101回目のブログは英国駆逐艦を改装した「第百一号哨戒艇」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

このブログも前回で100回を迎えました。今回は101回目ということで、艦艇名に「101」が使われているものを取り上げようと思います。(「100」が使われているものはピンと来なかったもので…)

 

海防艦、哨戒艇、掃海艇、駆潜艇などの番号を艦艇名に持つもののうち、「100番台」は主に敵海軍艦艇を接収または鹵獲した艦艇の名称とされます。これらの艦艇は戦時中に帝国海軍艦艇籍に編入され、喪失または終戦により除籍されたため、資料が少なく詳しい内容は不明です。

今回は、その中でも比較的大型の部類である「第百一号哨戒艇」について取り上げてみたいと思います。なぜか、それは非常に奇抜な艇姿をしているからです。

 

「第百一号哨戒艇」は、第一次世界大戦時に英海軍が計画し、大戦末期から戦後にかけて計55隻が就役したアドミラルティS級と呼ばれた駆逐艦「スレイシアン(Thracian)」が前身です。

【要目(アドミラルティS級・就役時)】

 排水量:1,225トン、全長84.1m、全幅:8.10m、吃水:2.70m

 機関:タービン×2、推進軸:2軸、缶:×3

 出力:27,000馬力、速力:36.0ノット、乗員数:90名

 兵装:10.2cm単装砲×3、40mmポンポン砲×1、

     53.3cm連装魚雷発射管×2、45.6cm単装魚雷発射管×1

 ※出典:「世界の艦艇パーフェクトBOOK」門田充弘他著、2016年9月、コスミック出版、P137

 

アドミラルティS級駆逐艦「テネドス」(1921年、出典:Wikipedia)

 

アドミラルティS級駆逐艦は1920年代半ばまでに植民地警備に回されますが、そのうち「スレイシアン」は大東亜戦争開戦時には香港に配置されており、開戦後は主に香港周辺で機雷敷設に従事しました。

日本軍の香港への攻撃が始まると、英国軍の九龍半島からの撤退を支援するなどしましたが、昭和16年12月16日に日本軍機の攻撃で損傷し、レパルスベイ付近で座礁したところを、日本軍が鹵獲します。

鹵獲後は香港の帝国海軍第二工作部で修理・改装を行い、昭和17年12月に特務艇(哨戒艇)に編入され「第百一号哨戒艇」と命名します。

【要目(哨戒艇として整備時)】

 基準排水量:1,150トン、全長84.18m、全幅:8.17m

 機関:タービン×2、推進軸:2軸、缶:×3

 出力:10,000馬力、速力:25ノット

 兵装:10cm単装砲×3、7.7mm単装機銃×1、61cm連装魚雷発射管×1

 ※出典:「日本海軍艦艇図面集 戦艦/駆逐艦/小艦艇編」モデルアート増刊No.340、

   1989年10月、モデルアート社、P.76

 

「第百一号哨戒艇」(昭和17年、出典:Wikipedia)

 

「第百一号哨戒艇」は所属を横須賀防備隊に定められ、哨戒艇としての使用以外に海軍水雷学校の練習艦としても使用されました。昭和18年2月には艦艇としての「哨戒艇」に類別変更され、横須賀鎮守府警備哨戒艇に定められます。さらに8月には、その役務を横須賀鎮守府練習哨戒艇と定められ、買い食い水雷学校の練習艇と位置付けられます。

さらに昭和18年12月から翌年1月にかけて、備砲を撤去して魚雷発射管や爆雷の装備を行う改装が行われ、3月には艦艇籍から除籍され雑役船に編入、船名を「特第一号練習艇」に変更されます。

練習船への変更に際し、対水上射撃管制用の試製23号電探と、重雷装艦(「北上」又は「大井」)から撤去された61cm4連装魚雷発射管1基などを装備し、魚雷発射訓練や新型電探の実験に使用され、この状態で終戦を横須賀で迎えます。

終戦時の「特第一号練習艇」は後墻に試製23号電探のパラボラアンテナを装備し、当時としては非常に珍しい艇姿をしており、異彩を放っています。

 

「特第一号練習艇」(昭和20年、出典:Wikipedia)

※後墻に試製23号電探のパラボラアンテナが見える

 

「第百一号哨戒艇」艇型図

※出典:「日本海軍艦艇図面集 戦艦/駆逐艦/小艦艇編」モデルアート増刊No.340、

   1989年10月、モデルアート社、P.77

 

大東亜戦争を生き抜いた「スレイシアン」は、昭和20年10月に英国に変換されますが、すでに老巧化しており、翌21年2月に香港で解体され姿を消します。

 

100番台の哨戒艇は百一号から百九号まで存在し、前身が英国1隻、米国4隻、蘭国4隻となっています。この中でも「第百二号哨戒艇」となった旧米国駆逐艦「スチュワート」は、「スレイシアン」と同様に大戦を生き抜き戦後米軍に返還されますが、すでに「スチュワート」の名前は別の駆逐艦に受け継がれており戻すことができないため、元の艦番号「DD-224」と呼称されるという珍事も発生しています。

 

戦後の駆逐艦「DD-224」(出典:Wikipedia)

 

以前取り上げた砲艦「須磨」や交通船「飛鳥」「南海」なども敵艦艇を捕獲したもので、あまり世間で取り上げられることはありませんが、結構な数の敵艦艇が帝国海軍で運用された記録があります。