たんぼとはたけと。ベジスタ信太
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超久々ブログ。今年は続くのか?

手帳や日誌に書くにも整理しづらいし

何よりも大した内容ではないからブログに書くことに。

気付いたら超久々で。

ブログってこういう時に便利だ。

 

ちょうど1年前に自宅で事務所代わりに

使っていた一部屋を、長女に明け渡した。

事務所機能は、きちんとした事務所を借りて

移転し2年経っていたし

何よりも娘が中学に上がるのに

部屋がないのもねぇ、年頃だしという感覚だろうか。

直訴もあったし。

 

で、1年経ってみて気がついたこと。

 

滅多に人の部屋に入ることなんてないし

親だからなんて言って

そんな権利を振り回す気もないんだけど

暖房器具の灯油が足りないってことで

入れておいてあげようと思い部屋に入った。

 

当たり前なんだけど

机と椅子があって、ベッドがあって

漫画好きらしく本棚いっぱいの単行本があって。

タンス代わりの衣装ケース。

AUXにつないでスピーカー代わりに使ってるCDプレイヤーと。

 

そう。

自分が中学生の頃となにひとつ変わらないのだ。

細かくみれば、それりゃ色々違うんだろうけど

ハッキリ「これはなかったな」と言えるのは

iPod だけだ。

 

空を飛んで通学することもないし

ディスプレイを見て授業を受けることも、ここではない。

相変わらず吹雪の中、歩いて学校に行くし

鉛筆はあって、消しゴムもある。

 

もっと言えば

起きて、食べて、笑って、泣いて、風呂に入って、寝る。

そういうことは、これから先も

きっとそれほど変わらないだろうなぁ。

 

自分が目指していた農業が何かわからないけど

ここ数年、考え倦ねていた中

ここらへんに大きなヒントがある気がして。

人間が生きていく中で、変わらない

普遍的な行動?とでもいうのだろうか。

そこにきちんと根ざした農産物であったり

農業であったりを営んでいった方が良さそうだよなぁ。

まだ、それがどういうことかわかってないけど。

 

 

 

匂い(感覚的なもの)

とうとう一ヶ月、ブログを書かずじまい…。
この期間、何故か一つの共通したことを考えていた気がする。

一昨日、地元同級生の親父さんが亡くなり、今日、お通夜へ。
車での単独事故から二週間経って亡くなったとのこと。
なくなるその日まで、大丈夫だと言い張り働いていたらしい。
事故を起こした際に乗っていたその車は
結構な壊れようで、家族皆ただで済むはずがないと思い
病院へ行くことを勧めたらしいが、本人が大丈夫だと言い張り
また、事故直後、ラーメンを食べたり、コーヒーを飲んだりする姿に
家族も大丈夫だと思いこんでしまったらしい。
亡くなる日、あまりの体調の悪さに病院へ行き
入院の手続きをした直後、急変。

地元において、かなり早く有機栽培に取り組み
また、自分が地元へ帰ってきた際にも
有機栽培の説明とおかれている状況をレクチャーして下さった方。

周辺地域の畑地をかり、畑作にも取り組まれており
取り組まれている方向性が、実際かなり近かった。
想われていることや実際の経営状況などをお聞きしたかったと同時に
バカげたプライドのようなものが邪魔して
一緒のことができなかった、お声掛けできなかった自分の
懐の浅さを悔やむばかり。


実を言えば、その方と、とある畑を競い合ってとまでは言わないが
借りる段階で、重複してしまい、こちらが遠慮した経緯が、この冬にあった。
実際には、貸して下さる方が、何名かに声をかけた為に
貸してほしいという農家が重なってしまったというのが理由。
実際に、紹介してくれた仲間の農家を伴って
その畑を見に行き、条件が合えば借りる手はずではあった。

でも、何故だか、何が何でもという気概でもなかった。
だから、その方が借りることに仮決定したので
もし何かあれば、直接その方に言って欲しいと言われたが
全くその気もなく、何故か内心、ホッとしていたのだ。
自分の経営にとってオーバースペックだったのかもしれない…。
でも、実を言えば、何故か気乗りしなかったのである。

家や土地、ましてや耕作放棄地となると
それなりに理由があって、耕作放棄地になったり
人の住まない家になったりしていくわけで
それが単純な家庭の事情であれば、問題は全くないのですが
そうではない深刻な理由であったり
そもそも、ちょっとした理由でボタンは掛け違っていくわけです。

誤解を恐れずに書けば、「負」の要素は常に隣り合っていて
ちょっと間違えば(集中力をなくしたり、傲慢になっていたり)
ボタンは掛け違ってしまいます。
初期の段階でそれを直すのは
実際、かなり力を必要としながらも、可能だとは思います。
でも、わかっていながら、見過ごしたりすると
とんでもない、取り返しのつかないことになる。

それはいつもわかりやすい形で目にするとは限らないのがミソで
常に客観的な自分と話し合うことで、確認しなくちゃいけない、みたい。
土地は土地に暮らした人の情念を帯びながら
その土地そのものの情念を映し出す。そんな気がしてならないのです。

