敵制空権下の強硬輸送から戦後の食糧不足まで対応した「輸送艦」 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

このブログをフォローしていただいている方で、ガダルカナルの戦闘に関するブログを書かれている方がいらっしゃいます。

この中で、制空権を失ったガダルカナル島への物資輸送に駆逐艦を使用した「鼠輸送」を行っている様子が描写されていました。

ガダルカナル島への鼠輸送では、「ルンガ沖夜戦」や「クラ湾夜戦」などの戦闘が起こったほか、日中の往復時に連合軍機に発見されると、その都度空襲による被害が発生しました。

帝国海軍は鼠輸送に延べ350隻以上の駆逐艦を投入し、約半年間で駆逐艦14隻を喪失、延べ63隻が損傷を受ける被害が発生しています。

 

ルンガ沖夜戦で損傷した米国重巡洋艦「ミネアポリス」(出典:Wikipedia)

 

クラ湾夜戦で損傷・放棄された一等駆逐艦「長月」(出典:Wikipedia)

 

帝国海軍では、ガダルカナル島を含む一連のソロモン海での戦訓により、昭和18年に鼠輸送専用艦というべき2種類の輸送艦の建造を計画・実行します。艦尾にスロープをつけて大発を発進できるようにした一等輸送艦、戦車揚陸艦タイプで直接接岸できる二等輸送艦がこれに当たります。

 

「第一号型」は特務艦特型(略称特々)と呼ばれ、当初は軍令部から高速補給艦について、丁型(松型)駆逐艦の主機械を1軸に減らし、空いた部分に物資を搭載することを念頭に置いた要求がなされました。

しかし、 この計画では非常に能率が悪い艦型になってしまうため、 輸送能力を強化した新艦型を設計することになります。

また、本来の任務たる急速補給任務に加え、大発動艇と水陸両用戦車を搭載しての攻撃的運用も追加要求されたため、艦尾に発進のためのスロープを設けることになり、丁型駆逐艦より一回り大きい艦型が決定され、46隻の建造が計画されました。

 

船体形状は丁型海防艦と同様に簡易な線図を用い、船体はブロック建造方式を採用し電気溶接を広範囲に採用することで生産性を向上させています。

建造は主に呉海軍工廠で行われ、戦艦「大和」を建造した船渠で2隻ずつ一括して建造されました。

 

【要目(第一号型・新造時)】

 基準排水量:1,500トン、垂線間長:89.00m、幅:10.20m、平均吃水:3.60m

 機関:艦本式オール・ギヤード・タービン×1、主缶:ホ号艦本式(重油専焼)×2、推進軸:1軸

 出力:9,500馬力、速力:22.0ノット、乗員数(計画):145名

 搭載能力:貨物260トン、14m特型運貨船×4

 兵装:12.7cm40口径連装高角砲×1、25㎜3連装機銃×3、25㎜連装機銃×1、25㎜3単装機銃×4、

     爆雷×18

 ※出典:世界の艦船「日本海軍特務艦船史」増刊第47集、No.522、1997年3月、海人社、P106

 

一等輸送艦 「第四号輸送艦」(出典:Wikipedia)

 

「第百三号型」は敵の制空権下を高速で突破できる専用輸送艦で、戦車などの車両を急速に揚陸させられる輸送艦として計画されます。機能的には戦車揚陸艦の一種ではあるものの、味方の地上部隊への補給物資や増援部隊の高速輸送を本来の任務とし、103隻の建造が計画されました。


船体は「第一号型」と同様、生産性の観点から船型は直線と平面を多用し、船体を船首部、中央部、船尾部の2個のブロックに分けて建造するブロック工法が採用されました。

 

本艦型は、平底かつ平らな艦首の箱型船型のため、あまり航洋性は高くなく、荒天時は島伝いに航行する計画でしたが、実戦では硫黄島への航海など日本近海でも使用された際に船体の強度不足が露呈したため、補強工事が行われました。

 

当初は、予定していたタービン機関の製造が間に合わなかったため、初期に建造された6隻はディーゼル機関とされたため、煙突回りの艤装が異なるため「第百一号型」と区分されることが多いですが、帝国海軍内部では区別はされていません。

また、当初は「特設輸送艦」に類別されていましたが、昭和19年2月に艦艇類別等級が変更され「二等輸送艦」に類別されることになります。

 

さらに、未成艦を含めて35隻が帝国陸軍へ引き渡され「SB艇」と呼ばれますが、うち13隻が海軍へ返還され、最終的には合計22隻が帝国陸軍で運用されました。

 

【要目(第百三号型・新造時)】

 基準排水量:870トン、垂線間長:72.00m、幅:9.10m、平均吃水:2.94m

 機関:艦本式甲25型オール・ギヤード・タービン×1、主缶:ホ号艦本式(重油専焼)×2、推進軸:1軸

 出力:2,500馬力、速力:16.0ノット、乗員数(計画):100名

 搭載能力:貨物220トン(97式中戦車×9、人員×120名、貨物22トン)

