台風が接近していますが、本ブログはいつもの調子で更新します。
今回は商船改造の航空母艦計画について紹介します。
帝国海軍では昭和8年頃から、有事に航空母艦に改造可能な高速商船を要望し、当時の二大商船会社である日本郵船、大阪商船に対して折衝を重ねていきます。これには、昭和恐慌において余剰船舶のスクラップ・アンド・ビルトを目的とした政府の補助事業の続きである「優秀船舶建造助成施設」を活用した補助が行われ、その交付条件として有事の特設艦船への改造準備を設計に取り入れることとされていました。
この結果、有事に航空母艦改装を想定して建造されたのが、日本郵船では「新田丸」「八幡丸」と未成のまま航空母艦へ改装された「春日丸」「橿原丸」「出雲丸」の5隻、大阪商船では「あるぜんちな丸」「ぶらじる丸」の2隻で、実際に施工前に沈没した「ぶらじる丸」を除く6隻が航空母艦へ改装されています。
日本郵船 貨客船「新田丸」(出典:Wikipedia)
「新田丸」を改装した航空母艦「冲鷹」(出典:Wikipedia)
日本郵船「橿原丸」完成予想図
(出典:丸スペシャル「戦時中の日本空母1」No.129、1987.11、潮書房、P81)
建造中の「橿原丸」
(出典:丸スペシャル「戦時中の日本空母1」No.129、1987.11、潮書房、P81)
航空母艦「隼鷹」(出典:Wikipedia)
帝国海軍における商船の航空母艦改造計画は以前からあり、昭和初年に起工された日本郵船の大型貨客船「浅間丸」「秩父丸(後の「鎌倉丸」)」「龍田丸」の3隻が就役した際に、「出師準備年度計画」(年度毎に策定されていた、開戦となった場合を想定して準備しておく計画)において、航空母艦へ改装する場合の設計図が艦政本部で作成されていました。
【要目(計画案)】
基準排水量:16,800トン、垂線間長170.69m、最大幅:22.50m、平均吃水:8.40m
機関:ディーゼル×2、推進軸:2軸
出力:16,000馬力、速力:20.0ノット
兵装:12.7cm40口径連装高角砲×4、25㎜連装機銃×12、
航空機38機(96式艦戦×18、96式艦攻×12、補用機×8)
※出典:福井静夫著作集「日本空母物語」、阿部安雄、戸高一成編、2001年4月、光人社、P297
日本郵船 貨客船「浅間丸」(出典:Wikipedia)
航空母艦「鎌倉丸」艦型図
(出典:丸スペシャル「戦時中の日本空母1」No.129、1987.11、潮書房、P78)
前後の船倉部にエレベーター2基を設置し、上部構造物の一部をボルト締めとし容易に取り外しができるよう計画されていたと言われます。
その後、「新田丸」級貨客船3隻の建造が始まると、「浅間丸」級は入れ替わりに航空母艦改装対象がら外れることになりますが、昭和14年には「浅間丸」級のエレベーター6基はすでに完成していたようで、「新田丸」級の航空母艦改装時に流用されたとされています。
大東亜戦争の開戦前後に、当初予定されていた貨客船の航空母艦化改装が順次進められる中、昭和17年6月のミッドウェー海戦において正規航空母艦4隻を失った帝国海軍は、航空母艦の急速な補充に迫られます。この時検討されたのが「浅間丸」級3隻の航空母艦化と、新たに大阪商船の新鋭貨客船ですでに「特設巡洋艦」として運用されていた「報国丸」級と、日本郵船の新鋭貨客船「安芸丸」級について、航空母艦への改造について検討がなされています。
【要目(報国丸・計画)】
飛行甲板長:150m、飛行甲板幅:22m、最大速力:21ノット、
航空機18機(零式艦戦×12、97式艦攻×6)
大阪商船 貨客船「報国丸」(出典:Wikipedia)
【要目(安芸丸・計画)】
飛行甲板長:160m、飛行甲板幅:23m、最大速力:19.5ノット、
航空機24機(零式艦戦×18、97式艦攻×6)
日本郵船 貨客船「安芸丸」(出典:Wikipedia)
これらの計画案を検討した結果、「報国丸」級3隻(「報国丸」「愛国丸「護国丸」)は、船体が細すぎることから「特設水上機母艦」とすることとされ、航空母艦化の対象は「浅間丸」級3隻と「安芸丸」または同型船の「阿波丸」の4隻とされます。
これら4隻の改装では、
・改装計画は概ね「雲鷹」に準ずることとし立案す
・機関は駆逐艦用のものを換装するものとして計画準備す
・リフト(エレベーター)の準備は機関の整備時期に応ぜしむ
・改装を実施するや否や、又は時期等に関しては国の輸送力ともにらみ合わせ、情勢により追って協議
決定す
とされますが、艦載機の性能向上・大型化により小型航空母艦では新型機を運用できないなど、小型・低速な航空母艦では補助戦力としても見込みが薄いことから、実行に移されることはありませんでした。
実際に、これらの貨客船が航空母艦へ改装された場合、「大鷹」型と同様に攻撃用の戦力としては望めず、多くの工数をかけて改造をしたところで船団護衛や航空機輸送が主な任務と考えられたことから、「労多くして功少なし」と判断されたと思われ、実行に移されなかったのは正解であったと思います。
話は変わりますが、今回登場した貨客船は輸送船としても大型・高速で優秀な船舶であり、結果として全て喪失しています。
特に「阿波丸」は、緑十字船(保護船)としてシンガポール方面への輸送を行い、昭和20年4月1日、内地への帰途に台湾海峡で米潜水艦の雷撃を受け沈没、乗員・便乗者のうち1名を除く合わせて2,003~2,129名が犠牲となり、「阿波丸事件」として米国との間で戦後補償問題に発展する大事件の舞台となっています。
日本郵船 貨客船「阿波丸」
(出典:知られざる戦没船の記録」下、戦没船を記録する会、1995.9、P34)
戦後、引き揚げられた「阿波丸」の船首
(出典:知られざる戦没船の記録」下、戦没船を記録する会、1995.9、P35)
また、「浅間丸」級の「龍田丸」は、開戦後に日英外交官交換船として運用されたこともありましたが、海軍に輸送船として徴傭され南方への物資輸送に従事します。昭和18年2月8日に兵員・物資輸送のため、乗員198名・兵員1,283名を乗せてトラック島に向け横須賀を出港しましたが、伊豆諸島御蔵島沖で米潜水艦の雷撃を受け沈没、乗員・便乗者全員が犠牲となる悲劇となりました。
日英外交官交換船として横浜へ向け航行中の「龍田丸」(出典:Wikipedia)
特設航空母艦として活用が検討された商船は、当時の日本商船では大型であったため、その喪失時には多数の犠牲者が発生しています。
主なものは、
「浅間丸」:船員98名、兵員376名
「鎌倉丸」:船員176名、便乗者約2,000名
「龍田丸」:船員198名、兵員1,283名
「愛国丸」:船員11名、便乗者多数(実数不明)
「護国丸」:船員61名、便乗者939名
「阿波丸」:船員148名、便乗者約1,900名
これらの犠牲者は民間人も多く、哀悼の意を表するとともに、歴史として忘れてはならない、語り継ぐべきことであると思います。
なお、今回は、
福井静夫著作集「日本空母物語」、阿部安雄、戸高一成編、2001年4月、光人社
「日本の航空母艦パーフェクトkガイド」2003年4月、学習研究社、「知られざる空母構想」、P135-137
を主に参考としました。真偽のほどは不明な部分もあります。