祈るまえに、恋をして。 -8ページ目

祈るまえに、恋をして。

ときどきぽつりと更新。

きしんちゃんは
「ただいまーっ」と言うなり
ローファーを
ぽかんぽかんと脱ぎ捨て
リビングに続く廊下を
きったない靴下のままに
つーっっとすべるようにして進み
冷蔵庫に頭を突っ込み
ペットボトルのままにお茶を飲む。

そして一言、おなかが空いた。

靴をそろえなさい
スリッパはきなさい
靴下ぬぎなさい
冷蔵庫はあけっぱなしにしない
コップに入れて飲みなさい
あーその前にその前に
手を洗いなさい!もうっ。

こんな毎日。

祈るまえに、恋をして。


きしんちゃんの汚部屋に
転がるペットボトルは
空のまま放置されて2週目に入る。

この子の親はだれだろう?
わたしです。しょぼん。




イタリアから帰国後
きしんちゃんは
渡航前より熱心に
イタリアのガイドブックを読み
世界史を熱心に勉強している。
期末試験の結果は
まだ謎のままだが
答えがわかる喜びを
空欄を埋めていく快感を
ごはんを食べながら
わたしに聞かせていたりする。
随分お勉強をするようになった。
きらいは嫌いらしいんだけど。


旅行中、ホテルの部屋で
スーツケースを
空けるたび、娘のそれに
自分とは違う個性を感じていた。

わたしは、きっちりかっちり
寸分歪みなく荷物をケースに
入れるタイプだ。
理路整然とした荷造りをする。

一方彼女は
スーツを開けば
どかすかと荷物を全部出し
出立時には
ぽかんぽかんと荷物を突っ込み
蓋をする。

あなたもうちょっと丁寧に
整理して入れなさいよとなどと
言ってみれば

わたしの準備が整った
スーツケースを指さし
閉じてしまえば
結果は同じ、目的は達成だと
言い張っていた。
そらそうだ。


先日娘はわたしに
小さな小さな嘘をついた。
わたしは烈火のごとく
それに怒り、しばらく彼女と
くちを聞かずにいた。

ずっとずっとわたしのほうが
親に大きな嘘をついた。
罪のある嘘を
とても理路整然と。

彼女はとってもおおらかで
大雑把で罪のない嘘をつくから
少し笑ってしまうのだけど
大まじめに、大まじめに
わたしは親として叱る。


それにしても
ペットボトルはいつお片づけ
してくれるんだろうか。

女子教育とはまことに
その範囲は広く、
内容は細かく
複雑でそして難しい。
旅が終わる頃
もう少し続きがあればいいのに
旅行が終わっちゃうの寂しいね
と娘がつぶやいた。
わたしはそうだねとお返事した。


わたしたちふたりは
この旅の間、
いろいろな問題を
ともに考え、謎を解き
時に慌てて走り、
時に笑いあったりしていた。
ふたり今までの時を
取り返す時間のようでもあったし
新しい一面をみては
常に心は共鳴していたように思う。


ママが感じてるより
ずっとちゃんと将来のこと
考えるようになったよ。
そう言って彼女の中のまだ
曖昧とした夢の輪郭を
語って聞かせてくれたのは
帰国してからの事。

それは私が知っている彼女より
少し成長した姿で
彼女の語る未来の姿に
驚かされたりしていた。




去年の秋口くらいだったか
わたしはブログに
娘の教育について
悩みや焦りのようなものを
たくさん語っている。

会社を辞めて
これで娘に向かい合えると
対峙したものの
彼女と自分に横たわる
いろんな実情に
途方にくれていた。

この旅もそんな悩みの中で
彼女が外にある大きな世界に
心を動かされたら素敵だなと
想って計画した。



でもこの旅で見えてきたものは
自分の心のうちだったかな。
娘を通して、親である自分の
無意識に存在するもの
わたしの内側に気づくというかんじ。

わたしは娘の子育ての中に
自分の心の中にある
様々な感情を表現していた。

シンプルに言えば
親からしてもらいたかったことを
子供には過剰に与えていたりする。
もちろん、親から与えられて
良かったと思うことも
真似ごとをして与えていたりする。
もっと言えば、自分の中に芽生えた
コンプレックスそのものを
我が子には回避させなくてはと
予防線を張り巡らせる。

甘えたかった自分
褒めてもらいたかった自分
厳しくされた自分
親のしたこと、世間が下した評価を
自分の受け止め方により
叶わぬ想いを募らせ
今度は我が子に
知らず識らずのうちに
植え付けてしまうことが
あるなと考えていた。

