祈るまえに、恋をして。 -7ページ目

祈るまえに、恋をして。

ときどきぽつりと更新。

わたしが服を買う時は
リキシさんにお見立て
してもらう。


馴染みのショップに二人訪れて
わたしは試着室にこもり
1着2着と着てはリキシさんの前に立ち
「どう?」とお伺いを立てるのだ。

ねぇこれ、着てみて
あれも着て見せてと
あれこれわたしに
試着させては
似会うね、いいねと言ってみたり
地味だねとか
ピンとこないねとか
物言いをつける。


ファッションについて
はっきりと僕好みを
持っている。



リキシさんは女性に手厳しい。


ある時はわたしを抱きしめながら
背中の脂肪をそっと確認し
指を滑らせながら肌の状態を
確認していたりする。
きっとね。確かに。

横たわるわたしに
「ねぇ、加齢で君の胸が
脇側に流れないように注意して
バストの形は大事だよ」
などと言うのだ。

立ち姿、歩く姿はもちろんのこと。
髪が乱れてるとか
髪が傷んでるとか
白髪のとか
こんな指摘は日々のこと。

食べ物に至っては
“白い物”を取らせまいと努力し、
そうそう歯とか歯間、
口元の指摘もよくあること。
昨日書いたフェイスラインもその一つ。
口角が上がってよし、
ホウレイ線など出ようものなら大変で、
鼻毛のチェックも怠らない。


息苦しくないの?
そう思う方はいるかもしれない。

わたしにはこれが普通
嫌な感じはしない。
億劫でもない。
彼は口を出すが金も出す。

よく考えてみたら我が父は
同じことをわたしに言っていた。

わたしは幼女がするように
父親のようなリキシの指導に
従って自分のからだを
眺めているだけだから。





リキシさんは華やかな女性を好む。

上品なのは前提条件。
肉感的なボディラインに
その思考は柔軟で
打てば響く、軽妙な会話を求め。

そうそう、こだわりが強すぎるとか
尽くす女が好きじゃないらしい。

恐らく外見の好みは
劇中のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。
プライベートの彼女は
垢抜けないけどね
劇中の彼女に見る
出る杭打たれぬ存在感と
上品の中に色っぽいのがあるのが
いいんだそうだ。

祈るまえに、恋をして。

以上が簡単に述べる
リキシさんの僕好み。
実際はもっと複雑だと
いうだろうか。
 

この夏、わたしはリキシさんに
たくさん小さな喧嘩を
たくさん売っていた。
ふたりの関係が
少し、ではなく
うーんと、不安になったのだ。

彼の周辺には
優秀な女性がたくさんいる。
華やかさもある。
彼好みの女性が現れて
その心が奪われてしまったら
どうしようと想像し、
想像は妄想化して
既成事実のように
わたしには思えてくる。
会話をすればその不安
がこぼれ出る。

ばっかじゃない?
どーしてそんな心配するの?
不安が消えそうもない
そんな教科書通りのお返事をして
リキシさんは
わたしを抱きしめてくれるのだ。

あの時、背中のお肉は
つままれていたんだろうか。

痩せすぎても
太り過ぎても
僕好みではない。


この夏、わたしは
自分の体を調べ上げていた。

いや、それだけでなく
実際のボディラインを整え
フェイスラインを修正し
肌のコンディションをあげる
ことにのめり込んでいた。

調味料から見直し
食べ物、飲み物を変え
トレーナーには一段階ハードな
トレーニングメニューを依頼し
リンパマッサージの痛みに耐え
サプリメントを一新し
ありとあらゆることを
変えたのだ。

体の不具合がきっかけじゃない。


リキシさんはとても元気。
そしてとっても魅力的になっている。
仕事に充実感のある男って
そういうものなんだろうか。
年齢を重ねるごとに
自信に満ち、威風堂々とし
色気まで備わる。

見まわしてみても
この男の身なりなり
身のこなしは
高みの中にあると
ぼんやり見つめてしまう。


夏のはじめ
そんな風にぼんやりした
わたしに向かって
リキシが言うのだ。

「Vさん、右側の口もとの動きが悪いね
顔の右側のフェイスラインも曖昧になってきてる」

とわたしの頬に
それはそれは丁寧に手を添える。

他人が見たらたぶんわからない。
でも二人が見たら、それは
本当に崩れている。

いや、もっと前に
そういつも行くブティックの
秋冬物の内覧会に出かけた時のこと。
クラシカルなタイトスカートを
試着した時に
鏡の前でわたしも感じていた。

わたしのからだ
なんかゆるくなってる。
ボディラインももフェイスラインも
曖昧になっている。

だからわたしは
この夏ストイックに
自分のからだと向き合い
そして体を変えてきた。

愛している男と
愛している服のためだけに。
ブログをお休みする
そんな意識もなかったけれど
なんて言えばいい感覚なんだろう。

頭がぽっかり、
真っ白になったような感じ
そんな感じで日々を過ごしていた。

頭に浮かぶ、色々な考えを
文字に変換していても
途中からとりとめもなく
頭の中から文字が
こぼれ落ちるような。

ぽっかりと真っ白な
わたしのあたま。



君は人生の踊り場に着いたんだねと
言われたのは会社を辞めた時。

むかし残業する深夜のオフィスで
こんな業界、40歳で
自分の仕事のピークが来るから
そのタイミングで退職できたら
幸せだなぁと思った通り
40歳で、好条件のうちに会社を卒業できた。


一つの場所に行きつくまでの
「自分」というものを味わいつくし
その居心地の良い場所に、未練もなく
もうこれ以上居続けたら惰性が始まるよな
という寸前にわたしはするりと
その場所を、その役割を捨てることができた。

捨てるとは言葉が悪いか。
抜け出た、登ってきた階段が
ひと段落、終わったという感じ。

踊り場についた途端
だからといって
期待する別の世界が拓け
見えるなんてことはない。

わたしはそこで
それまで登ってきた
40年分の階段を眺めては、
ただただ1年近く、
ぼんやりとでもしつこく
幼少期からいろんな事を思い出し
そのシーンを勝手に
文章にまとめこのブログを使って
整理してきた。

わたしにとって一つ一つの記事は
まるで一枚の絵のようで。
その踊り場に美術館のように
「わたし」を並べ続け、
その解釈を曝け出し
時に並びの順番にこだわり
絵を入れ替えたりする。
新しい世界に目もくれず
過去の整理だけを
黙々とこなしてきた。

そして、ある日
わたしのあたまは
ぽっかりとまっしろに
なったように思うのだ。

無駄な思考も執着も消え
自分の主張みたいなものが
ごそりと抜けて
特段こだわりもなく
物事に理屈をこねまわすことも無ければ、
理が勝りすぎることもない。
垢がなくなり、

まぁ馬鹿になったような。
寝起きの幼女ような
ぽかんとした
そんな自分になっていた。


先日、きっかけがなんだったか
もう忘れてしまったけれど
「わたしはね、踊り場にいる人だから!」
とリキシにむかって言ったら
鼻で笑われた。

あんたさん、もうそこ出てるでしょう。


へぇぇぇと思うわたし。

わたしは「過去のわたし」を
並びたてた踊り場を出て
どこかに向かう階段を上りはじめて
いるらしい。

へぇぇぇと思いながら
その踊り場が思いの外
楽しい場所だったなぁと
思ったりして後ろを振り返る。
でもやっぱり、とりとめもなく
言葉が頭からこぼれおちていく。


やっぱりわたしは
すこし馬鹿になったらしい。