど。

 

船上から見た「MOSAIC」

 

船上から見た三ノ宮方面・右は神戸大橋

 

「MOSAIC」を浜側へ歩いていくと、右に観覧車・正面に古い燈台のようなものが見えてきます。

 

古い燈台と観覧車(右端)

 

この燈台のようなものは「旧神戸港信号所」といい、平成2年まで新港第5突堤で信号所として使用されていました。

現在はハーバーランドのシンボルタワーとして高浜岸壁南端に移築され、保存されています。

 

旧神戸港信号所

 

そして、この高浜岸壁から水道を挟んで位置するのが川崎重工神戸工場です。

昨年のブログでも書きましたが、ここでは船渠の外側に接岸して作業を行っている潜水艦を間近に見ることができます。

今回は複数の潜水艦がいました。向かって左側にはX舵を持つ「そうりゅう(SS-501)」型が係留され、艦橋付近に足場が組まれていました。

 

艦橋付近に足場が組まれている「そうりゅう(SS-501)」型潜水艦

 

「そうりゅう(SS-501)」型の右隣には十字型の舵を持つ「おやしお(SS-590)」が係留さえています。

 

「おやしお(SS-590)」型潜水艦

 

よく見ると、船渠内にも潜水艦がいるようです。型まではよくわかりませんが、艦橋が見えています。

 

「そうりゅう(SS-501)」型越しに見る船渠内の潜水艦

 

川崎重工神戸工場は、前回の「カワサキワールド」でも紹介されていますが、明治30年に第一船「伊豫丸」の建造を皮切りに、国内有数の造船所として成長していきます。

戦前の国内で主力艦(戦艦・航空母艦等)を建造できる民間造船所は、川崎重工神戸と三菱重工長崎の2箇所しかなく、帝国海軍においても重要な造船所でした。

 

川崎重工神戸造船所での第一船「伊豫丸」の進水式

(引用:HP「川崎重工業 川崎重工の歴史」)

 

帝国海軍の主力艦としては、巡洋戦艦「榛名」、戦艦「伊勢」、航空母艦「瑞鶴」「大鳳」、一等巡洋艦「加古」「衣笠」「足柄」「摩耶」「熊野」等を建造しており、潜水艦も初期の「第六」「第七」潜水艇から大型潜水艦である「伊号第十三」(甲型)など56隻を建造しています。

 

巡洋戦艦「榛名」の進水

(引用:「写真 日本の軍艦 第2巻」1989年8月、光人社、P.125)

 

巡洋戦艦「榛名」の建造時には、同時に「霧島」を受注した三菱重工長崎と建艦競争となりました。

「霧島」は「榛名」より起工は1日遅れたものの、進水は13日早く「榛名」の艤装工事は急がれます。しかし、大正3年11月18日に予定されていた機関の係留試験を前に機関が故障し、試験は6日延期されることとなりますが、この遅延の責任を感じた造機工作部長の篠田恒太郎技師は試験予定日だった11月18日に自刃されます。

その後「榛名」は大正4年4月19日に帝国海軍に引渡されますが、これは「霧島」と同日となり、両造船所はその功績を分かち合いました。

 

戦艦「伊勢」の進水

(引用:「海軍艦艇史1 戦艦・巡洋戦艦」福井静夫、1974年8月、KKベストセラーズ、P.301)

 

航空母艦「瑞鶴」の進水

(引用:「丸スペシャル 戦時中の日本空母I」No.129、1987年11月、潮書房、P.26)

 

「第六」潜水艇(引用:Wikipedia)

(不明 - 朝日新聞社「朝日クロニクル 20世紀 第1巻」より。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3529455による)

 

「第六」潜水艇は、事故で沈没した際の佐久間艇長の話は有名になりましたね。

 

ちなみに、神戸ハーバーランドの一帯は、昭和57年11月までは国鉄湊川貨物駅として機能しており、昭和60年3月には正式に廃止された後、再開発により「神戸ハーバーランド」として平成4年9月に街開きをしています。

今でも一角にJR大阪資材センターがあり、往時を偲ばせます。

 

湊川貨物駅(引用:「神戸駅130年史」2005年3月、JR西日本神戸支社、P.69)

 

これで港めぐりを終了し、ハーバーランド内のプロメナ神戸地下1階のフードコートで、「三豊麺」さんのラーメンを食べました。気が付けば午後3時過ぎ、遅い昼食になりました。

 

「三豊麺」さんのラーメン

 

この後、JR神戸駅から三ノ宮駅(阪急・阪神は神戸三宮駅ですが、JRは三ノ宮駅です)まで電車で移動、そこからポートライナーで「みなとじま」駅まで戻り、そこから車で帰宅しました。

ちなみに、JR三ノ宮駅はターミナルビルが解体されていますが、コロナ禍により新ビルの建設計画が凍結されているようです。

神戸の玄関口なので、早く新しいビルが建設されて欲しいですね。

 

JR三ノ宮ターミナルビルが解体され、内壁が剥き出しになったポートライナー三宮駅

 

これにて、令和3年7月3日・神戸旅行記を終わります。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

【引用分館】

 Wikipedi および

 

 

 

 

 

 「神戸駅130年史」2005年3月、JR西日本神戸支社

 

【Web】

HP「川崎重工業」

HP「カワサキワールド」

HP「神戸ハーバーランド」