大和ミュージアムと通報艦「宮古」 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

 この週末に行ってきました「呉市」まで。2度目の「大和ミュージアム」です。前回は家族とだったためゆっくり見れませんでしたが、「戦艦「長門」と日本海軍」という企画展にも興味があったため、今回は日帰りではあるものの一人旅、ゆっくり見て回ることができました。
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大和ミュージアムの「1/10大和」
 
 いろいろと興味は尽きませんでしたが、1Fの「呉の歴史」を見て回る中で、呉海軍工廠において最初に建造された艦艇が通報艦「宮古」である、と説明がありました。
 
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通報艦「宮古」の模型
 
 これまたマイナーな艦ではないですか。私の琴線に触れました。
 帰ってから早速調べてみると、後に日露戦争で活躍する戦艦「富士」らとともに、それまで議会で否決されていた建造費を明治天皇が宮中費を削ると宣言して確保された予算によって建造されることとなり、明治27年5月に起工、同32年3月に竣工します。
【要目】
排水量:1,800トン、長さ:96m、幅:10.5m、吃水:4m
主機:3段膨張式レシプロ、推進軸:2軸、出力:6,130馬力、速力20ノット
兵装:12cm単装速射砲×2、魚雷発射管×2ほか
※出典:世界の艦船増刊「日本海軍史」
 
通報艦「宮古」(出典:Wikipedia)
 
 まずマイナーなのが「通報艦」という艦種です。明治の中頃までは無線などの通信手段が発達しておらず、戦隊の非戦闘側を並走し、旗艦が掲げた旗信号を戦隊の各艦に伝える任務を負っていたもの、となるそうです。このため、巡洋艦から見れば小型で兵装は少なく、戦隊の旗艦となる戦艦よりは高速な設計となっています。
 帝国海軍では、宮古を含む7隻を建造し、日露戦争の戦利艦船のうち3隻をこの艦種としています。明治末期になると、無線技術の急速な進歩により戦隊内での連絡は無線通信に取って代わられ「通報艦」という艦種自体が廃止され、当時在籍していた艦は「砲艦」などに種別変更されました。
 今回の主役である「宮古」は就役5年目に日露戦争を迎え、陸軍の上陸地点の候補となった大連湾の掃海および測量のために進出しますが、5月14日に機雷に触れ沈没してしまいます。
 「通報艦」というマイナーな艦種、そして就役後5年という短い艦歴により非常にマイナーな艦ではありますが、呉海軍工廠としては記念すべき艦であります。ぜひ皆様もお見知りおきの程よろしくお願いいたします。