給炭艦「野島」・ダンピールの悲劇 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

昨日の帰り、ウインズ梅田の近所にある小さな路地を入った所に祠があるのに気付きました。

参拝してから帰りました。

 

大阪市北区芝田2丁目にある祠

 

そして、今日は午後から休日出勤でしたが、19時には帰宅できました。

 

話は変わりますが、ある方のブログを読んでいて登場した艦があります。その艦は「野島」と言います。

「野島」は給炭艦で、帝国海軍で「給炭艦」として存在した2隻のうちの1艦です。

 

帝国海軍では、第一次世界大戦中に船舶の不足と運賃の高騰により必要とする船腹を随時確保することが困難になります。この対策として、大正6年度に2隻の給炭艦の建造を計画します。

これが「室戸」型給炭艦の「室戸」と「野島」です。

「室戸」型の2番艦である「野島」は、大正7年7月に三菱神戸造船所で起工され、大正8年3月に竣工し佐世保鎮守府に籍を置きます。

【要目(大正9年当時)】

 常備排水量:8,750トン、垂線間長:105.16m、最大幅:15.24m、吃水:7.06m

 機関:直立式3気筒3段膨張式レシプロ蒸気機械×1、推進軸:1軸、主缶:円缶(石炭専焼)×2

 出力:2,500馬力、速力:12.5ノット、乗員数:124名、搭載能力:石炭838トン

 兵装:12cm45口径3年式単装砲×2

 ※引用:世界の艦船「日本海軍特務艦船史」増刊第47集、No.522、1997年3月、海人社、P.26

 

給炭艦「野島」(引用:Wikipedia)

(不明 - 『世界の艦船 増刊第44集 日本軍艦史』海人社、1995年8月号増刊。p174。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6724456による)

 

「野島」は艦隊随伴を目的としておらず、石炭と物資輸送用として一般の貨物船と類似の艦型として建造されました。

 

竣工時には「運送船」に類別されましたが、大正9年4月に運送艦(給炭)に類別が変更されています。

大正11年8月にはカムチャッカ半島で悪天候により沈没した二等海防艦「新高」の遭難現場に派遣されています。(日露戦争・第一次大戦で活躍した二等巡洋艦「新高」

大正15年11月には特務艦(給炭艦)の類別が新設され、「室戸」型運送艦はこの類別に編入されます。

 

昭和5年には主缶が円缶2基から宮原式缶3基に換装され、速力も14ノットに向上しています。

昭和7年には12cm単装砲2基を8cm40口径3年式単装高角砲に換装したうえで第一次上海事変に参加し、昭和12年以降は日華事変にも参加しています。

 

8cm高角砲を装備した「野島」

(引用:「写真 日本の軍艦第13巻 小艦艇1」1990年8月、光人社、P.23)

 

大東亜戦争の開戦伴い、昭和16年12月に「野島」は南遣艦隊の付属となり、現・ベトナムのカムラン湾に向かいまが、昭和16年12月27日に香港の南西沖で米潜水艦「パーチ(SS-176)」の雷撃を受けます。

「野島」は、命中した魚雷は爆発しなかったものの二番船艙を貫通したため、沈没を免れるため紅海湾に擱座します。

 

米国海軍潜水艦「パーチ(SS-176)」(引用:Wikipedia)

(不明 - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2568572による)

 

昭和17年1月19日には波浪により「野島」の船体は切断されてしまいます。 それでも1月29日には曳航されて香港に入港し、第2工作部により修理が行われます。昭和17年12月8日にようやく修理が完了しますが、この際にマスト形状を単脚マストから門型マストに変更しています。

 

昭和17年12月15日には外南洋部隊に編入され、一度佐世保に帰投した後、昭和18年1月6日ににニューブリテン島のラバウルに進出し、コロンバンガラ島やニューブリテン島などへの輸送任務などに従事します。

 

昭和18年2月7日にガダルカナル島からの撤退を完了した帝国陸海軍は、次の主戦場をニューギニア島と定めます。そしてニューギニア島の攻略作戦は「八十一号作戦」と名付けられ、昭和18年2月28日にニューギニア島のラエへ向けて陸軍第51師団を乗せた輸送船団をラバウルから発信させます。

