譲渡される?三菱重工香焼工場の前身・川南工業で大量建造された戦時標準船 | 艦艇・船舶つれづれ

艦艇・船舶つれづれ

旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

この週末は、この時期恒例の仕事の輻輳、そして家に帰ると年賀状作成などの年末の準備で、ブログを書く時間、というより題材を考える時間がありません。昨日も書くことができませんでした。

 

先日、三菱重工の長崎造船所香焼工場が大島造船所に譲渡される、とのニュースがネットに上がっていました。

 

2016年12月、香焼工場で建造中の豪華客船

 

三菱重工長崎造船所・香焼工場は、三菱が建設したものではなく、明治33年に松尾造船所が建設したものに始まります。

明治35年には3,000トン級の船渠を建造したものの、明治末期から大正初期にかけての不況により経営は厳しいものでした。ところが、大正3年に第一次世界大戦が勃発すると、大日本造船界は活況を呈するようになり、大正3年には1800トン級の第二船渠を建造します。

さらに大正5年には10,000トン級の船渠の建設を計画するなど、事業拡張に進むことになりますが、その後の造船不況により松尾造船は大正11年に経営破綻し、造船所は大正14年に操業を停止します。

昭和7年から海軍省と政府の肝入りによる「船舶改善助成施設」により船舶のスクラップ・アンド・ビルトが始まり、徐々に造船業界が活況を呈してくると、放置されていた松尾造船に目を付ける者が出てきます。

その目を付けた者とは、川南豊作という方で、昭和9年に設立され、朝鮮半島で缶詰製造を行っていた川南工業の創業者・川南寿造の甥で、昭和11年9月に松尾造船を買収し川南工業香焼島造船所を設立します。

昭和12年には10,000トン級の船渠2基を完成させ、3,000トン級および10,000トン級の標準船の建造を進めていきます。その後は順次設備を拡張し、10,000トン級の船渠3基、100,000トン級の船渠1基の大工場に成長、大東亜戦争が始まると、戦時標準船の大量建造を受注することとなります。

昭和18年度の主要造船所別竣工量を見ると、三井造船・玉野や播磨造船を抑え、三菱・長崎造船所に次いで2位、昭和19年度には三菱・長崎造船所を抑えて首位に立つなど、驚異的な発展を遂げることになります。

 

川南工業は、戦後も暫く戦時標準船を新造していましたが、艦船の設計能力に乏しく休眠状態になり、昭和25年に破産を申し立て、昭和30年に川南工業は倒産します。さらに、昭和36年に川南豊作はクーデター未遂事件・三無事件の首謀者として逮捕されることとなります。

そして、昭和43年に工場敷地を三菱重工業が買収し、世界最大級ともいわれる100万トン船渠を持つ巨大造船所へ拡張され現在に至ります。

 

戦時中、川南工業香焼島造船所で建造された戦時標準船は

  ・1A型:3隻  ・2A型:42隻  ・2A型:42隻  ・3D型:2隻  ・2A型:42隻  ・2E型:160隻

※数字は「船の科学 日本船舶史(抄) 戦時標準船(その1)~(その6)」1993年2月~1996年3月、遠藤昭著、船舶技術協会 によります。

 

【要目(2A型:山威丸:山下汽船)】

 総トン数:6,866トン、積載重量:11,150トン、垂線間長:128.0m、幅:18.2m、深さ:11.10m 

 機関:川崎タービン機関×1、主缶:円缶×2、推進軸:1軸

 最高出力:2,200馬力、最高速力:12.17ノット

 ※出典:「本邦建造船要目表(1888-1945)」1976年5月、海文堂出版、P.198-199

戦時標準船2A型

(出典:「船の科学」1993年2月、「日本船舶史(抄):遠藤昭」、船舶技術協会、P75)

 

【要目:2E型】

 総トン数:870トン、積載重量:1,080トン、全長:60.0m、幅:9.50m 

 機関:ディーゼル又はレシプロ機関×1、推進軸:1軸、速力:10.5ノット

 ※出典:「戦時標準船入門」、大内健二、2010年7月、光人社、P89

戦時標準船2E型

(出典:「船の科学」1993年2月、「日本船舶史(抄):遠藤昭」、船舶技術協会、P75)

 

戦時標準船は大量建造を試みたものの、大東亜戦争で多数の喪失船を出す結果となります。残存した船舶はそのままでは使用できず、戦後に改装を受け使用を続けられた船もありますが、特に川南工業の建造船はは粗製乱造で技術力も低く、比較的早期に姿を消しています。

そのほか、帝国海軍艦艇として、次の駆潜艇を4隻建造しています。

 ・第四十一号、第四十四号、第四十七号、第五十一号

 

 

大型船を建造中の三菱重工業香焼工場(平成31年2月)

 

戦前の川南工業期における大量の戦時標準船の建造、そして戦後の三菱重工期における超大型船舶や豪華客船の建造といった栄光の歴史を持った工場を、日本造船界の雄である三菱重工が手放す時代となったこと、また、本年は呉海軍工廠や舞鶴海軍工廠を継承したジャパン・マリンユナイテッドが今治造船との資本提携を行うなど、は、時代が変わった感がありますね。