サーフィンの黄金期はいつだったのだろうか?
中学生の時に何気なく購入した缶ペンケースには稲妻のロゴマークが描かれていた。
また、当時はマジックテープでホールドされた「バリバリバリ・・・」と音を立てる財布も流行っていた。
自宅から自転車で30分と掛からない池袋の丸井には、サーフィンのコーナーが大々的に広がっていたのを目の当たりにしていた。
国内では間違いなく、この時代こそが空前のサーフィンブームであったのではないだろうか?
いや、実際にはサーフィン人口は当時よりも昨今の方が多いと考えると、あの時代はブームではなく、日本にてサーフィン文化の開化だったのかも知れない。
では、海の向こうのカリフォルニアではどうだったのだろうか?
大衆にまでサーフィン文化が広がった日本の開化が1970年代後半だとすると、カリフォルニアは1960年代初頭なのだろうか?
当時活躍していたサーファー、シェイパー達は1970年代から'80年代のサーフィンブームをどう見ていたのだろうか?
ある者はサーフィンを止めてしまい、ある者はプレーナーと決別をする・・・
1960年代初頭のカリフォルニアでのサーフィン文化の夜明け当時、サーフィンに携わる誰も「時代は変わる」と思っていなかったのではなかろうか?
皮肉にもPIGの黄金期に当たる1963年には、映画「エンドレスサマー」の制作がスタートした。
そして、その翌年にはボブディランから「時代は変わる」と云う楽曲がリリースされる。
1964年と云えば、ノーズライダーの台頭が始まり、これまでサーフィンの在りき姿であったPIGが徐々に表舞台から姿を消し始めていた時代でもあった。
その流れは年を追う毎に加速して行き、遂にショートボードレボリューションの渦に巻き込まれる事になる。
勿論、多くのシェイパーが渦に巻き込まれ行く中でも、時代に対応できたシェイパーも沢山居た。
本日は、そんな時代を変化を受け入れながらも「レジェンド」の名を欲しいままにして来たテリー・マーティンのPIGを紹介したいと思う。
実は多数のボードを所有して来たにも拘わらず、テリー・マーティンのボードは後にも先にも今回紹介する1本だけである。
縁がなかったと云えばそれまでだが・・・
本当に縁が無かったのかも知れない。
ホビーのボードはヴィンテージを始め、ホビーシェイプ、フィルシェイプ等のボードは所有してはいたが、どういう訳かテリー・マーティンには縁が無かった。
しかし、その縁は遠方から1本の電話によって訪れる事になったのだ。
連絡をくれたのは大阪のグレッグの脇田さん。
脇田さんとは奇遇にも四国の生見でご一緒させて頂いた事もあリ、ショップにも足を運ばせてもらった経緯があった。
そんな脇田さんから紹介されたのが、こちらのボードである。
テリー・マーティン渾身のPIGである。
しかも、ホビーレーベルではなく、ノンディケールのプライベートレーベルである。
カリフォルニアでよくある事なのだが、プライベートで知人にボードを贈る際等にギャランティが発生してしまうレーベルモノではなく、シェイパーのサインだけが刻み込まれたノンディケールモノが多々存在する。
ノンディケールのサーフボードは「君だけの為に最高の1本を創った」と云う意味も込められている事から、昨今ではロビン・キーガルが時折ノンディケールボードをリリースし、他のボードとの差別化を図っていると聞く。
このボードは正にそれに当たり、ご覧のストリンガーに沿う様に彼のサインが入っているのが確認出来る。
しかも、このボード・・・
なんと、PIGであるから俺的には幸運以外の何物でもない程のボードとなったのだ。
レールは往年の'60s PIGを象徴するかの様なパンチのあるレール創りは1950年代からシェイプに携わって来たテリー・マーティンならではの味わいが加味されているかの様にも見える。
レールがレールならば、勿論、フィンだって云う事なしのハーフムーンである。
しかも、最後尾に着いているではないか!
このボードが創られた時代にPIGで最後尾にフィンが着けられている所等は、正にリアルレジェンドならではないだろうか?
そして、ノンディケールでありながらボードの存在感を露わにしているのが、この極太のシダーストリンガーでもある。
こういった一つ一つの創り込みが自然に形成されて行くのが、時代を知り尽くしたリアルレジェンドの作品なのであろう。
昨今、リアルレジェンドのシェイプのバリューが落日の一途を辿っていると聞く・・・
それを「時代は変わる」の一言で片付けてしまうのは、どうにも腑に落ちない。
タラレバの話しをしても仕方がないのだが、今、テリー・マーティンが居たらならば、彼はどんなボードを我々に見せてくれていたのだろうか?
譲り受けたPIGを見詰めていると、ふと、そんな事が頭を過った。
Keep Surfing!!!