軍艦「千代田」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

 前回の続きで「千代田」について書いていきます。この「千代田」の名前の付いた艦は多数の艦に受け継がれています。
 
 元々、「千代田」とはどういう意味でしょう。以前登場した「幕末以降帝国軍艦写真と史実」によると、「千代は徳川幕府の治所江戸城(現今宮)の別称なり。」とあります。江戸城は千代田城とも呼ばれ、現在の東京都千代田区の名称の由来ともなりました。
 
 さて、初代の「千代田」ですが、正式名称を「千代田形(ちよだがた)」と言い、徳川幕府の命により日本人の手で設計建造された最初の蒸気船とされています。東京の石川島造船所で建造され、「形」がついているのは、同型の艦を複数建造する予定であったためで、同時代に伊豆下田で建造された「君澤形」という名称の複数の船があることから、同様につけられたようです。
 文久2年起工、同3年進水、その後3年半かけて慶応2年に竣工します。要目は次の通り。
 
【要目】
 排水量:138トン、垂線間長:26.97m、幅:4.88m、平均喫水:2.03m
 機関:横置2シリンダ直動、歯車増速式1基、出力:60馬力
 缶:円型排管式、3基 推進軸:2翼1基 速力:5ノット
 兵装:30ポンド砲×1、6ポンド砲×2 乗員:51名
  ※出典:「幕末の蒸気船物語」、元綱数道著、平成16年、成山堂書店
 
軍艦 千代田形(Wikipediaより転載)
 
 本艦は明治2年の函館戦争で幕府軍として参戦しますが、新政府軍に捕獲され帝国海軍軍艦に列せられます。明治21年まで在籍ののち廃艦となり、千葉県に交付されました。その後日本水産会社に売却され明治44年に解体されるという長寿な船でした。
 
 2代目の「千代田」は防護巡洋艦で、明治19年に竣工し回航途中で消息不明となった「畝傍」の保険金を原資に英国で建造、明治21年起工、24年に竣工しました。
 
【要目】
 排水量:2,450トン、長さ:93.9m、幅:13.1m、喫水:5.2m
 機関:3連成レシプロ機関2基、出力:5,400馬力
 缶:ベルビール缶12基 速力:19ノット
 兵装:12cm速射砲×10、47mm砲×14、機砲×3、魚雷発射管×3 乗員:350名
 出典:「幕末以降帝国軍艦写真と史実」
 
巡洋艦 千代田(Wikipediaより転載)
 
 日清戦争では主力艦の一翼を担って参戦、義和団の乱、日露戦争(仁川沖海戦、旅順攻略作戦、日本海海戦等)に参加し、大正元年には海防艦に類別変更されます。大正11年には特務艇(潜水艦母艇)に変更された後、昭和2年に廃船となりました。廃船後に豊後水道で航空母艦「鳳翔」・水上機母艦「能登呂」搭載の航空機による爆撃標的となって沈没しました。
 
 3代目の「千代田」は昭和8年の通称マル2計画における千歳型水上機母艦の2番艦として建造されます。昭和11年に起工、13年12月に竣工します。本艦は第一状態を水上機母艦、第二状態を甲標的母艦として使用できるようにされており、千代田のみが昭和16年に甲標的母艦へ改装されています。また、航空母艦への改装も考慮され、中央部には飛行甲板の一部となる構造物を設けています。
【要目(第一状態)】
 公試排水量:12,550トン、垂線間長:174.0m、幅:18.8m、平均喫水:7.21m
 主機:ディーゼル×2、蒸気タービン×2、主缶:ロ号艦本式(重油専焼)×4
 出力:56,000馬力、速力:29ノット
 兵装:12.7cm連装高角砲×2、25mm連装機銃×6
 搭載機:95式水上偵察機×24+補機×4、射出機:4機
 
【要目(第二状態)】
 公試排水量:12,350トン、垂線間長:174.0m、幅:18.8m、平均喫水:7.14m
 主機:ディーゼル×2、蒸気タービン×2、主缶:ロ号艦本式(重油専焼)×4
 出力:56,800馬力、速力:29ノット
 兵装:12.7cm連装高角砲×2、25mm連装機銃×6
 搭載機:95式水上偵察機×12、射出機:2機、甲標的×12
 ※出典:丸スペシャル「水上機母艦」No.25
 
