行岡豪 | Viva '60s SurfStyle!!!

Viva '60s SurfStyle!!!

1960年代のカリフォルニアサーフスタイルに心を奪われた男の独り言。

今まで多くの日本人シェイパーと面会させてもらって来たけど、自分のサーフィンのスタイル、方向性等で最も影響受けた人と言えば・・・間違いなく、行岡豪氏である。



 

以前、BLUEでも同じ様な言い回しをしていたが、豪さんを知っている人って、よっぽどのマニアか?稲村ヶ崎のローカルだけだと思う。
滅多な事では雑誌に出る事は無く、サーフショップはあるにはあるけど、絶対に一見さんが入れる様な環境の店ではない。
かと言って、経歴が無い訳でもなく、なんと、あの長沼さん、カツさん、出川さん、阿部さんと並ぶ、鎌倉を代表するレジェンドなのだ!



 

そんな豪さん事を俺は勝手に「師匠」と祀っている。
それは、彼が俺のサーフィンにおいて、唯一賛同出来た日本人シェイパーだからだ。



 

豪さんの作るボードは、PIG、ノーズライダー、セミガン、そしてPIGベースのスタンダードと4つしかない。
カスタムはテールの形状(ピンorスクエア)、カラー、サイズのみ、後は一切受け付けない!
そんな頑な一面を持っているのだ。
フォームは全て高密度のクラッシクフォームにレッドシダーのストリンガー、さらに、グラスオンフィン・・・
しかも、シェイプは当然ながら、色付け、ラミネートに至るまで、全ての工程をたった一人で行うと言うクラフトマンでもある。
恐らく、分業化が進んだ湘南の地では非常に稀な人だと思う。



 

これまで、個性的なシェイパーを沢山見て来たけど、豪さんみたいな人は初めてだった。
頑固と言ってしまえば、それまでだが逆に「それが良い!」と、思い、以来お付き合いをさせてもらっている。
そんな豪さんに初めてボードを作って頂いた時の事だが、なんと、注文してから2年も掛かったのだ!
サーフボードを造るのに、どうしたら2年も掛かるのだろうか?
全工程を一人でやるって、そんなに大変なの?
若しくは、一時のスキップフライ並にオーダーが溜まっているの?
そんな事を確認したくて、マメに豪さんを尋ねる様になった。
そして、豪さんの性格が解って来た。



 

失礼な言い方になるが、豪さんは気ままな人なのだ。
何故なら、「ボードが出来てるかな?」と、尋ねてみるとベンチに座ってタバコを吸って日向ぼっこしていたり、散歩に行っていたり・・・そういう人なんだ。
そんな豪さんにシェイパーとして2つの事を聞いてみた。
先ず、「どうして、カスタムを受けないのか?」。。。
するとこんな答えが返って来た。
「色々な注文をするんだったら、俺のボードじゃなくても良いでしょう?」と、如何にも豪さんらしい言い回しだった。
そして、次に「どうして、ボードを造るのに、そんなに時間が掛かるの?」。。。
すると、「気分が乗らないとシェイプ出来ないんだよねぇ」と、これまた豪さんらしい?言い回しだった。
こういう豪さんだからこそ、サーフボードワンのボードは鎌倉でも見掛ける事が無いんだと悟った。




 

現在、俺は豪さんのボードを2本所有している。
1本は2年待って作ってもらったスタンダード。
もう1本は豪さんから譲り受けたボード。
そして、この度、2年半の歳月掛けて3本目のボードが完成を間近に控えている。
先週も「そろそろ出来上がるから見においでよ!」と、呼ばれ見に行って来た。
サンディング前ではあったが、見事な出来栄えだった!

 

イメージ 1

デッキに8オンスボランを2層で撒いてもらい、ボトムには10オンスの1層巻き。
高密度のフォームにレッドシダーのストリンガーが冴えている。
カラーは豪さんならではのピグメント。
ノーズはPIGを作らせたら「日本一!」と称される技術を惜しみなく出したナローノーズが見事であった。

 

イメージ 2

テールブロックは、稲村ヶ崎の海岸に迷い込んだ流木を用いて造って頂いた。
ストリンガーとのコンストラストが見事としか言いようが無い。

 

イメージ 3

フィンは、お手製のハーフムーンを仕上げている最中だった。
パーフェクト以外の言葉が見付からない。。。

 

イメージ 4

2年半は長かったが、待った甲斐があったと言うものだ。
でも、恐らくこれが最後のボードになるかも知れない。
何故なら豪さんは・・・って、この辺でヤメテおきましょうかね?
だって、かなりの長文になってしまいましね。
最後まで読んで下さった方・・・感謝です!