初めて溶接を広範囲に採用した敷設艦「八重山」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今回は敷設艦を取り上げようと思います。

一等巡洋艦「高雄」型や、航空母艦「龍驤」などとともに、昭和2年度艦艇補充計画で敷設艦1隻が計画されます。この計画で建造されたのが敷設艦「八重山」です。

「八重山」は、戦時には前進基地へ進出して機雷敷設や対潜哨戒などを行い、平時には訓練用途を考慮されたことから、小型・浅喫水の敷設艦として設計され、昭和5年8月に呉海軍工廠で起工、昭和7年8月に竣工しました。

 

【要目(新造時)】

 基準排水量:1,135トン、水線長:89.00m、最大幅:10.65m、計画吃水:2.84m

 機関:直立式3段膨張レシプロ蒸気機関×2、主缶:ロ号艦本式水管缶×2、軸数:2

 出力:4,800馬力、速力:20.0ノット、乗員:180名

 兵装:12cm45口径単装高角砲×2、12mm単装機銃×2、6号機雷×185個、爆雷投射機×2、

     爆雷投下台×6、爆雷投下機×4、爆雷×18

 ※出典:世界の艦船「日本海軍特務艦船史」増刊第47集、No.522、1997年3月、海人社、P67

 

新造時の敷設艦「八重山」(出典:Wikipedia)

 

「八重山」はそれまで使用されてきた5号機雷と比べ、重量が2倍以上も大きい6号機雷を上甲板の敷設軌条に100個、艦内の前部に35個、艦内l後部に50個搭載し、機雷昇降筒で上下を連絡しながら、すべての機雷を艦尾にある4箇所の投下軌条から敷設する形式となっています。

 

「八重山」の最大の特徴は、電気溶接を広範囲に採用した帝国海軍最初の艦であったことです。しかし、特に曲がりの大きい前部外板部では肋骨が目立ち、後に改造を要したと言われています。

 

昭和9年末から「友鶴事件」の対策工事が実施され、復元性向上のため艦艇にバラストキール(深さ700mm)の装着、マストの短縮、後部12cm高角砲の盾の撤去などが実施されます。

 

復元性向上改装後の「八重山」

(出典:「丸スペシャル」No.42、1980年8月、潮書房、P18)

 

さらに、第四艦隊事件後に強度不足が指摘されており、昭和11年秋には荒天下での航行中に船体の一部に変形を生じたことから直ちに応急対策が実施され、さらに昭和13年には舞鶴海軍工廠において板厚の増加や二重張りの実施、電気溶接部を一部鋲接へ変更するなど、本格的な補強工事が行われます。

 

「八重山」は昭和12年頃から中国大陸方面で行動しますが、大東亜戦争の開戦により南洋・パラオに進出、開戦に際しスリガオ海峡に機雷敷設を行い敷設艦の本領を発揮します。

しかし、昭和17年に入ると船団護衛や物資輸送を行い、第二の用途である「対潜哨戒」と、高角砲による防空任務に当たります。

 

昭和17年・フィリピン方面で行動中の「八重山」

(出典:「丸スペシャル」No.42、1980年8月、潮書房、P27)

 

昭和19年9月24日、ミンドロ島南端を航行中の「八重山」と「第32号」駆潜艇は、米軍機動部隊から出撃した艦載機を受けて沈没します。なお、同日の空襲では、フィリピン・コロン湾に停泊中の水上機母艦「秋津洲」や給糧艦「伊良湖」なども撃沈されています。

 

「八重山」の名は海上自衛隊に引き継がれます。

二代目「やえやま(MSO-301)」は、昭和61年度年度から平成2年にかけて計画された「中期防衛力整備計画」により、平成元年度に発注された「敷設艦」で、平成2年8月に日立造船神奈川工場で起工され、翌年8月に進水、平成5年3月に就役し横須賀基地に配置されます。

それまでの海上自衛隊における掃海艇と同様に、磁気反応型機雷を避けるため船体は木造であり、米海軍のアヴェンジャー級掃海艦(満載排水量:1,379トン)とともに、当時世界最大級の木造船舶でした。

 

【要目】

 基準排水量:1,000トン、満載排水量:1,200トン、全長:67.0m、最大幅:11.8m、吃水:3.1m

 機関:ディーゼル×2、軸数:2

 出力:2,400馬力、速力:14.0ノット、乗員:60名

 兵装:20mm多銃身機銃×1、深々度掃海具および機雷処分具一式

 ※出典:世界の艦船「海上自衛隊全艦艇史」増刊第66集、No.630、2004年8月、海人社、P166

 

掃海艦「やえやま(MSO-301)」(出典:Wikipedia)

 

平成13年6月にはシンガポール周辺海域でで実施された第1回西太平洋掃海訓練に参加、平成26年10月から11月にかけてアラビア半島周辺海域で実施された米国主催第3回国際掃海訓練に参加するなど、小型艦にもかかわらず南洋方面やインド洋へ向かい訓練を行った実績があります。また、平成23年の東日本大震災においては、災害派遣され活動しました。

そして、平成28年6月に除籍されています。

 

初代「八重山」は、電気溶接を広範囲に採用した帝国海軍最初の艦して、以降の造船界に大きな影響を及ぼす画期的な出来事として、記憶すべき出来事だと思い取り上げてみました。