水上機母艦「千代田」(出典:Wikipedia)
(呉海軍工廠造船部撮影 - 海軍艦艇史3航空母艦p233, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5497794による)
 
ミッドウェー海戦で航空母艦4隻を喪失した帝国海軍は、「千歳」型の航空母艦への改装を計画・実行し、昭和18年2月に着手、12月に完成します。
【要目(航空母艦改装時)】
 公試排水量:13,647トン、全長:192.5m、最大幅:20.8m
 主機:ディーゼル×2、蒸気タービン×2、主缶:ロ号艦本式(重油専焼)×4
 出力:57,160馬力、速力:28.9ノット
 兵装:12.7cm連装高角砲×4、25mm連装機銃×10
 搭載機:戦闘機×21、攻撃機×9
 ※出典:歴史群像シリーズ 「日本の航空母艦パーフェクトガイド」
 
航空母艦「千代田」(出典:Wikipedia)
 
 改装後の「千代田」は、「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)で初陣を飾りますが、すでに練度の高いパイロットを喪失していた帝国海軍は敗北を喫します。そして昭和19年10月に最後の機動部隊としてレイテ沖海戦に参加、エンガノ岬沖で旗艦「瑞鶴」、「瑞鳳」「千歳」と共に最期を迎えます。「千代田」は米海軍機動部隊による攻撃で行動不能となったところを、米海軍巡洋艦部隊に捕捉され砲撃によって沈没します。
 
時代は戦後となり、海上自衛隊に「ちよだ」が復活します。
海上自衛隊は昭和30年に米海軍から潜水艦の貸与を受けると、その救難艦の建造を計画し昭和36年に「ちはや」の名称で就役させます。
その後、「ふしみ」を経て3代目の潜水艦救難艦を昭和56年に計画、昭和60年3月に竣工し「ちよだ(AS-405)」と命名します。実に40年ぶりに「ちよだ」の4代目としての復活です。
【要目】
 満載排水量:5,400トン、全長:113.0m、最大幅:17.6m、吃水:4.6m
 主機:ディーゼル×2、推進軸:2軸
 出力:11,500馬力、速力:17ノット
 装備:深海救難艇(DSRV)×1、※HSS-2級ヘリコプター×1(発着可能)
 ※出典:世界の艦船「海上自衛隊2005-2006」、No.645
 
潜水艦救難艦 「ちよだ(AS-405)」(出典:Wikipedia)
(Terry Cosgrove, U.S. Navy - cropped fromこの画像データはアメリカ合衆国軍が ID 001005-N-YM689-003 で公開しているものです。これはライセンスタグではありません!別途、通常のライセンスタグが必要です。詳しくはライセンシングをご覧ください。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19261775による)
 
 そして時代は変わり、平成26年度計画で「ちよだ」の代艦が計画されます。この艦は平成30年3月に就役し「ちよだ」の名を継ぎ「5代目」となります。
【要目】
 満載排水量:7,100トン、全長:128.0m、最大幅:20.0m、吃水:5.1m
 主機:ディーゼル×2、推進軸:2軸
 出力:19,500馬力、速力:20ノット
 装備:深海救難艇(DSRV)×1、※ヘリコプター×1(発着可能)
 ※出典:Wikipedia および 海上自衛隊HP
 
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潜水艦救難艦「ちよだ(ASR-404)」(出典:海上自衛隊HP)
 
5代目「ちよだ(ASR-404)」は、DSRVも最新型となり、全体の性能も向上しています。これにより、4代目「ちよだ(AS-405)」は「ちよだ(ASR-404)」の就役と同日に退役しました。
 
 これまで、5代に渡る「千代田」「ちよだ」の歴史について簡単に書いてみましたが、日本の軍艦・護衛艦の歴史と共に歩んでいる艦名であり、感銘を受けました。