大日本帝国産の満洲国主力艦「順天」級と「親仁」級 | 艦艇・船舶つれづれ

艦艇・船舶つれづれ

旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今回は帝国海軍の艦船ではなく、旧満洲国の軍艦について書いてみたいと思います。

満洲国は、中国東北部に昭和7年から昭和20年の間存在していた国家で、昭和6年9月に発生した柳条湖事件をきっかけに、帝国陸軍の関東軍がこの地区を占領します。その後、関東軍主導の下に同地域は中華民国からの独立を宣言し、昭和7年3月に国家元首を清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を立てて満洲国が建国されます。

 

それまでの中国東北部では、海軍勢力として奉天軍閥が持っていた東北艦隊が存在していましたが、昭和6年9月に勃発した満州事変後に艦隊の主力は南京国民政府の下に逃走していました。

満洲国では、ソ連国境となる黒竜江、烏蘇里江および松花江の国境地帯の防備のため、昭和7年2月に帝国海軍が軍事顧問となり東北艦隊の残存兵力を持って「満州国海軍」を創設し、艦隊を「江防艦隊」と命名します。昭和8年11月には軍事顧問が帝国陸軍関東軍からの派遣に変更され、満洲国海軍は陸軍の一組織となり、昭和14年11月に「江上軍」へと改組されます。

 

満洲国の発足時に江防艦隊に所属していた艦艇は砲艦5隻のみで、しかも4隻は商船を改造しただけの仮装砲艦であったことから、戦力を増強し艦隊の主力艦とするべく日本の播磨造船所へ2隻の砲艦を発注します。これが「順天」級砲艦で、一番艦「順天」と2番艦の「養民」は共に昭和9年2月に起工、仮組み立ての状態で発送され松花江岸のハルピン近郊で組み立てを行い、同年10月に就役します。

【要目(新造時)】

 排水量:270トン、全長:52.6m、幅:8.8m、吃水:2.4m

 機関:ディーゼル×2、出力:1,000馬力、速力:13ノット

 兵装:12cm連装高角砲×1、13mm連装機銃×3、15cm曲射砲×1

 ※出典:世界の艦船、No104「満洲国江防艦隊始末記(下)」、田村俊夫、1966年4月、海人社、P53-54

 

満洲国砲艦「順天」(出典:Wikipedia)

 

さらに続けて「親仁」級砲艦2隻(「親仁」「定邊」)を、前級と同じ日本の播磨造船所へ発注し、昭和10年に就役します。

【要目(新造時)】

 排水量:290トン、全長:54.6m、幅:8.8m、吃水:2.2m

 機関:ディーゼル×2、出力:1,000馬力、速力:12.5ノット

 兵装:12cm連装高角砲×1、12cm単装高角砲×1、13mm連装機銃×3

 ※出典:世界の艦船、No104「満洲国江防艦隊始末記(下)」田村俊夫、1966年4月、海人社、P53-54

 

砲艦「親仁」

(出典:世界の艦船、No743「1935年頃の満洲国江防艦隊」2011年7月、海人社、P44)

 

満洲国の江防艦隊はこれら4隻を中心として構成されることとなりますが、昭和19年になると米軍のB-29の爆撃に備え、鞍山製鉄所の防空のために12cm高角砲を陸揚げし、代わりに8cm単装速射砲1門を前部に設置しています。

そして、終戦直前から進行してきたソ連軍に接収され、「順天」級が「KL-55・バシキリヤ」「KL-57・ヤクティヤ」、「親仁」級が「KL-56・ブリヤットモンゴルヤ」、「KL-58・チェバシャ」として昭和33年頃まで使用されたようです。

ソ連河用砲艦「KL-56・ブリヤットモンゴル

(出典NAVYPEDIA(http://www.navypedia.org/ships/russia/ru_of_kl55.htm

 

なお、満洲国には「密入国、密輸及び密漁の監視取締並びに海上の治安維持」を主な任務と「海上警察隊」が存在しており、河ではなく海の沿岸警備を行っていました。

日本で建造された砲艦が満洲国の艦隊の主力を担っていたことは、満洲国と大日本帝国の関係を考えると必然であるとは思いますが、現代にはその資料も少なく、全容を解明するのは困難だと思います。

興味のある方は、戸田S.源五郎氏のHP「滿洲國海軍艦船DATA BASE」が最適だと思います。また、古い資料にはなりますが、今回出典として使いました雑誌「世界の艦船」1966年3月号及び4月号に掲載された田村俊夫氏の著作「満洲国江防艦隊始末記」がありますので、ぜひ探してみてください。