1960年代の輝かしいサーフシーンには、海で活躍したサーファーや彼らにボードを提供し続けたシェイパー達以外にも多くの人達がいた事は有名な話である。
例えば、映画「エンドレスサマー」のブルース・ブラウンや、多くのレジェンド達をファインダーに収め続けて来たリロイ・グラニス、そして、サーフィンと言う文化を世界中に発信し続けて来たジョン・シーバーソン(今はジョン・セバーソンと表記するらしい)。
これらの人物達は、時のサーファーやシェイパーと同じ様にレジェンドと称され、今でも世界中のサーファー達から尊敬され続けている。
そんなレジェンドの一人であるジョン・セバーソンは、度重なる「偶然」をファインダーに収め、後世のサーファー達に、その伝説を伝え続けて来た。
例えば、この一葉・・・

後に、映画「ビッグウェンズデー」のオープンニングを飾り、グレッグ・ノールの伝説を確固たるものとしたショットもセバーソンがファインダーに収めた偶然から始まった。
更に、こちらの一葉も・・・

世界で初めてPIGでマニューバーを描いたとされるミッキー・ムニョスのライディングショットである。
ムニョス曰く、「少しでもボードに加速が付けば・・・」との想いから無意識の中でのポーズを偶然にもセバーソンがファインダーに収めている。
そして、こちらも・・・

ランス・カーソンのボードディケールにも採用されているノーズライドの一葉である。
セバーソンがこのシーンに遭遇した時、余りにもランスが自然体だったので思わずシャッターを押したそうである。
片手を天に掲げるデビット・ヌイーバー(近年ではヌヒワと表記するらしい)の力強いノーズライディングとは対照的なランスのこのスタイルは、後世のサーファー達に多大いなる影響を与えたスタイルだと言われている。
さて、今日もかなりの前置きとなってしまったが、今日はデビット・ヌヒワと並び1960年代のノーズマスターの名を欲しいままにして来たランス・カーソンのボードを紹介したいと思う。
紹介するのはこちらである。

PIGでもなく、チップでもなく、勿論、3ストリンガーでお馴染みのシグネチャーでもない。
これはランスカーソンのノーズライダーである。
キックテールのイメージの強いランス・カーソンのボードであるが、実は上記の一葉の様に、元々ランスのノーズラディングには定評があり、デビット・ヌヒワと肩を並べる程インパクトのある事は有名な話である。
しかし、当時のランスが使っていたボードにはコンケーブが入っておらず、かの美しいノーズライディングもランスの技量ならではの芸当なのである。
ランスカーソンとノーズライダー・・・
今一つピンと来ない方もいるだろうが、実はランスの創るノーズライダーは他のシェイパーの追随を許さないほど高いレベルにあり、当時ジェイコブスの下でシェイプに励んでいたタイラー・ハジキアンやマット・カルヴァー二にノーズライダーの基礎を伝授したのはランスなのである。
ジェイコブスは、自らの門下生であったランスに後のサーフシーンをリーディングするであろう若きシェイパー達にノーズライダーを学ばせる様にランスに託したそうなのである。
この事はサーフマガジンにも書かれている有名な話だが、ランス自身も語っている事から紛れもない事実であると思われる。
紹介するノーズライダーは、元々はランスが友人の為に削った物だったが、サイズが大き過ぎる事からキャンセルが入り、サーファーズの矢作さんが俺に声を掛けてくれて手元に来たボードである。

ボード自体が10.6ftもある為、コンケーブもそれなりに大きいのだが、ビングのデビット・ヌヒワモデルやタイラーのノーズライダーの様な深さまでは無いのが印象的である。

見慣れたディケールも、シングルのストリンガーにティントカラーの組み合わせとなると妙に新鮮なイメージになるから不思議なものである。

しかし、このデカくて、重いボード・・・
どうやって海まで運べば良いんだろうか?
仲間達で賑わうお馴染みのポイントには恐らく一人では運べないと思うし、シークレットポイントはインサイド寄りに多くのショートボーダーが入る為、俺の技量では回避しながらのノーズライディングは少々ハードルが高過ぎるというものだ。
さて、何処で進水式をしてあげれば良いのだろうか?
Keep Surfing!