リックのインプロバイザー | Viva '60s SurfStyle!!!

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1960年代のカリフォルニアサーフスタイルに心を奪われた男の独り言。

1959年・・・

ベルジー&ジェイブスの下でシェイプに励んでいた二人の若者は「ビング&リック」なるサーフボードレーベルを立ち上げる。

 

 

この時代、サーフボードと云えばPIGしかなく、彼等はベルジーが考案したPIGを日夜削り続けていた。

 

 

しかし、レーベル立ち上げから3年後に転機が訪れる。

 

 

ビング・コープランドのパートナーであったリック・ストーナーは自身でレーベルを立ち上げる為にビングと袂を分けたのだ。

 

 

時は1962年。

時代はまだまだPIG全盛期である。

 

 

しかし、翌年の1963年にホビーからノーズライダーやフィル・エドワーズモデルがリリースされると、それまでPIGオンリーだったサーフボードマーケットが大きく変わり始めた。

 

 

各レーベルは個性的なボードを次々とリリースし始め、正に凌ぎを削る激戦となった。

 

 

リックは最も激戦が繰り広げられていたサウスベイにてレーベルを立ち上げた訳だが、この地で二人の若き天才と巡り合う事になる。

 

 

一人はバリー・カナイアウブニ。

そして、もう一人はドゥルー・ハリソン。

 

 

時は1966年・・・

リックはバリーに時のスーパースターと崇められていたマイク・ヒンソン顔負けのレッドフィンを纏ったシグネチャーモデルを宛がえた。

 

 

バリー・カナイアウブニのシグネチャーはヒンソンモデルと瓜二つと云われており、リックのセールスに多大ななる貢献を及ぼした。

 

 

一方のドゥルー・ハリソンにはウェッジストリンガーを纏い、リック伝統のワイド幅のシグネチャーが宛が得られた。

 

 

この時代のリックのボードと云えば、UFOに代表される様に、どのボードも幅が非常に広く、ドゥルー・ハリソンのシグネチャーはデューイ・ウェーバーからリリースされていたパフォーマーに勝るとも劣らない程であった。

 

 

テイクオフが早く、ワイド幅のこのボードは非常に安定感があり、更にウェッジストリンガーであった事から他のボードのよりも軽く、取り回しが非常に楽であるとの評判からUFOと並ぶリックの看板ボードとしてトップセールスを誇った。

 

 

本日は、そんなリックの黄金期を支えたドゥルー・ハリソンのシグネチャー、インプロバイザーを紹介します。

こちらである。

画像だけでは解り兼ねるが、このアウトライン・・・

ウェーバーのアーリーパフォーマに似ていると思うのは俺だけだろうか?

 

 

アーリーパフォーマーもインプロバイザーも同じ1966年に誕生している訳だが、リックもウェーバーも同じ釜の飯食を喰ったベルジーの門下生・・・

何やら因縁めいた事を感じるのは気のせいだろうか?

 

 

彼等は、この時代のサーフボードにとって如何様なアウトラインが最適なのかを知っていたのかを余す所なく発揮したモデルを同時期にリリースしているのだ。

 

 

そんなインプロバイザーの特徴と云えば、やはり、これである。

バルサをレッドウッドでTバンドされたストリンガーはテール寄りは幅広く・・・

ノーズに向かうに連れ細くなって行くウェッジタイプのストリンガーとなっている。

このウェッジストリンガーの採用によってボードの取り回しが軽快になり、当時のサーファーを魅了した結果、数あるリックのラインナップの中でもトップセールスを誇ったのではないだろうか?

 

 

また、このインプロバイザーには程好くコンケーブを施されており、取り回しの良さだけではなくノーズライディングを堪能出来る所もトップセールスを誇った要因となったのではないだろうか?

さて、そんなインプロバイザーに装着されているフィンと云えば・・・

これである!

リックを代表するフィンの形状・・・

何処かで見た事がなかろうか?

そう・・・

これである!

ダベンポートのミスクリーントの装着されているフィン。

このフィンは正にリックのインプロバイザーのフィンからインスパイヤーされているのだ。

 

 

先日の更新でアダムがリックから多大なインスパイヤーを受けていると綴ったが、こうしてサーフボードの要所要所を見て行くと様々な部分に辿り着く事が出来る。

 

 

サーフボードとは浪漫の詰まった大人の玩具である。

だからサーフィンは楽しいのだ。

 

 

Keep Surfing!!!!