復員輸送のため戦後に竣工した最後の海軍艦艇・「第百七号」海防艦 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日も午前中休日出勤してきました。

梅田は朝方は曇っていましたが、昼には良い天気になっていました。

昼は「麺屋勝時」さんの鶏白湯ラーメンを頂きました。

 

「麺屋勝時」さんの鶏白湯ラーメン

 

「うめきた」の工事も進んでいるようです。

 

中津陸橋からみたうめきたの工事現場

 

話は変わって、今回は戦後に竣工した海防艦を取り上げてみます。

昭和20年8月、建造中の艦艇は終戦により工事が中止されます。しかし、終戦に伴い外地からの引揚輸送に特設艦艇を含めて約150隻の艦艇を使用し、民間船舶も多数使用されますが、それでも船腹の不足に直面します。

 

そこで、GHQの許可を得て建造中の艦艇のうち容易に輸送に従事し得る艦艇の建造が再開されます。

これにより、戦後に竣工した艦艇を次に示します。

 

海防艦:第九七号(ただし、旗艦不良のため就役せず)、第百五号、第百七号、第五十八号、

      第七十八号、第百十六号、第百四十二号

敷設艇:粟島

 

戦後に竣工した敷設艇「粟島」

(引用:「丸スペシャル 敷設艇」No.47、1981年1月、潮書房、P.49)

 

このうち、「第百七号」海防艦(正式には特別輸送艦「海第107号」)は、日本鋼管鶴見造船所で昭和20年1月に起工されますが、終戦時は進捗率50%の状態でした。

昭和20年12月に第二復員局(帝国海軍を引き継いだ組織)に引き渡され工事が再開、昭和21年5月に特別輸送艦として竣工します。これは未成艦艇のうち最後の竣工艦でした。

【要目(第一号型(丙型))】

 基準排水量:745トン、全長:67.50m、水線幅:8.40m、公試状態吃水:2.90m

 機関:艦本式23号乙8型ディーゼル機関×2、推進軸:2軸

 出力:1,900馬力、速力:16.5ノット、乗員数:125名

 兵装:12cm45口径単装砲×2、25mm3連装機銃×2、3式爆雷投射機×12、爆雷投下軌条×1、

     95式爆雷×120、22号電探×1、93式水中聴音機×1、93式水中探信儀×1

 ※出典:世界の艦船「日本海軍護衛艦艇史」増刊第45集、No.507、1996年2月、海人社、P.32

 

第一号型(丙型)海防艦・「第十七号」海防艦(引用:Wikipedia)

(unknown (不明) - 写真日本の軍艦第7巻p239, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5497833による)

 

丙型海防艦は、内地-スマトラ間の船団護衛を想定し14ノットで6,500浬の航続力を持っており、復員輸送に十分耐え得る性能を持っていました。

 

竣工時の特別輸送艦「海第107号」は、当然の事ながら兵装は持たず、後甲板上に便乗者室と便所を持ったデッキハウスを増設しています。

艦内も乗員用区画の半分、また不要となった前後部弾薬庫や水測室、爆雷庫等が便乗者室に改装されました。これにより、乗員84名、便乗者443名が定員となりました。

 

特別輸送艦「海第107号」

(引用:「日本海軍全艦艇史 下巻」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.774)

 

「海第107号」は台湾および北支方面からの復員輸送に従事したことから、重油タンクの一部を廃止し船室へ改装されます。

「海第107号」は昭和22年1月に特別輸送艦の任務を解かれ、特別保管艦に指定されます。

 

その後、賠償艦として中国に引き渡されることとなり、昭和22年8月に青島で引き渡されます。

引渡し後は、国府海軍所属の潮安(CHAO-AN)と命名されます。

 

中文版のWikipediaによると、昭和24年2月に「潮安」は青島から台湾の基隆まで曳航され、同年12月に巡防艦として第3海岸防衛艦隊に配属されます。

その後、昭和25年6月に第1艦隊の第4分遣隊に編入されますが、昭和29年9月に馬公島に向かう途中

で台風「メアリー」(日本名:洞爺丸台風)に逢い甚大な被害を受けたことから、昭和29年12月に除籍されます。

(一説には昭和38年に除籍、という文献もあります)

 

たった9か月の復員輸送のために「最後の帝国艦艇」(木造特務艇・雑役船を除く)として終戦後に竣工し、中華民国へ引き渡された最新鋭艦は、洞爺丸台風によって8年間という短い生涯を終えました。

帝国海軍史の最後の1ページの片隅に忘れ去られている歴史です。

 

【参考文献】

Wikipedia および

中文Wikipedia