「日本に来たのはこれが2度目だよ」
「最初はNAVYの仕事で横須賀に来た時だった」
彩り豊かな善を前に器用に箸を使いこなす、その手裁きは、これまで幾多のサーフボードを世に送り出して来たリアルレンジェドの重みのある仕草と何気ない一言だった。
彼の名はビング・コープランド。
云わずと知れたビングサーフボードの創業者である。
彼はベルジー&ジェイコブスの下で屈指のシェイパーとして日夜シェイプに励んでいたが、ベルジーのタックス未払いが原因でベルジーがジェイコブスと袂分けたのを機に、自身も起業する事になる。
時は1959年。
ビングさんには「サーフボードで生計を立てて行ける!」と、強い確信があったそうである。
それは、映画「ギジット」の公開によってマリブを始めとする幾多のサーフポイントに押し寄せたサーファーの数がそう実感させたそうだ。

映画「ギジット」は、小柄な16歳の少女がマリブで溺れ掛けているいる所をサーファーに救われ、次第に少女がサーフィンと触れ合って行くと云うストリーである。
かの、ランス・カーソンも「ギジットによってマリブには人の波が押し寄せて来た」と語っていた程、当時のギジットが齎したブームのパワーは計り知れないものがあった事が安易に想像出来る。
そして、このブームによってサーフボードにちょっとした変化が現れたのをご存知だろうか?
ヴィンテージに触れた事のない方には、「ピン!」と、来ない話かもしれないが、一般的には「ヴィンテージ=レールが太い」と思われる傾向がある。
確かに、1960年代を代表するヴィンテージボードのレールは太い物が極めて多い。
ポップアウトだからと云う事もあるが、以前も紹介したベルジーのPIG等は丸太の様な太さとなっている。

しかし、1950年代のPIGやマリブチップ、若しくは1960年代の「最初当」のボードのレールに触れてみると思ったほど太くない事が判る。
これは、サーファーとして多大なライディングスキルを持ち合わせていた屈指のシェイパー達が限られた時間の中で丹精込めて削っていた証であるのだが、ブームとなると流石に彼等だけでは膨大な数を熟す事が出来ず、サーフィン未経験、若しくは齧った程度の者でも安易にシェイプ出来る様なボードが主流となっていた表れでもある。
主題とは大きく反れた内容になってしまったが、昨年辺りから海で会う方々に一番聞かれる事は「ピーターのPIGって、どうなの?」を下に、本日は綴ってみたいと思う。

このボードは、マイク・ブラックが偶然ビーチで出会った知人から借りたのを機に、「これまでのPIGとは何もかも違う!」と感じた事から愛機となったボードである。
そして、マイクからピーターを紹介され、俺がこのボードを手にした事は以前も書いた通りである。
マイクはこれまで数多くのPIGを見て、乗って、そして、シェイパー達とディスカッションをして来た訳だが、「ピーター程、PIGに精通している者はいない」と常々云っていた。
現在、世の主流となっているモダンPIGを思い返してみると、ある一定の法則がある事が解る。
ノーズのボリューム、キックテール、ピンチ気味のレール、そして、ノーズロッカー・・・
これらの要素はPIGでありながら異次元のサーフィンを可能としてくれる素晴らしいディティールであり、多くのシェイパー達がこの法則に基づいてPIGを創っている様に思える。
先日も触れたが、タナーのPIG等はその最たる例ではなかろうか?
ピーターのPIGに目を向けてみると、恰も、敢えてそれらに逆行している様に思えてならない。
例えば、このフラットロッカーである。

また、垂直に立てられたフィンも同様で、PIG本来の楽しみを得られる仕様となっている。


だからこそ、彼はこのボードに「Fifties Pig」と命名し、マイクに「次に乗るボードもピーターしか考えられない」と云わしめたのだ。
しかし、1950年代の洗練されたPIGがある一方で、1960年代初頭のファットなPIGが存在するのも、また史実である。
マイクはピーターのPIGとの対比を敢えて楽しむかの様に、一つのPIGを誕生させた。
さて、このPIGは一体どんなPIGなのであろうか?

残念ながら、現在は俺の手中には無いので、いずれ機会があれば綴ってみたいと思います。
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