地図に名を残す二代目「武蔵」 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今回は「武蔵」を取り上げます。「武蔵」とは言っても戦艦「武蔵」ではありません。

戦艦「武蔵」から見て先代に当たる「武蔵」です。

 

この「武蔵」は、、明治15年から翌年度の計画により国内で建造された「葛城」型スループの3番艦として、明治17年10月に横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)で起工され、明治21年2月に竣工します。

船体構造は鉄骨木皮で、これまでの艦船より機関出力が大きく、従来の帆走主体から本格的な汽走主体となりました。

なお、「葛城」型の2番艦は「大和」で、次代の戦艦でも同型艦になっています。

【要目(新造時の「葛城」)】

 常備排水量:1,502トン、長さ:61.4m、幅:10.7m、吃水:4.6m

 機関:横置還動式2気筒連成レシプロ蒸気機械×1、推進軸:1軸、主缶:円缶(石炭専焼)×6

 出力:1,600馬力、速力:13ノット、乗員数:230名

 兵装:17cm単装砲×2、12cm単装砲×2、7.5cm単装砲×1、25mm4単装機砲×4、

     11mm3連装機砲×2

 ※引用:世界の艦船「日本巡洋艦史」増刊第32集、No.441、1991年9月、海人社、P.16

 

巡洋艦「武蔵」(引用:Wikipedia)

(Imperial Japanese Navy official photograph per naval achives kept at museum - Mikasa Memorial Museum, Yokosuka, Japan, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2792831による)

 

竣工後の「武蔵」は巡洋艦と呼ばれており、明治23年8月に「第一種」(戦闘航海の役務に堪えうる軍艦)に類別されます。

明治27年7月に始まった日清戦争では、小型・低速のため主力艦にはなり得ず、仁川方面警備や僚艦とともに大連・旅順・威海衛攻略作戦等に参加しています。

明治29年からは東北地方、北海道および千島列島の警備等の任務につきに就きます。

 

明治30年からは測量任務に就き、翌31年3月には三等海防艦に類別されますが、そのまま測量任務を続けます。

明治35年5月1日には、暴風のため北海道・根室湾口で座礁してしまい、横須賀造船廠で修理を受け10月に復帰します。

 

明治38年に始まった日露戦争では既に旧式となり海戦に使用できる状況ではなく、津軽海峡の警備に就いています。

 

大正元年8月には三等海防艦の廃止により二等海防艦に類別変更されたものの、引き続き測量任務に従事し、実質的には「測量艦」として運用されます。

そして、大正11年4月には正式に特務艦(測量艦)に類別変更され、名実ともに「測量艦」となり、引き続き測量任務に従事します、

 

測量艦「武蔵」

(引用:「写真 日本海軍全艦艇史 下巻」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.872)

 

大正15年に発見された、北海道・礼文島の南南西にある日本海中の浅所を測量したことから、この浅所は「武蔵堆」と名付けられ、同じ年に測量した北海道・天売島と焼尻島の間の水道は「武蔵水道」と名付けられました。

なお、同型艦の初代「大和」も、精密測量した「大和堆」にその名を残しています。

 

「武蔵堆」・「武蔵水道」の位置(引用:国土地理院GSI MAPS を加工)

 

「武蔵」は、昭和3年4月に艦歴40年を全うし除籍され、7月には廃艦第5号と仮称。10月には司法省に移管のうえ小田原少年刑務所三崎繋留宿泊船として使用され、昭和10年に廃船となりました。

 

「武蔵」には、さらに先代がいます。

米国海軍に所属した「ポータクセット」型蒸気スクーナーの6番艦「キワニー」で、西暦1864年8月(日本では元治2年・陰暦)に米国で竣工しました。

西暦1867年7月(慶応3年・陰暦)に売却され、さらに明治元年11月(西暦1868年12月から翌年1月)に明治新政府が購入し「武蔵艦」と命名されました。

【要目(米海軍・「キワニー」)】

 排水量:350トン、長さ42m、幅:8.08m、吃水:3.4m

 機関:蒸気機関、速力:12ノット、乗員数:69名(明治元年・2年)

 ※引用:Wikipedia

 

米海軍スクーナー「キワニー」と同型艦の「リーヴァイ・ウッドバリー」(引用:Wikipedia)

(不明 - Silverstone, Paul H. (1989): Warships of the Civil War Navies, p. 188, Naval Institute Press, ISBN 0-87021-783-6. Image caption states that the image is from the U.S. Naval Historical Center., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14034674による)

 

「武蔵艦」は、明治2年2月22日(西暦1869年4月3日)、東京湾の品川沖に停泊中、失火によって炎上した。 明治3年秋に船体を大蔵省に移管、明治4年に修復が完成し、商船として売却されています。

 

測量艦「武蔵」は、実質的に戦闘艦としての期間よりも測量艦としての期間が長く、その艦名が地名に残るほどの功績を挙げています。

しかし、3代目の戦艦「武蔵」が有名すぎて、2代目「武蔵」の功績はあまり知られていないのは少々寂しいですね。