友人の死を知らされて大きな悲しみを覚え、
ひとの死を悲しむのに疲れた私は
死についてさらに考えることとなった。
友人の死に関しても妹の死も
「元気になって欲しかった」
という
自分の一方的な願望を押し通したいだけだった。
本人は
自分がチャレンジしたかったことをやって
死のタイミングも計り
今は楽になって幸せでいるというのに
私の一方的な願望からしか見る事ができていなかったのだ。
つまり、
彼らの思いや意思、言動を尊重していなかった...
前回この辺りまで書きました。
http://ameblo.jp/veridicita/entry-12221609493.html
全くもって私の問題だけだったのです。
【私はひとの意思や思い・言動を尊重できていない】
これは、死に関してだけではなく、
ひととの関係に影響を及ぼしていると自覚が有った。
ひとを尊重できていないということは
自分の意思や思い・言動も尊重できていないことに繋がります。
更に
「私の意思や思い・言動を尊重してもらえていない」
という被害妄想的な思考が隠れていることが分かります。
なので、これら全てを変えることにしました。
すると見事に
友人の死への悲しみは小さくなり
随分と落ち着きました。
そして友人がどのような状態で居るのかも分かりました。
彼女が伝えてきてくれたので、それをキャッチすることができました。
「 ”どんな状況に在っても明るく楽しく過ごす” をやりたかった」
彼女は見事にそれをやりました。
「それをやってみる事ができて満足。幸せ」
ケタケタ笑っていました。
そして生きる私達に
「だからね、大丈夫よ!ククッ」って。
これは、
今つらかったとしても苦しかったとしても、トータルで見ると全く問題なく大丈夫なのよ、という意味。
彼女の気持ちが分かって私も安心し、
悲しみが更に軽減されました。
彼女が死の悲しみから救ってくれたとも言えます。
ありがとう。
ひとの死は悲しいものではありません。