そして、その土地の持つ情念のようなものは
耕す人間が変わっても、すぐには変わらず
前の情念をしばらく引きずる。
当たり前と言えば、当たり前なのですが
それは、家、もっと言えば家庭そのものもまた然り。

そんなことを強く考えていた一ヶ月。

3/11の2

これから迎える春の農繁期と
最近、親父の無茶苦茶な取り扱いによって
ほぼ廃車決定になりそうな車の問題を抱え
久々に家族三世代全員揃っておでかけ。

血縁関係でいうと「はとこ(らしい)」が働くディーラーへ
相談してみるかと出かけてみるも
そこは我が家、たいした予備知識もなく即断即決。

なんなんだろうね、我が家の車に対する無頓着さ。

考えてみるとトラクターとかコンバインだとか
価格的には高級外車並みなわけで
普段乗る車にステータス性なんて微塵も感じてない感じ。
見事に道具としてしか見ていない。
しかも、しっかり自分も受け継いでいる気がする。

結果、親父たちが決める人生最後の車になるであろう
今回の購入に要した時間は約1時間半。
ちょっと高級なフライパンでも買いに来た感覚。

久々に揃って外出したことと、前出の高揚感も手伝って
市内の大きなショッピングセンターで遅めの昼食、イタリアン。

帰りがけ、ちょうど震災の起きた時間。
館内放送が流れ、黙祷。
満員御礼の駐車場が象徴するかのような人ごみが
一気に静まり、見渡す限り黙祷。
3月11日、この時間はそういうことが起こった日なのだ。
少なくとも目の前にいた人たちの中に
去年のこの日のことを、忘れていた人はいなかった。

夜、お米の注文の為に電話をくれた親友と長電話。
彼と話す時間は、本当に色々な気付きを与えてくれる貴重な時間。
いつも変わらないその存在に、ただただ感謝。
4月に会う約束をする。今から楽しみ。

風呂に入りながら、彼と何を食べに行くか、あれこれ考える。
お互いに結婚もし、子供もいるのだから
変な意味に取られようもないのだが
そういうことを義務的ではなく、楽しみとして考えられるのは
本当に数少ない関係性なのだと思う。有り難い。

新型iPadが先日発表された。
これを受けて、会社の仲間と共に古いiPad(iPad2)を
全員で揃えてみようかと思案中。
スケジュールの共有、ファイルの共有。
最低限のスペックで、最大限の効果が得られれば
安いのかもしれない、

3/11

一年が過ぎ、また3月11日を迎える。
震災が起こる前から気付いていたのかもしれない。

今まで人類に恩恵を授けていたように見えて
一度起こると手に負えず、悲惨なほどに悪影響しか残らない
そのことをメルトダウンというなら
政府、日本国、いや大多数の日本人が
随分前にメルトダウンしていたのだ。

頭の中で「革命」と「移住」がグルグル回っている。

facebookを通じて、ガレキ処理反対運動だの
それが当たり前のように促す人がいる。
それが間違いだとは思わない。
正しいことなのかもわからない。
ただ、少々その勢いに食傷気味だ。

震災の日から自宅を離れ、隣県に移り住んだ友人が
今月に入って、被災した地元へ戻った。
そして、きっと何かあったのだろう、電話をよこした。

「目の前の風景が、あの日から何も変わらない」

また、しょうがないよね、で済ませてしまうのか?

福島のお米が売れないのは消費者が選択しないから
しょうがない…のか?

TPPは世界情勢の流れだから、受け入れるのはしょうがないのか?
ただ、流されるのか?他に手段はないのか?最善の手は?
今、自分達に出来ることは何か?

気付いてしまった以上、あの頃には戻りたくない。

20111217

百姓は、知らしむべからず依らしむべし

12t車

普通は、自分の基準を相手に押し付ける。
一流は、相手の予想を察知し、その通りの実態を生み出す。
超一流は、相手の予想を察知し、その上の実態を生みだす。

近況報告。

野菜の出荷が始まり、心身ともに余裕がない。
ツィッターもフェイスブックも、更新が出来ていない。
せめてもの罪滅ぼしに
誰が読んでいるかもわからないブログをアップする。

野菜の(特に仲間が取り仕切ってくれているトマトとナス)が
夏の天候もあってか、思ったように収量が伸びていない。
お米の栽培で成し得た栽培体系のようなものが
野菜では全く成立していないのを痛感する毎日。

この忙しさの中、来年を想い技術書を紐解く。
迷った時は基礎に戻るしかないのだ。

Rのスタッフさんより10月の稲刈り中に
取材したいと連絡が入る。
忙しいし、うまく対応できるのか心配は尽きないが
活動を始めた頃、食べて頂く方に産地として
認知してもらいたいという想いがあったから
少しは達成できそうで、素直に嬉しい。
仲間もゴネることなく対応を承諾してくれて、心強い。

9月の6日だったかいつもの「ほぼ日」に
今後の活動に影響を与えてくれそうな言葉があったので
引用しておく。
自分の中ではゴチャゴチャにして考えてしまっていたが
分けて考えてみると答えはシンプルだ。
糸井さんに感服。

