舞鶴・海軍記念館の展示物と駆逐艦「東雲」 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

昨日の舞鶴遠征では、北吸桟橋だけではなく、海軍記念館、赤レンガパーク、舞鶴引揚記念館、海軍墓地と回ってきました。

海軍記念館に到着、舞鶴地方総監部の入口で入場証?をもらって坂を上がっていくと、左手に記念館の建物が見えます。

 

 

入口正面に東郷元帥の胸像と、水上機母艦「秋津洲」の軍艦旗が掲げてありました。

 

 

水上機母艦「秋津洲」(出典:Wikipedia)

 

展示室の奥にある旧海軍機関学校大講堂

 

 

第一展示室には「駆逐艦の舞鶴」らしく、駆逐艦の模型がありました。

その中で、目に付いたのは駆逐艦「東雲」の模型。他の駆逐艦が軍艦色であるのに対し、「東雲」だけは白色に塗られており、非常に鮮やかに写ります。

 

駆逐艦「東雲」の模型

 

ということで、今回は「東雲」を取り上げてみましょう。

初代の駆逐艦「東雲」は、日清戦争後の第1期拡張計画に基づいて、英国ソーニクロフト社で「第三号水雷艇駆逐艇」として建造され、明治32年2月に竣工しました。当初は「水雷艇駆逐艇」に類別されていましたが、明治33年6月に「水雷艇駆逐艇」の類別が廃止され、新たに「駆逐艦」の類別が定められたことから、「東雲」も駆逐艦に類別されるとともに、佐世保鎮守府所属となります。

【要目(新造時)】

 常備排水量:322トン、垂線間長63.6m、幅:6.0m、平均吃水:1.7m

 主機:4気筒三連成レシプロ蒸気機関×2、缶:ソーニクロフト式水管缶(石炭専焼)×3、推進軸:2軸

 出力:5,475馬力、速力:30ノット、乗員:58名

 兵装:8cm単装砲×1、57mm単装砲×5、 45cm単装魚雷発射管×2

 ※出典:世界の艦船「日本駆逐艦史」増刊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P12

 

三等駆逐艦「東雲」

出典:世界の艦船「日本駆逐艦史」増刊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P13)

 

明治35年6月には沖縄県を巡行中に宮古島近傍の池間島北方に広がる八重干潟で座礁していまい、巡洋艦「明石」等に救助されています。

明治37年に日露戦争が勃発した際には、第一艦隊第三駆逐隊に所属しており、2月8日の第一回旅順口攻撃では、露国の防護巡洋艦パルラーダ(後の帝国海軍二等巡洋艦「津軽」)に魚雷を命中させる戦果を挙げています。その後も黄海海戦、日本海海戦にも参加しています。

大正元年8月には艦艇類別標準の改正に伴い、「東雲」は三等駆逐艦とされます。そして、大正2年7月20日、台湾の淡水から馬公に回航途中の台南庁安平港北西沖で暴風により座礁してしまい、23日には船体が切断し沈没して果てます。

 

 

二代目の「東雲」は特型駆逐艦の6番艦として、佐世保工廠で建造され昭和3年7月に竣工しています。特型駆逐艦のネームシップは「吹雪」ですが、竣工は「磯波」に続いて2番目に早かったようです。竣工時には「第40号駆逐艦」と命名されますが、翌月には「東雲」と改名されています。

【要目(新造時の「吹雪」)】

 基準排水量:1,680トン、全長118.0m、幅:10.4m、平均吃水:3.2m

 主機:4気筒三連成レシプロ蒸気機関×2、主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×4、推進軸:2軸

 出力:50,000馬力、速力:38.0ノット、乗員:219名

 兵装:12.7cm50口径連装砲×3、7.7mm単装機銃×2、 61cm三連装魚雷発射管×3

 ※出典:世界の艦船「日本駆逐艦史」増刊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P84

 

一等駆逐艦「東雲」(出典:Wikipedia)

 

「東雲」の戦闘参加は昭和15年以降で、支那事件の華南での沿岸作戦、北部仏印進駐作戦などに参加に始まります。

大東亜戦争では南遣艦隊に所属し、昭和16年11月に呉を出港、海南島の三亜港に到着し湾外哨戒任務に従事した後、南遣艦隊主力と陸軍第25軍などを乗せた輸送船団を護衛しマレー半島に向かい、開戦に合わせてコタバル攻略を支援します。

昭和16年12月13日にはボルネオ島攻略作戦に参加することとなりカムラン湾を出撃、16日未明にはボルネオ島北部のミリに到着、上陸作戦を支援します。結果、上陸作戦成功し、油田施設も占領します。

12月17日朝、ミリ攻略部隊がたび重なる空襲を受けた際に「東雲」は消息を絶ちます。午前9時頃に「飛行艇と交戦中」という発信者不明の電信を一等駆逐艦「叢雲」が受信したほか、日本の船団や一等駆逐艦「白雲」がバラム灯台付近で火災と白煙が立つのを目撃しています。一方、周辺を飛行中の蘭軍のGVT-2所属飛行艇が、付近の海域で駆逐艦を爆撃し、3発の命中弾と至近弾1発を与えたと報告しており、この駆逐艦が「東雲」ではないかと言われています。

「東雲」は戦闘において喪失した初の特型駆逐艦となり、乗員228名全員が戦死しています。

 

 

戦後、海上自衛隊に「東雲」の名を継いだ艦艇はありませんが、海上保安庁の巡視艇には二代に亘って「しののめ」が存在します。

初代は昭和28年度に計画された港内艇で、占領終了により独自設計ができるようになったことから、V型の船型にされ、それまでの米国式の設計と比べ動揺性能が改善されています。

「しののめ」は当初港内艇として横須賀の東造船で建造され、昭和29年8月に就役しています。同型艇はありません。

【要目】

 総トン数:46トン、船質:木、全長21.0m、最大幅:5.2m、深さ:2.3m

 機関:ディーゼル×2、推進軸:2軸、出力:1,000馬力、速力:18.9ノット、最大登場人員:10名

 ※出典:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P87

 

巡視艇「しののめ(PC-30)」

(出典:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P87)

 

昭和32年1月に港内艇から巡視艇に変更され、昭和49年3月に代四管区鳥羽海上保安部で解役されるまで30年間に渡って活躍しました。

 

 

二代目の「しののめ(PC-17)」は、平成7年度計画により石原造船所高砂工場で建造され、平成8年2月に竣工した巡視艇で、先代「しののめ」が解役時に配属されていた第四管区の鳥羽海上保安部に配属されています。

【要目】

 総トン数:113トン、船質:高張力鋼、全長35.0m、最大幅:6.3m、深さ:3.4m

 機関:ディーゼル×2、推進軸:2軸、出力:4,000馬力、速力:25ノット

 ※出典:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P168

 

巡視艇「しののめ(PC-17)」(出典:鳥羽海上保安部HP)

 

「しののめ」は「はやなみ(PC-11)」級の7番艇で、本級は昭和40年代に建造された23m型巡視艇の代替として計画され、阪神淡路大震災の教訓から赤外線捜索監視装置や水中捜索装置を装備し、消火能力や物資輸能力も向上が図られるなどしたため「災害対応機能強化型」と呼ばれているようです。