船団には帝国陸軍の徴傭船「大井川丸」「太明丸」「建武丸」「帝洋丸」「愛洋丸」「神愛丸」「旭盛丸」と都もに「野島」が充てられました。また、護衛には一等駆逐艦艦「白雪」「朝潮」「荒潮」「朝雲」「時津風」「雪風」「敷波」「浦波」が就きました。

 

昭和18年3月2日、輸送船団はニューブリテン島西端グロスター岬北東海面を航行していたところ、午前8時以降に、連合軍のB-17爆撃機と護衛戦闘機が襲来し、高度2000mで水平爆撃を行います。この攻撃で、「旭盛丸」が直撃弾2発を受け、大火災となって沈没します。

 

昭和18年3月3日、午前7時30分以降に「ダンピール海峡」(正確には「ビティアス海峡」)を抜け、ニューギニア・クレチン岬の南東約14海里地点のに差し掛かった輸送船団に対し、連合軍機の大部隊が突入してきます。

これに対し船団護衛中の帝国海軍の護衛戦闘機との間で空中戦が行われますが、高高度から爆撃を行うB-17爆撃機に対して攻撃を仕掛けたことから、低高度の護衛が手薄になります。

この時、中型のB-25爆撃機が低空で爆弾を水面低く跳ねさせて目標に激突させる爆撃法である「反跳爆撃」を行います。

 

米国陸軍・爆撃機「B-25・ミッチェル」(引用:Wikipedia)

(Sherwood Mark, photographer ("Mark" is surname). - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs divisionunder the digital ID fsac.1a35397.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7107152による)

 

この連合軍の攻撃により、輸送船7隻と一等駆逐艦「白雪」「荒潮」「時津風」が被弾し戦闘不能となり、艦橋を破壊され舵故障に陥った「荒潮」は「野島」と衝突してしまいます。この攻撃で「建武丸」「愛洋丸」と一等駆逐艦「白雪」が沈没し、「荒潮」「時津風」は行動不能、「野島」は午前8時頃に缶室、機械室に被爆し火災発生、航行不能となり12時30分に総員退去となります。

 

残存する駆逐艦「浦波」「敷波」「朝潮〉」「朝雲」「雪風」は沈没艦の生存者の救助活動を開始しますが、午前10時35分頃から連合軍機の再来襲の報が入ったことから、退避命令が発せられます。

この時、一等駆逐艦「朝潮」艦長の佐藤大佐は「ワレ『野島』艦長トノ約束アリ、『野島』救援ノ後、避退ス」と発信し、「野島」の救助に向かいます。

 

一等駆逐艦「朝潮」(引用:Wikipedia)

(Shizuo Fukui - Kure Maritime Museum, Japanese Naval Warship Photo Album: Destroyers, edited by Kazushige Todaka, p. 84, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5804150による)

 

午後1時15分頃より連合軍機が再度来襲、「神愛丸」「太明丸」「帝洋丸」と漂流中の「野島」が沈没します。「野島」の救援に向かった「朝潮」は、「野島」の乗組員と「荒潮」の乗組員の一部を救助しますが、付近を行動していた帝国陸海軍艦船の中で唯一行動可能であったことから、集中攻撃を受け沈没します。

 

被弾し航行不能となっていた「大井川丸」はその夜、アメリカ軍魚雷艇の攻撃を沈没受け沈没、放棄され漂流していた駆逐艦「荒潮」「時津風」は後に米軍機の攻撃を受け沈没します。

 

この一連の戦闘は「ビスマルク海海戦」と呼ばれ、8隻の輸送船団は全滅、護衛駆逐艦も8隻中4隻が沈没、搭乗していた帝国陸軍第51師団の主力な約3,000名以上の戦死者を出すという惨事となり、その後のニューギニア方面作戦に大きな影響を与えることとなりました。この出来事は後に「ダンピールの悲劇」と呼ばれることとなります。

 

ビスマルク海海戦で被弾・炎上した「太明丸」(引用:Wikipedia)

(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=403122)

 

ガダルカナル島の撤退、そして「ダンピールの悲劇」から帝国陸海軍の戦局は大きく転換することとなり、以降は連合軍の圧倒的な物量に敗れていくこととなります。

 

既に「老兵」であった給炭艦として、一度は船体が切断するほどの被害を受け修理により復活したものの、「ダンピールの悲劇」に消えた「野島」の最期を取り上げてみました。

 

【参考文献】

 

 

 

 

【余談】

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