 これからは、もっともっと、
 そういう矛盾をはらんだような「とらえ方」が
 必要になってくるだろう。

 「ものや情報のやりとりは、狭い国の単位を超えて、
 地球全体の規模で考えることが必要になる」
 と同時に、「人と人の関係、人とものごとの関係は、
 かつての狭い村社会が機能していたときのように、
 直接的な縁や運や直感が頼られるようになる」‥‥
 なんてことだらけになるにちがいない。

最近よく利用しているフェイスブックだが
多用していると、それなりに欠点も感じられてくる。
それは、友達としてリンクする人が
知り合いに限られてくる為(もともとそれが本質なのだけれど)
とても視野が狭くなってくるように感じる。
更新を頻繁に行なっている人の指向に
どうしても引っ張られていく感があるのだ。
しかも、ポジティブな情報に偏っている気がして
どちらかというとネガティブな自分には
とっても居心地が悪い。
みんなイイ子ばかりじゃないのに…。

しかも気をつけなければならないのは
人と人との関係が狭い中で機能し始めると
物流もそうなのかも…なんて思い込み始めるが
相も変わらずそんなことはない為
その矛盾の中で、自分が苦しむことになる。
先に挙げた糸井さんのように
場面場面で今起こっていることを受け入れ
場面場面でその適切な方向があることを
きちんと認めないと、個々が崩壊してしまう気がする。

そこが結構難しいんじゃないだろうか。

我々の栽培するお米もそうだが、野菜にしても
日量で換算すると何万人もの人が口にする量を
生産・出荷していることになる。
そんな時に、狭い村社会では対応できないことを
それはそれ、これはこれとして、捉えなければならないのだろう。
随分と泥臭い気もするが、それが実際だ。

放射能検査が始まった。
自分達の野菜も、既に一部自主検査したが
検出下限値5ベクレル以下に対して、NDだった。
関東産のお米の価格が下がっているところをみると
震災の影響が、今年の米価に対して全くないわけではないだろうけど
昨年までに動きを引き継ぐのは間違いなさそうだ。

7月10日に急に思い立ち
フェイスブックで宣言してしまった「レコーディングダイエット」。
全く途中経過も報告していないのだが、密かに継続中なのである。
ちなみに今朝の段階で5.4キロ減。
緩やかな減傾向が、ここにきてグッと下がり始めて
「来たぁ~~~!!」的な気分だったのが
それによって油断してしまい
今日の夕飯で、メチャクチャ美味しいジンギスカンを食べすぎる。

米も野菜も、そしてダイエットも油断が大敵なのだ。

体が少しでも軽くなった気でいると
気持ちも軽くなるのか、作業に気持ちが乗りやすい。
もちろん頭にくることだって、山ほどあるが
仲間がフォローしてくれる。
とにもかくにも、年末まで突っ走るだけだ。






急ぎのメモ

最近使いこなしつつあるアイテムの使い方。
(おそらく、しばらくこのまま)
※完全に自分の為のメモ書きです。

SHOT NOTE:会議や打ち合わせなどの記録→iPhoneからEvernoteへ取り込み

PDF : 配布された資料の保存、もしくは配布する資料の保存
   →保存先はPCもしくは共有サーバー
   本や多めの資料はSONY Reader

Twitter : 瞬間的に思いついたこと、覚えておきたいこと

Facebook : 友人、知人にお知らせしたいこと
      メモ的日記帳

ブログ : きちんと自分の中で形にしたい意見など

アメブロに飽き始めていたせいか、最近はFacebookに偏ってます。

頭の中の整理

個人的にしか利用価値のない内容。

プロダクトアウト:企業が自社の販売・生産計画に基づいて、市場へ製品やサービスを投入すること。
マーケットイン :消費者のニーズを十分にくみ上げて、それを商品というカタチにして市場に出すという
         「はじめに顧客ありき」の考え方である。

CSA:Community Supported Agriculture

構造構成主義:人間科学においてありがちな信念体系どうしの対立(信念対立)を克服し
       建設的なコラボレーションを促進するための方法論あるいは思想のこと。

とにかく今は資料集め。
7~12月までの半年を利用して、自分なりに噛み砕く。
今月末に農林水産技術センターの経営・マーケティング班の方々がいらっしゃるので
それによって自分の感じている方向を、確認し
改めて、資料を読みほどいていくつもり。

10~20年後の会社の方向が見えてくる気がする。


次の10年。

先日参加したシンポジウムから
ぬぼーっと考える毎日。

エネルギー問題に始まり、それこそ放射能汚染に端を発した食の問題など
今まで価値があったものが無くなりはしないものの
結構根底から確認作業されてる気がする。

ある意味ビジネス的な生存競争から降りることを意味した
「スローライフ」とか「LOHAS」だとか
格差社会からの脱却と見えつつ、実は貧困と時間的な余裕のなさ
まさしくアリ地獄への一歩が
これから先、大きな価値を生み出す?再確認させるのかもしれない。

まさしく価値観の転換期であり、それが時代の変化へとつながる。

価値観の転換期に、自らの価値観を変えつつ
相手の変化へも対応するのは至難の業だ。

まず自分から変わらなければならない…。



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