サーフボード業界に燦然と輝くデイル・ベルジー・・・
彼がこの世を去ってから10年以上の月日が経つ訳だが、未だに「ベルジーが居たから・・・」、「ベルジーが居なかったら・・・」と世界中で言い伝えられているという。
世界で活躍する多くのシェイパーが、何等かのカタチでベルジーと結びついていると言う。
それを世間では「ベルジー・ツリー」と呼ぶらしい。
しかし、ベルジーの系譜では無いボードメーカーやシェイパーも当然ながらいる。
その代表格と言えば、やはり、ホビー・アルターではないだろうか?
そして、そのホビー・アルター同様にベルジーの系譜で無いボードメーカーが本日のお題である。
そのメーカーとは言わずと知れたハンセン・サーフボードである。
ドン・ハンセンが1960年に起業したサーフィンの歴史を語る上では決して外す事の出来ない人物、そして、ボードメーカーである。
そして、本日はハンセン・サーフボードの名品中の名品、50/50を紹介したいと思う。
ハンセン・サーフボードは軍人であったドン・ハンセンがハワイを訪れた事からその歴史は始まる。
そして、ハワイでサーフィンの虜となってしまった彼は本国に戻る否や直ぐ様にボード創りに着手するのである。
しかし、この時代には既にベルジーとジェイコブスが袂を分けた事によって、多くのボードメーカーが犇めき合っていた事もあり、創業間もない頃のハンセン・サーフボードは一部の愛好者達だけに受け入られるメーカーたっだと言われている。
原因は様々ある様だが、良く耳にするのがライダーにスーパースターが居なかった事が認知に加速が掛からなかった様である。
しかし、1965年、遂に待望のスーパースターをハンセンは迎え入れる事になる。
映画「ビングウェンズデー」のモデルともなったマイク・ドイルがジェイコブスから移籍する事になったのだ。
念願のスーパースターを遂に獲得したドン・ハンセンはマイクの為に早速シグネチャーを創る事になる。
そして、誕生したのが名品、マイク・ドイルモデルである。
このマイク・ドイルモデルには、ピンテールとスクエアテールの存在する訳だが、本日紹介する50/50はスクエアテールをベースに乗り易く改良され、そして、ノーズライドとマニューバーの双方を楽しめる、オールラウンドボードの走りの様なボードとしてリリースされた経緯がある。
毎度の事ながらボードの紹介の時は非常に前置きが長くなり、読者の方々には不便を掛けますがご容赦頂ければと思います。
そして、こちらがハンセン・サーフボードの50/50である!

幅広いアウトラインはイージーなテイクオフを可能にし、翌年にリリースされたデューイ・ウェーバーの'67パフォーマーに大きな影響を与えたと言われている。
また、この50/50の最大の特徴は何といっても、このレールでなかろうか?
今で言う所のピンチーレール様な細く張りのあるレールは、幅広いボードでありながらビッグウェーブにも対応出来る程の操作性があったと言われいる。

俺もこれまで様々なヴィンテージボードに触れて来たが、50/50のレール形状のボードは見た事が無い。
因みに、ご存知の方も多いとは思うが、この50/50というモデル名は決してレール形状から来ている訳では無く、ノーズライドとマニューバーのどちらにも「50対50」で対応出来る事からである。
ボード自体は流石にこの時代のボードであるが故に、ずっしりとした重量感を誇るのだが、それまでのボードの様な「腰が砕ける」様な重さにはなってはいない。
それはこのストリンガーにも表れており、1インチバルサを貼り合わせ2インチ同様の強度を保ちながらも軽量化を意識したのではだいだろうか?

また、この時代はサーフボードに華やかさも求められていた為、テールには細やか乍らご覧のブロックも取り付けられている。

そして、50/50と言えば、何と言ってもこれではないだろうか?

この形状のフィンで「ピン!」と来たかは紛れもなくタイラーファンではなかろうか?
今やノーズライダーと共にタイラーの代表作となった777は、この50/50のコピーである事は言うまでも無い。
現在、ハンセン・サーフボードはCAで細々と言ったら失礼だが、健在である。
かつてはサーファーズ、シーコングの両店がディーラーを行っていた為、非常に身近なボードだった事もあり、サーファーズではマイク・ドイルモデルを買わせて頂き、シーコングでは50/50ピンテールを買わせて頂いた。
しかし、現段階では正規ディーラーは存在しない様なので、このディケールも他の老舗ボードメーカー同様に海で見掛ける事が無くなってしまった。

老舗のボードメーカーが国内から撤退を余儀なくされている現状・・・
頭では理解は出来るのだが、どうしてもハートでは理解する事が出来ない。
寂しい限りである。
Keep Surging!