ふと思い立ちやってみたこと | 静岡/更年期/骨盤底から美と健康づくり

静岡/更年期/骨盤底から美と健康づくり

年齢を重ねることを慈しみ愉しむために。
骨盤底の悩みを持つ人を一人でも減らしたいという想いのもとに活動しているペリネビューティコンサルタントJUNKOのブログです。

突然ですが、みなさん、先祖供養ってしたことありますか?

 

わたし先日初めて自分で段取りしてやってみたんです。

 

 

そう思ったきっかけは、ある人の助言から。

 

新しいことを始めるとき、或いは家族の節目のとき、

神社仏閣を巡るのもいいけれど、菩提寺で先祖供養をしてもらうことで、「よしよし、では私がやりましょう」と、先祖のどなたかが見えない力を貸してくれる、と。

 

 

去年、家族に大きな出来事があり、大変だったのですが、乗り越えられたことへの感謝と、これからもよろしくお願いします、の気持ちを込めて。

わたし納得したことはわりと素直に実行する性格なので、即行動開始。

 

助言してくれた人の話では、生まれ育った家を出ている身でも、そちらの菩提寺にお願いしたほうがいいとのことでした。わりと信心深い方なので(自分で言うな、って?!)お墓参りは必ず行きますが、お寺に寄ることはないのでちょっと緊張。

 

日常的にお墓のことをやっている人達に比べて、自己都合でやりたいときだけ、なんてムシがいいかな、とチラっと思いましたが、それはわたしの立場だから許してもらうとして。

 

 

こんなことやろうと思ったのは、この歳になったからだろうな。

ちょっと前まで考えなかったもの。

 

親、祖父母、曾祖父母・・・

 

わたしという存在がここにあるのは、脈々と受け継がれてきた命の連鎖ゆえ。

そう想いを馳せていくと、なんだか自分が生きる期間こそが幻(仮の世界)なのではないかとも思えてきます。

 

 

さて先祖供養。

親に相談したところ、自分で寺に行き段取りせよ、とのこと。

さっそく行ってみましたが、留守。

失礼かな、とは思いつつ翌日電話で先祖供養したい旨お伝えしたところ、快く受けてくれました。

 

費用も気になったので、失礼覚悟で思い切って聞いてみました。

すると答えは

「お気持ちですので」

 

そう言われると、いったいいくら包んだらいいのか、見当もつかず・・。

「お膳はこちらでご用意いたします」

となると、少し多めの方がいいのかな。

など、やるとなるとあれこれ気を揉むことが多かったです。

 

そして当日、簡単にお墓でお経をあげてもらうだけだと思っていたのに、まったく違いました。まず住職と待合所(?)のようなところでご挨拶、そして本堂に通され、法事の時のようにお経をあげてくださったのです。

 

ああ、とってもありがたいことなのに、頭の中は

「なんだかえらく仰々しいぞ・・。まずい、包んだお金が少なすぎた・・・。」

がぐるぐる。お経を一緒に唱えながらも集中できない状態でした。

あとで聞いた話では、菩提寺の住職は本部(?)の2番目に偉いお方らしく、さらに冷や汗が・・。

 

あとで住職の妻が

「家を出た方がご先祖供養をするってことは、なにか理由があってのことなのかと思いまして。やることでご自身がスッキリできるんですよね。」

と先祖供養と書かれた薄い冊子をくれました。

いや、そこまで深い気持ちもなかった、なんて言えず・・。

 

でも、初めての体験で、気づきがありました。

言葉ではうまくいえないけれど、自分が自分だけのものではない、という感覚。

そして、昔から人々の心の支えであり、教育の場であり、生活の一部であったお寺という存在を再認識した機会となりました。

 

 

image