特設工作艦になりそびれた?戦標船「慶昭丸」の船歴 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日は土曜日ですが、久しぶりに休日出勤することはありませんでした。が、宿題を持って帰っており、丸一日MS ACCESSで約24万件のデータから必要なものを抽出し、MS Excelでグラフを作る、という作業をひたすら続けていました(泣)。

20時前にようやくひと段落ついたので、ブログを書こうかと。

 

手元に、誠文図書が1981年8月に発行した「海軍Xi (小艦艇・特務艦艇・雑役船・特設艦船) 」という、「海軍」編集委員会が編者となった書籍があり、その中の「特設艦船の部」を見ていました。

実はこの「特設艦船の部」は、以前図書館でコピーしたものを電子化していたのでPCで斜め読みしていましたが、ホームページを見るような感覚になりますね。

 

電子化した書籍のPCの画面

 

この中の「特設工作艦」の項に見慣れない船の名前を見つけました。

その船は「慶昭丸」という船名で、戦時標準船である「2TM型」油槽船のようです。この中で「昭和20年8月10日に特設工作艦に指定され、三井玉野で艤装することになった。しかし、まもなく終戦となった。」と記載されています。

特設工作艦は、昭和20年3月に「白沙」が特設工作艦から特設運送艦に類別変更されてから、所属した艦は無かったはず…。

 

特設工作艦「白沙」

(引用:「丸スペシャル 日本の小艦艇」No.53、1981年3月、潮書房、P.22)

 

ちなみに、「2TM」型油槽船の要目は、下記の通りです。

【要目】

 総トン数:2,820トン、重量トン数:4,300トン、

 垂線間長:93.0m、幅:13.8m、深さ:7.3m、満載吃水:6.04m 

 機関:甲12型蒸気タービン機関×1、主缶:円缶(重油専焼)×1、推進軸:1軸

 最高出力:1,200馬力、最高速力:11.5ノット

 ※出典:「本邦建造船要目表(1888-1945)」1976年5月、海文堂出版、P.271・299-300

 

「2TM」型油槽船「慶昭丸」

(引用:「海軍XI 」「海軍」編集委員会、1981年8月、誠文図書、P.236)

 

「慶昭丸」は昭和20年1月に浦賀船渠で進水し、2月に竣工し飯野海運に割り当てられますが、船舶運営会に所属し竣工とともに帝国海軍に徴傭され横須賀鎮守府の所管となります。

 

昭和20年春には南方からの物資輸送が遮断されたことから、唯一の物資輸入ルートである満洲方面からの輸送に頼ることになったものの、日本海側には大規模な造船所や修理工場が少なく、船の修理に支障を及ぼしてきました。

このため、帝国海軍では日本海側に「2TM」型戦時標準船を特設工作艦に改装し、来るべき本土決戦に備えて日本海側での艦船の損傷や故障の修理をさせることとし、当時三井玉野造船所で主缶を重油専焼から石炭専焼に改装中の「慶昭丸」を充てることになったようです。

 

「慶昭丸」の改装は三井玉野造船所で昭和20年5月末の完成を目指して行われ、船内には動力用のピストン発電機、空気圧縮機、電気溶接機、ニューマチックハンマー、ボール盤、旋盤などの機器を搭載する計画でしたが、改装工事は遅れ終戦時にはようやくほぼ完成した状態だったようです。

 

「海軍XI」には「慶昭丸」が特設工作艦に指定されたと書かれていますが、アジア歴史資料センターの資料にはそのような記述の資料はなく、三井玉野での改装の後に「特設工作艦」へ編入するつもりだったかもしれません。結局「慶昭丸」は、特設工作艦となることはなく終戦を迎えたようです。

 

「慶昭丸」は昭和25年4月に当初の船主であった飯野海運へ返却され、工作機械を撤去し貨物船として運用されますが、低性能な「慶昭丸」を持て余し昭和25年12月には政府に売却することとなります。

 

ところが、昭和25年の朝鮮戦争の勃発により海運業界は活況を呈しており、「慶昭丸」は機関をディーゼルに換装するなどの改修が行われ、昭和27年3月には飯野海運が買い戻し「玉島丸」と改名します。

昭和29年から32年にかけて北星海運にチャーターされ、北海道から本州への石炭輸送に当たります。

 

「2TM」型油槽船「慶昭丸」(上)と飯野海運・貨物船「玉島丸」(下)

(引用:「残存 帝国艦艇」木俣滋、1972年12月、図書出版社、P.290)

 

昭和31年には日本海陸運輸に売却され「海永丸」と再び船名が変更されますが、飯野海運がチャーターし、アラスカ方面から北洋木材の輸入に使用されます。そして、昭和42年に廃船となり生涯を閉じます。

 

どうも「慶昭丸」は、特設工作艦にはなりそびれましたが、戦後は改装され「玉島丸」と改名し貨物船として活躍しました。

私も今回調べてみて、初めて知りました。こんな船もあったんですね。

 

【参考文献】

 

 

 

 

 

「戦時造船史」小野塚一郎、1989年12月、今日の話題社

「本邦建造船要目表(1888-1945)」船舶機関調査研究委員会、日本船用機関学会、

                      1976年5月、海文堂出版