八八艦隊・幻の航空母艦「翔鶴」 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

一昨日から1泊2日で山陰地方の出張に行ってきました。

米子駅では、建て替えのため9月4日で現駅舎が廃止され、仮駅舎へ移転するらしいです。

 

現在の米子駅

 

今日は久しぶりにサノヤスへ行ってみようかと思いましたが、体力が…。年ですかね。

 

今回は幻の航空母艦を取り上げてみましょう。その名は「翔鶴」といいます。

「翔鶴」は幻ではないだろう。珊瑚海海戦や南太平洋海戦で活躍したではないか。と思われるでしょうが、帝国海軍では「翔鶴」の名は3代にわたって継がれています。

3代目が大東亜戦争で活躍した航空母艦「翔鶴」です。今回取り上げるのはその先代、2代目の「翔鶴」です。

2代目「翔鶴」は八八艦隊計画において建造が計画された航空母艦2隻の1番艦で、大正11年12月に竣工した専用設計で建造された世界初の航空母艦「鳳翔」の拡大改良型として計画されました。

 

航空母艦「鳳翔」(引用:Wikipedia)

(Japanese_aircraft_carrier_Hōshō1922a.jpg: 不明derivative work: 0607crp (talk) - Japanese_aircraft_carrier_Hōshō1922a.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11083617による)

 

航空母艦「鳳翔」の運用試験実績から八八艦隊計画の航空母艦は新設計とされ、艦橋は飛行甲板前端の甲板下に設置されることとなり、また煙突は飛行甲板下の右側に横向きに配置されるなど、その後の帝国海軍の小型航空母艦の原型とも言える艦型であったとされます。

 

後の航空母艦「龍驤」は「翔鶴」の計画を引き継いで設計されたとされていますが、途中で格納庫の増設などの設計変更があったことから、実際は全く別の艦となりました。

 

航空母艦「龍驤」(引用:Wikipedia)

(不明 - 広島県呉市海事歴史科学館所蔵品[1]。Photo from the Archives of the Kure Maritime Museum., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3563301による)

 

「翔鶴」は公式には「常備排水量 12,500トン」の要目以外は決定されておらず、詳細は不明ですが、大正10年2月17日に「達第二十六号」で大正9年度において建造に着手すべき艦として「航空母艦一隻 翔鶴シャウカク」として挙げられています。

「翔鶴」型2隻は、「鳳翔」の船体を建造した浅野造船所での建造が予定されていました。

 

しかし、ワシントン海軍軍縮条約により、巡洋戦艦「天城」「赤城」が航空母艦として建造されることが決定し、代わりに「翔鶴」型2隻の建造は中止されることになりました。2番艦は予定艦名すら決まっていない段階での建造中止でした。

 

ちなみに、初代「翔鶴」は、安政4年米国・ニューヨークで建造された「ヤンチー」(Yangtse、揚子)という船で、外輪式の木造蒸気船であったとされています(スクリュー推進であったとの文献もあり)。

文久3年11月に徳川幕府が14万5千ドルで購入し「翔鶴丸」と命名します。

【要目】

 船形:蒸気・外車、船質:木、噸数:350噸、

 長さ:三十三間(60m)、幅:4間(7.4m)、出力:350馬力

(引用:「海軍歴史」 巻之23 船譜(1)、アジア歴史資料センター Ref.C10123646500)

※「日本近世造船史(明治時代)」造船協会、1911年1月、弘道館 では「螺(スクリュー)」となっている。

 

幕府では「翔鶴丸」を運送船としましたが、若干の武装搭載していました。文久3年12月には上洛する将軍・徳川家茂が乗船、品川沖に集結した幕府・諸藩連合艦隊の旗艦を務め、大坂へ向かっています。

 

 第二次長州征討では、屋代島(周防大島)への上陸作戦や小倉口の戦いで陸上砲撃等を行い、 鳥羽・伏見の戦いでも、榎本艦隊の1隻として大阪湾の海上封鎖に加わっています。

 

慶応4年4月に旧幕府から明治政府へ献納され、帝国海軍艦籍の第2号となります。

戊辰戦争では明治政府の艦として活用されますが、11月に肥前藩の兵隊を乗せて大阪から東京へ回航の途中、静岡・熱海の網代湾で沈没し生涯を閉じます。

 

「翔鶴丸」の姿を示す画像が見つからなかったため、レジンキットの製作・販売をしている「フェアリー企画」から発売されているレジンキット「長州征伐」の箱絵で勘弁してください。

フェアリー企画「長州征伐」の箱絵(左上が「翔鶴丸」)

 

3代目「翔鶴」が有名なので、初代・2代目のことはあまり知られていないと思いますが、「翔鶴」の名にはこんな歴史がありました。

 

航空母艦「翔鶴」(引用:Wikipedia)

http://www.history.navy.mil/photos/sh-fornv/japan/japsh-s/shokaku.htmhttp://www.history.navy.mil/photos/images/h73000/h73066.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1555616による