 兵装:8cm40口径単装高角砲×1、25㎜3連装機銃×2

 ※出典:世界の艦船「日本海軍特務艦船史」増刊第47集、No.522、1997年3月、海人社、P109

 

二等輸送艦 「第百五十一号輸送艦」(出典:Wikipedia)

 

九五式軽戦車を上甲板へ揚収する試験中の「第百四十九号輸送艦」(出典:Wikipedia)

 

一等輸送艦・二等輸送艦は、その建造経緯から短期間の訓練時間を経て、敵制空権下の強行輸送に従事することとなります。

 

まずはフィリピン方面への増援輸送として計画された「多号作戦」へ集中的に投入されます。

例を挙げると、第8次多号作戦では、輸送船として「赤城山丸」「白馬丸」「第五真盛丸」「日洋丸」「第十一号輸送艦」に護衛艦艇として一等駆逐艦「梅」「桃」「杉」、駆潜艇「第十八号」「第三十八号」が付き、昭和19年12月5日にフィリピン・マニラからレイテ島北西岸のサンイシドロを目指します。

12月7日10時には無事揚陸地点に到着しますが、連合軍の戦闘爆撃機(P-40・P-47)32機、P-38ライトニング50機、海兵隊のF4Uコルセア16機の波状攻撃を受け、人員は上陸したものの軍需品の揚陸には失敗、物資は砲2門他の揚陸に留まり、輸送船4隻と「第十一号輸送艦」は被害が大きく、船体は放棄されます。

 

擱座・放棄された「第十一号輸送艦」(出典:Wikipedia)

 

続く第9次多号作戦では、輸送船「美濃丸」「空知丸」「たすまにや丸」、「第百四十号輸送艦」「第百五十九号輸送艦」に護衛艦艇として一等駆逐艦「夕月」「卯月」「桐」、駆潜艇「第十七号」「第三十七号」が付き、12月9日にフィリピン・マニラからオルモック湾を目指して出港します。

しかし、12月11日には連合軍戦闘爆撃機(P-40・F4U・P-38)多数の本格的な攻撃を受け、「卯月」が損傷、「たすまにや丸」「美濃丸」が擱座・沈没してしまいます。さらにその夜には「卯月」が米国潜水艦の雷撃を受け沈没します。

残った「夕月」「桐」と「第百四十号輸送艦」」「第百五十九号輸送艦」は11日の22時にオルモック西方2kmの地点に突入し揚陸を開始します。人員・戦車の全部と機材の半分を揚陸は成功しましたが、陸上からの砲撃と艦砲射撃により「第百五十九号輸送艦」は大破し船体は放棄されます。


フィリピン・オルモック湾で大破・擱座した「第百五十九号輸送艦」(出典:Wikipedia)

 

フィリピンから戦線が縮小されるに従い、、硫黄島・小笠原方面への輸送を行っており、危険な任務に多用されたことから、一等輸送艦では竣工した21隻中15隻が、二等輸送艦では竣工した49隻中40隻と多数の喪失艦を出しています。なお、昭和20年2月に「第百四十九号輸送艦」が雑役船「第一黒潮」に、「第百四十九号輸送艦」が雑役船「第二黒潮」に類別変更されています。

 

中には小型潜水艇の「甲標的」や人間魚雷「回天」の母艦となり、フィリピンや沖縄方面への輸送任務に当たった一等輸送艦もありました。

 

甲標的発信実験中の「第五号輸送艦」

(出典:「丸スペシャル 掃海艇・輸送艦」No.50、潮書房、1981年4月、P.45)

 

戦後、生き残った輸送艦は、そのほとんどが特別輸送艦として復員輸送に使用されます。復員輸送終了後は賠償艦として、「第十九号輸送艦」「第百十号輸送艦」が英国へ、「第十三号輸送艦」「第百三十七号輸送艦」がソ連へ、「第十六号輸送艦」「第百七十二号」輸送艦が中国に、「第九号輸送艦」「第百四十七号輸送艦」が米国にそれぞれ賠引き渡され、他の艦は内地で解体され生涯を閉じています。

 

賠償艦として経由地の佐世保へ向かう旧「第百十号輸送艦」(艦首に水切りが設置されている)

(出典:「終戦と帝国艦艇」福井静夫、2011年1月、光人社、P.192)

 

また、特異な活用をされた艦があります。戦後の食糧不足解消に向けて捕鯨が再開されますが、戦時中の喪失により捕鯨母船が不足していたことから、その対策として一等輸送艦の転用が検討されます。

一等輸送艦の特徴である後部のスロープが鯨の引揚に活用できることから、「第九号輸送艦」は捕鯨母船に改造され、一時期ではあるものの大洋漁業への貸し出しが行われたこともありました。


捕鯨母船に改造された旧「第九号輸送艦」

(出典:「丸Graphic Quarterly 写真集 日本の小艦艇」潮書房、1974年7月、P.144)

 

大東亜戦争中に過酷な任務に使用される艦として建造され、敵制空権下の強硬輸送から、戦後の復員輸送・食糧対策にまで活躍した輸送艦ですが、一般には影の薄い艦種ではあります。

これを機会に少しでも知っていただければ、と思い取り上げてみました。