娘はそれを
もうとっくにわかっていて
わたしの理解者となり、受け入れて
来ただけかもしれない。

わたしは
本当の娘の姿をみているんだろうか。
そう旅の途中で何度も考えていた。




わたしの両親は姉ばかりにかまっていた。
もっとわたしののことを
理解してほしいと
17歳のわたしは願っていた。
母の視線はわたしをとらえず
孤独を抱えたまま
親になったわたしは、
その穴を埋めるかのごとく
娘にあらゆるものを与え
干渉してきたように思う。

それは娘にとって良い結果に
なるとただ信じていた。


どうしてだろう。
この旅の途中で
風景が変わるっていうのかな。
見てきた風景の解釈が変わるというのかな。
うまくいえないけど
そう思うわたしがいる。

丁度、我が「母」と我が「娘」の
中間という立場に立ったところ。
そこから見る“自分”に気づき
そこから見る「母」と「娘」の気持ちに気づく。

あの頃、理解されていないと
感じた親の心のうちが
まったく別のところに
あったんだろうと素直に思えたりして。

親はただ
わたしの“自立心”に
信頼を寄せていただけ。きっとね。
今ごろになって、そんな風に
すぅーっと親の気持ちが
染みいるように。
わたしはちゃんと理解されていた。
あの父に、あの母に。

自分の気持ちの穴埋めをして
中間点まで来てしまったのだから
折り返すこれからの時間、今度は
わたしが娘の理解者になる番
なんだろうなと
なんとなく想ったりしている。

それはとっても難しいことだけどね。



20歳のころ、初めてイタリアに来た時
わたしはまだこどもだった。
親の気持ちなんてちっとも想像しないまま
まるでひとりでここまで
生きてきたみたいな顔をして
この街に降り立った。

20年後この街を娘とともに旅をした。
空気も街の喧騒もあの頃と
変わらぬようなこの街で
あの頃の幼い自分の残像に
軽いめまいを感じながら。

娘はその頃のわたしに少し似ているのに
無邪気に笑って、わたしの横に歩く。


祈るまえに、恋をして。
わたしは月に1~2度
劇場に足を運ぶ。
演劇、オーケストラ、バレエ。

今回イタリアでは
ミラノスカラ座。

ちょうどバレエ公演があって
演目は“BALLETTO L'ALTRO CASANOVA”
polina semionovaが舞う
女カサノヴァのおはなしに
娘をつれて出かけた。

劇場を見渡すと彼女は
一段と大きな声で
「わぉ~」と言う。

祈るまえに、恋をして。

きしんちゃんは
むかし、
小さなバレリーナだった。

一生懸命練習して
トウシューズをはけるようになり
それはそれは大まじめに
役に入り込み
舞台に立った。

彼女は小さいけれど
立派なバレリーナだった。
そうあの
つんとすました
バレエ少女。


娘が通ったバレエ教室は
その教室の成長とともに
本格的路線へと進んでいく。

月々のお月謝は数万円ですむけれど
年に2、3度ある発表会、公演は
本格的なホールで行われ
その度に数十万の経費が必要になる。
公演月の三か月前から
レッスンはほぼ毎日になり
重ねてそのバレエ教室への
送り迎えにシッターが必要で
それらの経費を加算すれば
年間200万強の出費となる計算だ。

それでも何年通っただろう。
その年わたしはマネージャー職に
昇進したものの、ていよく
給与制度の改定で
残業代カットと年俸制の導入になり
年収は落ちてしまった。
瞬間的なことでも
年収を戻すには時間がかかる。

わたしは苦渋の選択をし
家計にかかる固定費をカットした。
お勉強費用を優先した結果
娘のバレエ費用が消えた。

それを娘に伝えた時
彼女は、泣くでもなく
うん、わかったと言い
それ以来トウシューズを
見ようともしなかった。

どうしようもない
バカな判断。
借金をしてでも見栄を
はればよかったかもしれない。
両親に泣きつけばよかったかもしれない。
でもわたしはできなかった。
ただ、自分の力だけで
家庭をまわそうとして
彼女から大切なものを取り上げた。
年収が戻っても
もう彼女はその場所に
戻るとは言わなかった。


祈るまえに、恋をして。

彼女がバレエを辞めてから
はじめて二人で見る舞台だった。
どんな顔をしてみるのかな。
そんな風に思って心配だった。
残酷かな、そんな心配。
舞台がおわれば
面白かった!と言い切る彼女。

帰国後、もう一度
バレエを習えば?と聞けば
そんな気にしなくていいよと
返事する。
今は他にやりたいことが
あるからと言う。

だけど彼女は時々
バレエのポーズをとって
ふざけたりするから
わたしは心のどこかでもう一度
そう、わたしの後悔を消すために
バレエやってくんないかなーと
思うのだけれど
そんな自分勝手な母の願いは
この娘に通じない。