慶応4年に大阪・天保山で行われた観艦式の碑 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

昨日から大阪はG20ですごいことになってます。

大阪駅前は車が走ってないし、少し歩くと警官に当たります。

仕事にならなくなってきたことから早々に退社し、G20会場のインテックス大阪のある南港の対岸、北港・天保山に行ってきました。

 

「日本一低い山 大阪・天保山 4.53m」の看板

 

天保山は知る人ぞ知る「日本一低い山」ですが、その山頂には大きな記念碑が立っています。

その碑は「明治天皇観艦之所」と書いてあります。

 

「明治天皇観艦之所」碑

 

碑裏面に取り付けられている碑文

 

この天保山沖は慶応4年(明治元年)3月に「軍艦叡覧」と呼ばれる日本初の観艦式が行われた場所で、その際明治天皇が天保山の山頂からその様子をご覧になられたことを記念して、昭和4年に大阪市青年連合団が建立したものです。

この時、観艦式に参加した船は「電流丸」(肥前藩)、「万里丸」(肥後藩)、「千歳丸」(久留米藩)、「三邦丸」(薩摩藩)、「華陽丸」(長州藩)、「万年丸」(安芸藩)の6隻と、仏国軍艦「デュープレックス」で、日本側の参加艦船6隻の合計排水量は「デュープレックス」1隻分にもならない状況でした。

 

中沢弘光画 「天保山沖軍艦御親閲」(原画はカラー)

(引用:「幕末・明治の日本海軍」編著 中川務・阿部安雄、2010年5月、KKベストセラーズ、P152)

 

この時、先頭の佐賀藩所属「電流丸」以下の単縦陣で沖合に向かって進んだ後、反転し天保山沖に戻って21発の祝砲を放ったといいます。

【要目】

「電流丸」長さ:46m、幅8m、深さ7m、排水量300トン、木製

     機関:蒸気機関、出力100馬力、スクリュー式

万里丸」長さ:73m、幅9m、深さ5m、排水量600トン、木製

     機関:蒸気機関、出力120馬力、スクリュー式

千歳丸」長さ:36m、幅8m、排水量256トン、木製

     バーク式帆船

三邦丸」長さ:54m、幅7m、深さ2m、排水量410トン、鉄製

     機関:蒸気機関、出力110馬力、スクリュー式

華陽丸」長さ:53m、幅9m、排水量413トン、船体材質不明

万年丸」排水量270トン、機関:蒸気機関、鉄製、スクリュー式

 ※引用:「幕末の海軍」神谷大介、2018年1月、吉川弘文館、P140-144

     「日本海軍史 第7巻」(財)海軍歴史保存会、1995年11月、P222-P231

 

「電流丸」

(引用:「幕末・明治の日本海軍」編著 中川務・阿部安雄、2010年5月、KKベストセラーズ、P44)

 

この時、天保山の山頂からこの観艦式を親閲された明治天皇は、天皇として約500年ぶりに京都から外出されることとなりました。

ちなみにこの観艦式が行われた慶応4年3月といえば、江戸城無血開城のカギとなった勝・西郷会談が行われたり、会津藩および庄内藩の討伐のために奥羽鎮撫総督府および新政府軍が仙台に到着するなど、一連の戊辰戦争真っただ中の時期でした。

また、仏国軍艦「デュープレックス」は、下関戦争における文久4年(1864年)の下関砲撃に参加しています。

 

「軍艦叡覧」は時代の転換期における一つのトピックスではありますが、近代海軍創設を示す節目である出来事として、もっと知られてもいい出来事だとおもいます。

このような場所が、大阪駅から電車で30分の関西でも有名なスポットである水族館「海遊館」から歩いてすぐのところにあること、そして巨大な記念碑があることを少しでも知ってもらえたら、と思い取り上げてみました。

 

付録:大阪北港に停泊中の巡視船「ぶこう」(PL10)